奥多摩湖
「ここは本当に東京都?」そんな声が聞こえてきそうな、深い山々に囲まれ満々と水を湛えた湖、奥多摩湖。この湖は多摩川を堰き止め建設された小河内ダムにより誕生した広さ1,150haの人造湖である。ここは知られざる橋の名所でもある。ダムの工事は、戦前の1936(昭和11)年に着手されたが、建設に伴い小河内村の大半、約1,000軒が水没することから住民の反対運動が起き、これを第1回芥川賞作家の石川達三が小説『日蔭の村』で描いたことから社会問題化し、さらに太平洋戦争に伴う工事中断もあり、着工から19年を経て1957(昭和32)年にようやく完成した。ダムの堰堤高は149mで、国内最大、世界でも米国のフーバーダムに次ぐ世界第2位という巨大ダムであった。

❶1938年に架設された「中山橋」側面。鋼桁、地覆、高欄、親柱が鋼製で統一されている。(撮影:紅林 2005年)

❷オリジナルが残る「中山橋」の鋼製高欄と鋼製の親柱。(撮影:紅林 2005年)
戦前の青梅街道の改良
青梅市と奥多摩町を東西に貫く地域随一の幹線道路が、青梅街道(国道411号)である。自動車が通行可能な道路への改修は昭和に入ってから行われ、当時の青梅町から氷川村市街地(「桧村橋」)までの改修は東京府土木部が、「桧村橋」以西は小河内ダム建設関連とされ東京市水道局により行われた。水道局施行区間は住宅も少なく、堰堤建設に伴い道路高を約100m上げる必要があったことから、既存の多摩川沿いを走る青梅街道とはまったく異なる、トンネルと橋梁によりショーットカットし道路高を大幅に上げた新道が建設された。
大型の橋梁としては、青梅街道に「桧村橋」(1938年、L=95.5m)と「境橋」(1938年、L=90.6m)の2橋が、青梅街道から堰堤、発電所工事のため多摩川べりまで下りる連絡道路に「中山橋」(1938年、L=86.5m、❶)が架設された。橋梁形式は3橋とも、鋼ブレーストスパンドレルアーチ橋であった。
震災復興や「勝鬨橋」の設計は、東京市の職員(インハウスエンジニア)の手で行われてきた。しかしこの3橋の設計は、外部へ委託された。「桧村橋」は、戦前に国内に最も多くの橋を、そして東京では隅田川に架かる「白鬚橋」や「千住大橋」などを設計した増田淳。「境橋」は、東京市初代橋梁課長を務め隅田川に架かる「新大橋」などを設計し、退職後国内初の橋梁設計事務所を興した樺島正義。「中山橋」は、関東大震災後、復興局で橋梁課長を務め「聖橋」など多くの復興橋梁を設計し、当時日本大学教授に就いていた成瀬勝武。いずれ劣らぬ、日本を代表する橋梁技術者たちである。このように外部委託されたのは、東京市土木局には橋梁設計の経験者が多かったものの、施行した水道局には経験者が少なかったためと推察される。
「桧村橋」と「境橋」は、幅員が6mと狭隘であったことから、昭和40~50年代に架け替えられたが、「中山橋」も幅員は同じ6mだが幹線道路でなかったことが幸いし、架け替えられることなく現存している。しかも全国的にも珍しい戦前の鋼製のデザイン高欄が、戦争に供出されることもなく現存している。また通常は鉄筋コンクリート製である地覆や石が用いられる親柱も、鋼製(型鋼の加工)で統一されているのも珍しい(❷)。その理由について設計者の成瀬は、「腔構拱の設計」(『土木学会誌』1937年7月号)の中で、工期の短縮や経済性に優れていることを挙げた上で、横から眺めた際に、材質を統一したことで「純による美」が強調され、デザイン的に優れているからと述べている。これらの橋が完成後、新道建設工事は1943(昭和18)年に戦争で中断した。

❸赤い色が湖面に映える「峰谷橋」。(撮影:紅林 2005年)

❹アーチリブが三日月型の「麦山橋」」(撮影:紅林 2005年)

❺国内唯一のマイヤール型アーチ橋の「坪沢橋」(撮影:紅林 2005年)

❻「坪沢橋」の中央を絞った鉛直材(国内唯一)。(撮影:紅林 2005年)

❼「坪沢橋」の竣工図面(東京都蔵)

❽アーチリブや橋門構に溶接が用いられた「鴨沢橋」(撮影:紅林 2018年)

❾左右対称が美しい「深山橋」(撮影:紅林 2018年)

❿渇水で露出した「深山橋」の橋脚 上下に穴が見える(中は空洞)。(撮影:紅林 2011年)

⓫ドラム缶橋と呼ばれる「麦山浮き橋」。(撮影:紅林 2020年)

