東京環状道路
隅田川に架かる「白鬚橋」(❶)は、1931(昭和6)年に架設された(❷)。流れるようなアーチ曲線が美しく、細かい部材を紡いだアーチリブは、繊細でありながら重厚さを醸し出す。隅田川を代表する名橋のひとつである。現在この橋には、都道王子・千住・夢の島線(通称道路名:明治通り)が通る。「白鬚橋」の開通時期が、隅田川に架かる「吾妻橋」や「両国橋」と近いことから、「白鬚橋」も震災復興で架設されたと思われている方が多いが、別事業である東京都市計画の東京環状道路事業の一環として施行された。事業主体も内務省復興局や東京市ではなく東京府が担った。
東京環状道路は、東京初の環状道路として計画されたもので、現在の道路でルートを辿ると、品川の八ツ山橋を起点とし、ソニー通りを通り五反田駅前の大崎橋を渡り、大崎広小路交差点を右折して山手通りを中目黒、大橋(池尻大橋)と進み、大橋交差点で国道246号へ右折し道玄坂上交差点から道玄坂を下って渋谷駅前のスクランブル交差点を左折、JR山手線の西側に沿って北上し、神宮前6丁目の交差点手前で山手線のガードを潜り、以後は明治通りを通り、新宿、池袋、王子、白鬚橋、亀戸、江東区南砂町に至る延長約32kmの路線で、1921(大正10)年に都市計画決定され、1923(大正12)年に工事着手し1933(昭和8)年に竣功した。工事着手時には、これらの地域の大半は、東京市内ではなく周辺の郡部であったことから、東京府が事業を施行したのである。
沿道には、目黒川を横断する「大崎橋」、「目黒橋」、神田川を横断する「高戸橋」、石神井川を横断する「大橋」、「溝田橋」、堅川を横断する「五ノ橋」など16橋が架設されたが、「白鬚橋」以外は、いずれも橋長が20m程度の桁橋で、特徴的な構造はなかった。
白鬚橋の成り立ち
「白鬚橋」が架かる以前、この地には隅田川で最も古いといわれる「橋場の渡し」(❸)があった。「言問橋」の橋名のいわれになった「名にしおば いざ言問わん都鳥 わが思う人はありやなしやと」という、平安初期の歌人在原業平による和歌も、「橋場の渡し」でのことを詠んだものとされ、徳川家康により「千住大橋」が架設される以前は、江戸と北関東や奥州を結ぶ、隅田川で最大の渡河点であった。
文献に残された、隅田川での最も古い架橋記録は、鎌倉幕府の公文書である吾妻鏡に記された1180(治承4)年10月2日で、施行者は源頼朝で、架橋箇所は「白鬚橋」付近とされる。頼朝は、神奈川県の石橋山で挙兵したが敗れ、房総へ逃れた後、千葉氏や上総氏の援助を得て勢力を立て直し、武蔵を経て鎌倉へと攻め上るが、その際に隅田川を横断するために、船を並べその上に板を渡した「船橋」を架設した。渡しの名の「橋場」とは、後年このエピソードにちなみ命名されたと思われる。
「白鬚橋」の本格的な架橋の歴史は浅く、1914(大正3)年に、地元の有力者たちが出資して「白鬚橋株式会社」を設立し、有料橋が架設されたことに始まる。形式は、❹のような木造の方杖橋で、橋名は近隣にある白鬚神社から命名された。
関東大震災では、隅田川下流の橋が火炎により通行不能に陥る中、「白鬚橋」は火炎の被害を受けずに通行を確保できた。しかし、橋の老朽化が進んだことや、東京環状道路の計画線に含まれたことから、1925(大正14)年に東京府に買収された。
白鬚橋の構造
現在の「白鬚橋」の橋梁形式は、鋼バランスト・ブレストリブタイドアーチ橋(❺)で、橋長167.63m、幅員22.14m、中央径間79.55mである。側径間は、支間長35.18mのポニー型の中路式のプラットトラスで、ゲルバー(カンチレバー)構造で受けている。このような構造を採用した理由は、『東京環状道路建設誌』(1923/大正12年、東京府道路部)に、「特に美観を考慮し、また地質を斟酌し」と記されている。これから主径間は景観性に優れたアーチ形式を採用したこと、地盤が軟弱なため、将来の地盤沈下に伴う上部工の不安定化を危惧して連続化を避け、ゲルバー構造にしたことであろうことが読み解ける。主径間の鋼バランスト・ブレストリブタイドアーチは、ドイツの「レマーゲン鉄橋」などをモデルにしたと推察され、以後、国内では北海道旭川市の「旭橋」と岐阜県岐阜市の「忠節橋」に採用された。
ゲルバーヒンジは、❻のようなピン構造が用いられた。震災復興事業では、「言問橋」のようなゲルバー鈑桁橋が多数架設されたが、ゲルバーヒンジはいずれも顎出しの掛け違い構造で、ピン構造を用いたのは、同時代に東京で架設された橋梁では本橋が唯一である。
基礎構造は、橋脚は長径24.69m、短径8.53mの小判形状、深度は右岸側31.8m、左岸側30.3mの井筒で、オープンケーソンで施工された。橋台は1基あたり8.74m×9.65mの井筒2基を約5m沈下させた後、その底面から長さ22.86mの松杭を打設した脚付きケーソンという珍しい構造で、杭打設後に井筒内にはコンクリートが充填された。
