執筆者・寄稿者:紅林 章央
 国内で唯一、ドイツ表現主義のデザインを取り入れた橋といわれるのが「厩橋」である。3連のアーチがリズミカルに連なる(❶)。橋梁構造は、橋長1...
紅林 章央『コア東京』2024年3月号
 都営新宿線の森下駅で降り、新大橋通りを都心方面へ向かって300mほど歩くと、鮮やかなオレンジ色の2本の塔が見えてくる。クラシックな橋が多い隅...
紅林 章央『コア東京』2024年2月号
関東大震災が発災した1923(大正12)年当時は、まだラジオもテレビもなく、絵葉書は新聞と並ぶ最大の情報伝達ツールだった。このため関東大震災で...
紅林 章央『コア東京』2024年1月号
 浅草駅前で隅田川を跨ぐ赤いアーチ橋。この橋の上からフィリップ・スタルクがデザインしたあの金色の炎の写真を撮ったという方も多いのではない...
紅林 章央『コア東京』2023年12月号
 明治当初、東京市内の橋梁は、幕末の動乱と幕府の財政難で維持管理は疎かになり、老朽化が進行していた。このため新政府は、早期に架け替えに着...
紅林 章央『コア東京』2023年11月号
 隅田川を渡る橋は、1594(文禄3)年に「千住大橋」が徳川家康により架設され、次いで1661(寛文元)年には「両国橋」が架設された。当時、千住は...
紅林 章央『コア東京』2023年10月号
 隅田川には、同じ形の橋梁はふたつとないといわれるほど多種多様な橋梁が架かる。このため、「橋の博物館」や「橋の展覧会」と呼ばれる。パリの...
紅林 章央『コア東京』2023年9月号
 復興を主導した内務省復興局土木部長の太田圓三は、大正13(1924)年7月2日に土木学会で開催された「帝都復興事業に就いて」という講演会で、関...
紅林 章央『コア東京』2023年8月号
 隅田川には、アーチ橋やトラス橋、ゲルバー鈑桁橋など多種多様な橋梁が架かることから、「橋の展覧会」といわれる。この中でも、一、二の人気を...
紅林 章央『コア東京』2023年7月号
 関東大震災の復興では、橋梁のデザインについて、復興局土木部長の太田圓三(1881–1926)や橋梁課長の田中豊(1888–1964)らは、建築家に任せる...
紅林 章央『コア東京』2023年5月号
 隅田川をはじめ、東京の橋の多くは関東大震災の復興で架けられたことは、多くの方の知るところである。震災による東京市の橋梁被害はどのような...
紅林 章央『コア東京』2023年4月号
 隅田川下流部で重厚なアーチを描く永代橋(❶)。現在の橋は、大正15(1926)年に関東大震災の復興で架橋された。現存する隅田川の橋では最古参で...
紅林 章央『コア東京』2023年3月号
 建築では、あの建物は〇〇さんの設計、この建物は△△さんの設計など、設計者の名前が前面に出てくる。しかし橋では、レインボーブリッジやベイブ...
紅林 章央『コア東京』2023年2月号
 東京は古くから川や運河に囲まれ、水の都と言われてきました。川が多いということは、必然橋も多いということ。戦後、戦災の復興や首都高建設に...
紅林 章央『コア東京』2023年1月号