旧岩淵水門(赤水門)と荒川知水資料館 見学会
第2ブロック|令和7(2025)年2月15日@北区志茂
丸山 吉栄(東京都建築士事務所協会北支部支部長、丸山建築設計事務所)
撮影:大平孝至

重要文化財に指定されている旧岩淵水門(赤水門)。大正2(1913)年竣工。5門のゲートのうち右側の5番ゲートは昭和35(1960)年に通船のため改造された。

赤水門の上の通路。手前が5番ゲート。

昭和57(1982)年に竣工した青水門(岩淵水門)。奥は隅田川。

荒川知水資料館1階に展示されている岩淵周辺模型。手前右が隅田川。奥が荒川。

荒川知水資料館1階の床には荒川流域航空写真。

荒川知水資料館2階の展示。

荒川下流域の立体模型。

記念撮影。
当日は風も弱く時折日も差し込む、この時期としては上々の日和に恵まれた。第2ブロック全体で参加者は24名であった。今回は会員増強の一環としての目的もあり、事務所登録している非会員の事業所にも案内を送った結果、ブロック全体で非会員の方が9名参加された。
荒川放水路と赤水門
この企画は、昨年迎えた「荒川放水路通水100周年」を機に行われたものである。最初に訪れた「荒川知水資料館」では、放水路や「赤水門」(旧岩淵水門)の建設に至るまでの経緯について説明を受けた。荒川は奥秩父を源とし、北区志茂の地で隅田川と荒川放水路に分岐される。
ここで荒川の呼称について少し触れておくと、かつては足立区と荒川区の境に架かる千住大橋付近までを「荒川」、そこから下流を「隅田川」と呼んでいた。
一方、現在の荒川(分流側)は「荒川放水路」として整備されたものである。背景には、文字通り「荒ぶる川」として度重なる氾濫に悩まされた歴史がある。
荒川放水路は、東京下町を水害から守るため、旧岩淵水門(赤水門)が完成して通水が行われた大正2(1913)年から、すべての工事が完了する昭和5(1930)年まで、17年を費やして開削された全⾧22km、川幅500mにわたる人工河川である。
五門のゲートからなる「赤水門」は荒川の増水時に隅田川に流れる水量を調整する施設として建造されたもので、この工事を指導したのが土木技術者の青山士である。青山は「20世紀最大の土木工事」ともいわれるパナマ運河建設に携わった唯一の日本人で8年間にわたり従事した。その知見を日本に持ち帰り放水路開削工事、赤水門建設に生かした。
地盤の軟弱な赤水門建設は難工事であった。水門の基礎は川底から約20m掘り下げられ、6本の堰柱によって強固な構造となっている。工事中の大正12(1923)年の関東大震災の際にも無傷であったことから、その技術力の高さが伺える。
なお、赤水門は2024年8月に国の重要文化財に指定されている。これはその歴史的・技術的価値が認められた結果である。
東京東部地域を水害から守る青水門
水害からまちを守る役目は、昭和57(1982)年に竣工した後継の「青水門」(岩淵水門)に引き継がれる。令和元(2019)年の台風19号では隅田川氾濫の危険が生じた。水位観測所では戦後3番目に高い水位を記録し、12年ぶりに水門が閉じられるという事態も発生した。青水門は、現在も東京東部地域を水害から守る重要な役割を果たしている。
余談になるが、私が小学校2~3年生(今から55年ほど前)の頃は、よくこの河川敷を遊び場としていたが、当時の荒川はドス黒く、臭いもあり、とても綺麗とはいえない川だった。上流からはさまざまな廃材が流れてきたり、時には豚が丸ごと一頭流れてくるようなこともあった。
しかし現在では、一帯は大きく様変わりした。川の水は随分と綺麗になり、河川敷は整備されて、ランニングやサイクリングが楽しめるコース、バーベキューができるエリアもあり、春には土手沿いの桜が咲き誇り、多くの人びとが訪れる癒しの空間となっている。まさに隔世の感がある。
見学会終了後は、有志により赤羽界隈にて懇親会を行った。最近では“せんべろの聖地”として名の知られたエリアになっているが、今回は控えめな場所で親睦を深め、和やかなうちにお開きとなった。

丸山 吉栄(まるやま・よしひで)
東京都建築士事務所協会北支部支部長、株式会社丸山建築設計事務所
カテゴリー:支部 / ブロック情報








