Kure散歩|東京の橋めぐり 第6回
清洲橋
紅林 章央(東京都道路整備保全公社)
❶下流の隅田川大橋からの清洲橋。(撮影:紅林章央 2023年)
❷左岸下流側からの清洲橋。曲線が美しい。(撮影:紅林章央 2023年)
❸清洲橋のモデルになったケルン吊橋。
震災復興の華
 隅田川には、アーチ橋やトラス橋、ゲルバー鈑桁橋など多種多様な橋梁が架かることから、「橋の展覧会」といわれる。この中でも、一、二の人気を誇るのが清洲橋(❶、❷)である。平成19(2007)年には、永代橋、勝鬨橋とともに国の重要文化財に指定された。この橋は昭和3(1928)年に関東大震災の復興で架設され、織りなす曲線の美しさから「震災復興の華」と謳われた。
 震災復興で隅田川に架設されたの橋梁の多くは、ドイツに範をとった。清洲橋もそのひとつで、ドイツのライン河に架けられていたケルン吊橋(❸)がモデルとなった。この橋梁は、当時「世界で最も美しい橋」といわれていたが、第二次世界大戦で撤退するドイツ軍により破壊され、戦後も復旧されなかったため現存しない。ゆえに今でも「世界で最も美しい橋」を見ることができるのは、ここ隅田川だけということになるのかも知れない。
❹チェーンの吊り材を桁端に定着している。(撮影:紅林章央 2023年)
❺地震時の自碇式吊橋と他碇式吊り橋の地震時の挙動の違い。清洲橋のような自碇吊橋は、他碇式吊橋に比べて耐震性が高い。
❻清洲橋鋼桁架設手順図
❼清洲橋鋼桁架設。(東京都建設局蔵)
珍しい自碇式吊橋
 清洲橋の構造は、橋長186.2m、主径間長93.1mの鋼鉄製の自碇式チェーン吊橋である。構造設計は、九州大学を卒業して復興局橋梁課へ入って1年目の鈴木清一(後の岐阜県土木部長)が、高欄や照明のデザインは橋梁課の坂東貞信(建築)が担当したが、山口文象も参画したと述べており(「兄事のこと」)、吊材のカテナリー曲線の設定は山口の手によるものといわれている。
 自碇式チェーン吊橋としては、国内唯一の施工例である。一般的な吊橋は、主塔の両側にアンカレイジという大きなコンクリートの塊を設置し、これに吊り材を定着する「他碇式吊橋」という構造であるが、清洲橋にはアンカレイジがなく、吊り材を橋桁の端部に定着(❹)している。このような吊橋を「自碇式吊橋」というが、国内では10橋程度しかなく、吊橋全体数に占める割合は1%以下というたいへん珍しい構造である。
 この構造を用いた理由は、①架橋地点は支持層となる東京礫層がGL-30mと、地盤が軟弱なため、重量の重いアンカレイジを支える基礎の施工費が高額となること。②地震時に他碇式吊橋は、地震の振動で橋桁と左右のアンカレイジの3者が別々の動きをして落橋につながる恐れがあるが、自碇式吊橋は、アンカレイジがないことから一体的な動きをするために耐震性が高い(❺)。という2点が考慮されたためであった。
 このような利点があるにも関わらず、前述したように国内の施工事例が少ないのは、架設工法の煩雑さにあった。他碇式吊橋の架設手順は、①主塔を建てる、②吊り材を渡す、③吊り材から補剛桁を吊り下げる、である。架設時に桁を支える支保工が不要なため、深い渓谷や明石海峡大橋のような海域を渡る長支間の架橋に適している。
 一方、自碇式吊橋の架設手順(❻)は、①主塔を建てる、②補剛桁を架設する、③吊り材を渡し桁を吊り下げるで、②③が他碇式吊橋と逆転する。②の桁を架設する際には、清洲橋の桁架設時(❼)のように、桁を支保工で支えなければならない。このため、渓谷や海域横断のような長支間の橋梁には適さなかった。さらに、架設中の支保工で河川阻害が大きくなるため、現代では河川管理者から許可が得られにくいという問題点もある。
❽清洲橋のチェーン架設。(東京都建設局蔵)
吊材から見える戦争の影
 一般的には、吊橋の吊り材にはケーブルが使用されるが、清洲橋ではアイバーと呼ばれる鋼材を、チェーン状に繋いだものが使用された(❽)。このような吊橋をチェーン吊橋と呼ぶが、国内では他に例がない。現在も英国に残る19世紀にトーマス・テルフォードによって設計されたメナイ吊橋やコンウィ吊橋がその代表格だが、ケーブルが普及する前の古い構造で、1883年に米国ニューヨークのブルックリンブリッジでケーブルが使用されると、以後ケーブルの使用が一般化した。