⓬「留浦浮き橋」。(撮影:紅林 2017年)
奥多摩湖の橋梁群の誕生
戦争で中断していた小河内ダムの工事は1948(昭和23)年に再開し、堰堤工事に着手した。これに伴い、水没する青梅街道の東西10kmにわたる嵩上げ工事も本格化した。誕生するダム湖は風光明媚なため、観光地としての価値を高めるため、付け替えられる道路は、トンネルでショートカットするのではなく、敢えて湖岸沿いを通して視点場を提供することに重点が置かれ、湖上には「峰谷橋」など5橋が架設された。5橋はすべて違う形式で、湖に彩が添えられた。また人だけが通行できる浮き橋も2カ所に架設された。①峰谷橋(橋長125m、❸)
アーチが鋼製のトラス構造でつくられた中路式ブレストリブアーチ橋。一見タイドアーチ橋に見えるが、支承はアーチ軸線の延長上に設置され、強固な岩盤でアーチ反力をとっている。中路式のアーチ橋では建設時に国内最長を誇った。恐竜を彷彿させるような重厚なフォルムが特徴。橋門構の紅葉の飾りは、平成初めの修景事業で設置されたもの。
②麦山橋(橋長67.08m、❹)
「峰谷橋」と同様の中路式ブレストリブアーチ橋の一種だが、横から見るとアーチが三日月型をしているため三日月型アーチと呼ばれる。同形式では国内初の施工事例。
③坪沢橋(橋長 59.2m、❺)
20世紀初頭にスイスに、ロベルト・マイヤールという天才土木エンジニアが出現した。鉄筋コンクリートアーチ橋といえば曲線の美しさが売りだが、彼の設計したアーチ橋は鋭角でシャープなフォルムが特徴で、まるで現代彫刻を彷彿させた。「坪沢橋」はマイヤールの設計した「アルヴェ橋」を模した鉄筋コンクリート3ヒンジアーチ橋で、国内唯一の事例である。中央を大胆に鋭角に絞った鉛直材(❻)もカッコイイ。なお、鉛直材中央のくびれはメナーゼヒンジである。建設からすでに60年を経ているが、そのシャープなフォルムは色あせない(❼)。
④鴨沢橋(橋長 57.68m、❽)
鋼橋の組み立てには、戦前は鉄製の鋲であるリベットが用いられたが、1960年前後から溶接が用いられるようになった。「鴨沢橋」はその先駆けとなった1橋。形式は鋼中路式ソリッドリブアーチ橋。橋は山梨県との県境に架かり、現在は山梨県が管理する。
⑤深山橋(橋長 200.18m、❾)
鋼製のランガー橋という橋梁形式。支間長は90mで、建設時にランガー橋としては国内3位の長さであった。橋脚高は約50mで、建設時国内最高を誇った。当時はコンクリートが高価であったことから、橋脚内部は空洞になっている。これにより生じる浮力を抑えるために、橋脚には上下に1カ所ずつ穴があけられ、空洞を水で満たす工夫がされている。この穴は渇水で湖面が下がると見ることができる(❿)。なお橋面のアルコーブは、平成初めに修景事業で設置されたものである。
⑥麦山浮橋・留浦浮橋(橋長 220m、212m、⓫、⓬)
奥多摩湖建設によって行き来を制限された対岸の山作業などを行うために架設された人道橋。構造は、ポリエチレン製の浮きの上に板を渡したいわゆる浮橋で、かつては浮きにドラム缶を使用していたため「ドラム缶橋」とも呼ばれる。橋は湖面の高さや風によって、上下左右とまるで生き物のように形を変える。湖中央付近の麦山(長さ約220m)と、「鴨沢橋」付近の留浦(長さ約210m)の2カ所に設けられている。奥多摩湖に行ったらぜひ渡って欲しい橋である。
奥多摩湖の橋梁群と橋梁技術者
「違う形式の橋が架かる」といえば、関東大震災の復興で架けられた隅田川の橋梁群が頭に浮かぶが……。実は、奥多摩湖の橋梁群は、震災復興から約30年を経て、震災復興に携わった技術者たちにより、再び成し遂げられたプロジェクトだった。この橋梁群は、前述した「中山橋」を設計した成瀬勝武日本大学教授が基本計画を策定し、震災復興時に東京市橋梁課技師で作図の天才と呼ばれ、この頃早稲田大学講師を務めていた本間左門が実施設計を行い、そして震災復興時に同じく橋梁課技師で、日本初のランガー橋の「海幸橋」をはじめ多くの復興橋梁を設計し戦後水道局長に就いていた徳善義光がプロジェクト全体を統括した。徳善、成瀬、本間と、若き日に震災復興で腕を競い合った技術者たちにより奥多摩湖の橋は築かれたのである。
大正末から昭和初めの震災復興時、彼らはいずれも20代の青年。しかしその後の働き盛りは、戦争による公共事業の中止により活躍の場はないまま、いずれも人生の晩年を迎えていた。そこに訪れたこのプロジェクト。彼らにとっては、青春を取り戻したような輝いた瞬間だったのではないだろうか。
架けられた橋は、隅田川ほどの派手さはないものの、長い戦争を経て再び始動した日本の橋梁技術を先導するもの。構造面で日本初や日本最長などの冠がついた橋が、また景観面でも山間の湖に彩をそえるような美しい橋が並んでいる。
東京西端にあるもうひとつの「復興橋梁」。おすすめの季節は、紅葉時そして一目千本桜と呼ばれ湖畔がピンクに染まる4月中頃である。

紅林 章央(くればやし・あきお)
(公財)東京都道路整備保全公社多摩橋梁担当課長、室長、元東京都建設局橋梁構造専門課長
1959年 東京都八王子生まれ/1985年 名古屋工業大学卒業後、入都/奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/平成29(2017)年度に『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で、令和6(2024)年度に『東京の美しいドボク鑑賞術』で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『浮世絵を彩った橋』(2025年4月、建設図書刊)
1959年 東京都八王子生まれ/1985年 名古屋工業大学卒業後、入都/奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/平成29(2017)年度に『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で、令和6(2024)年度に『東京の美しいドボク鑑賞術』で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『浮世絵を彩った橋』(2025年4月、建設図書刊)
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