設計は、当時の東京府は、東京市や復興局のように橋梁の専管組織を有しておらず、大規模な橋梁を設計できる技術者がいなかったため、「千住大橋」と同様に、米国で設計事務所に勤務し、帰国して設計コンサルタントを起業した増田淳(❼)を「嘱託」に採用して行われた。
施工は大林組(桁架設は宮地鉄工所が下請け、❽)、鋼桁製作は川崎造船所が請け負った。工事着手は1928(昭和3)年9月で、1931(昭和6)年6月に竣工した。
意匠の特徴は、橋端部のエンドポスト(❾)で、親柱と橋灯も兼ねている。灯具などが長年失われていたが、平成初めに竣工図(❿)をもとに復元されたものであるが、竣功図とは灯具の位置などに違いがある。また、橋詰めの袖高欄にはアールデコ調の模様が刻まれている(⓫)。このような大型の親柱(「白鬚橋」では兼用)は、同じく増田淳が設計した「千住大橋」でも見られる。一方、山田守や山口文象らが意匠設計を担当した復興局の橋梁は、表現主義やモダニズムを取り入れ、親柱などはシンプルなデザインが主流となっており、「白鬚橋」や「千住大橋」の意匠はこれらと比べると前時代的な感は否めない。
なお、ポニートラスの上弦材上に設置された橋灯は、橋面の照度を確保するために後年設置されたものである。
白鬚橋の補強
「白鬚橋」は、竣功から現在までに3回の大きな補修や補強が行われた。初回は1971(昭和46)~75(昭和50)年にかけて実施された。1970年に実施された隅田川の橋梁調査で、橋台が川側へ10cm移動して桁遊間がなくなっていることなどが判明。偏土圧に対する水平耐力不足の結果であり、放置すると耐震性の欠如やトラス部材の座屈などが危惧されたことから、早急な補強が必要とされた。対策は現橋台を巻き込む形で橋台を増設し、PC鋼棒で一体化。増設橋台の下に、新たにΦ1,000mm×25mの大口径の鋼管杭20本、Φ400mm×25mの鋼管杭8本を打設し、荷重をこの新設杭で受け替えた(⓬)。これに伴い支承も交換した。これらの工事は、交通を止めることなく実施された。
2回目は1988(昭和63)~90(平成2)年で、RC床版の打ち替えが行われた。この際に前述したエンドポストや高欄の復元や、歩道のタイル歩道も施された。
3回目は、2010(平成22)~19(平成31)年に行われた長寿命化工事で、これにより耐震補強や床版のRCから鋼製への交換、腐食した鋼材の交換、ライトアップなどが行われた。
「白鬚橋」の鋼材使用量は1,923tで、規模がさほど変わらない鋼ソリッドリブアーチ橋の「永代橋」の3,932tに比べて、約1/2と著しく少ない。これは、アーチリブの構造が、「永代橋」は鈑構造のソリッドリブであるのに対し、「白鬚橋」はトラス構造のブレストリブ構造であるためである。さらに全体工事費は、「永代橋」では基礎が工事費の高いニューマチックケーソンを使用したこともあり、「白鬚橋」約100万円に対し、「永代橋」約280万円と約3倍近い開きがある。「永代橋」を施工した復興局は、トラス構造を二次応力の問題や空爆への脆弱性を危惧し採用を避けたが、「白鬚橋」を施工した東京府は、財政基盤がぜい弱であったため、より安価な構造を求めたためと思われる。
しかし2橋の補強状況を比べると、床版を2回つくり直した「白鬚橋」に対し「永代橋」は当初のものを使用しており、事実上、橋台をつくり直すという、現代でも行わないような大規模な基礎補強を実施した「白鬚橋」に対して、「永代橋」の基礎は建設以来手を加えていないなど、メンテナンスコストでは「永代橋」に軍配が上がる。また、橋上に立って感じる振動は、「白鬚橋」の方が「永代橋」よりはるかに大きい。これは橋の剛性に起因しているもので、将来的には橋の寿命に影響を与えると思う。
公共施設の建設を行う上で、工事費の大小はもちろん重要な要素であるが、しっかりした構造を選択することの重要性が、2橋を比較すると見えてくるように思う。
紅林 章央(くればやし・あきお)
(公財)東京都道路整備保全公社道路アセットマネジメント推進室長、元東京都建設局橋梁構造専門課長
1959年 東京都八王子生まれ/19??年 名古屋工業大学卒業/1985年 入都。奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『東京の美しいドボク鑑賞術』(共著、エクスナレッジ刊)
1959年 東京都八王子生まれ/19??年 名古屋工業大学卒業/1985年 入都。奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『東京の美しいドボク鑑賞術』(共著、エクスナレッジ刊)
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