 震災復興では、当時の世界最先端の橋梁構造や技術が多く用いられたが、それに反して吊り材にチェーンを使用したのは、国内メーカーでは高規格のケーブルを生産できないことが最大の理由だった。もし戦争などで破損すると、国内の技術でなければ補修もままならない。ゆえに頑なに国産技術に拘ったのである。
 また、このチェーンには、橋桁を吊り下げるため、大きな引っ張り力が生じるが、ここには、永代橋のアーチタイと同様に、高張力鋼のデュコール鋼というマンガン合金が使用された。当時、欧米諸国では、高張力鋼にニッケル合金を使用していたが、日本国内ではニッケルが採れなかったため、産出するマンガンを用いたのである。これもまた、安全保障上の考えからであった。
 清洲橋の特徴は、少し時代遅れだったとはいえチェーンの吊り材と、それがつくり出すカテナリー曲線の美しさにある。吊り材がケーブルなら魅力は半減したであろうし、デュコール鋼を使用しなければ吊り材はもっとごつくなり、曲線がつくり出す繊細なフォルムは損なわれていたであろう。しかし、この清洲橋の美しい姿からは、戦時などの危機管理を、現代よりはるかに求められた時代が透けて見えるのである。
永代橋とのペアの橋
 現在、清洲橋と永代橋の間には隅田川大橋が架かるが、清洲橋の建設時にはこの橋はなく、永代橋と隣接していた。このため、2橋はペアの橋として設計された。永代橋は上に凸のタイドアーチ橋であるが、上下180度回転させると、アーチは清洲橋のカテナリー曲線と合致するというこだわりであった。
 2橋の架橋地点とも地盤は軟弱で地盤高は低く、橋長も約185mと同程度である。このような中、2橋の形式を差配したのは、周辺環境への調和と橋下を通る船舶数であった。
 建設当時、海を臨み周辺に雄大な風景が拡がる永代橋は、それに比すような豪壮雄大な下路式アーチ橋が適するとされ、周辺が静寂なる清洲橋には吊橋が合うとされた。
 清洲橋は自碇式吊橋という構造上、主塔間の主径間部の桁重量と、主塔の外側の側径間部の桁重量を同重量とすることが構造的に最適であり、このため主径間長を、橋長186mのほぼ1/2の91mとした。一方、永代橋は、主径間のタイドアーチ橋と、ゲルバー構造で受けた側径間の鈑桁のバランス上、橋長185mに対し主径間長を100mとするのが最も適していた。当時、隅田川河口の永代橋周辺は東京港の中心地で、周囲に多くの艀がつくられ舟運が多かった。このため、永代橋により広い支間長が得られるタイドアーチ橋を配したのである。
❾清洲橋に設置された制震ダンパー。(撮影:紅林章央 2023年)
❿中央区側(下流側)橋詰に保存された建設時の橋灯。(撮影:紅林章央 2023年)
⓫復元された橋灯。(撮影:紅林章央 2023年)
⓬ライトアップされた清洲橋。(撮影:熊谷健太郎 2022年)
より強く美しい橋に
 清洲橋でも平成24(2012)年から、最新の設計基準に基づいて橋梁全体を照査し、基準を満足しない部分は補強することで、橋の寿命を今後100年以上延命する「橋梁の長寿命化」が行われた。
 照査の結果、耐荷力は現行の設計基準を満足したが、耐震性は満足しなかったために、地震の揺れを吸収する制震ダンパー(1500kN)を、橋台と桁の間に片側8基ずつ設置した。これは隅田川のテラスから桁裏を覗き込むと確認できる(❾)。これにより、レベル2の地震動に対しても安全性が確保された。
 またこれと同時に、平成初年に改変されていた橋灯を、中央区側(下流側)の橋詰めに1本だけ保存されていた建設時の灯具(❿)を参考に、建設時のデザイン(⓫)に復元した。ただし、材質はオリジナルは鋳鉄であったがアルミへ、ライトはLEDへと、耐久性やランニングコストを考慮した最新の技術を活用した。
 ライトアップも、令和3(2021)年の東京オリンピック開催に向けて、LEDを使用してリニューアル(石井幹子氏デザイン)した。日没から23時まで、昼とは違うもうひとつの美しい姿を見せている(⓬)。
紅林 章央(くればやし・あきお)
(公財)東京都道路整備保全公社道路アセットマネジメント推進室長、元東京都建設局橋梁構造専門課長
1959年 東京都八王子生まれ/19??年 名古屋工業大学卒業/1985年 入都。奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『東京の美しいドボク鑑賞術』(共著、エクスナレッジ刊)