VOICE
小山 充男(東京都建築士事務所協会会誌専門委員会・北部支部、建築工房 上二 一級建築士事務所)
「木の生い立ちを調べています」。
私の事務所の所在する吉祥寺は大手不動産サイトの住みたい街ランキングの上位になることが多い。上位になる理由はいくつかある。交通アクセスが良い。商業施設が充実している。東京なのに東京らしくない。最後の理由は井の頭公園が近くにあり、都会の便利さと自然の豊かさが両立しているところが大きいからだろう。私も公園内を通らなくても職場に行くことができるのに吸い寄せられるように井の頭公園内を通ってしまう。井の頭公園には、それだけ人を惹きつける魅力があるからだと思う。
公園内の井の頭池は歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれ、江戸の水源として江戸時代から有名な景勝地であった。明治時代になると帝室御料林(皇室所有の森林)となるが、大正2(1913)年に東京市に下賜され、大正6(1917)年に日本で最初の郊外公園として開園した。今でも公園内には帝室御料林の時代からの樹木が何本も残っている。
とある日、公園内を散策していたところ伐採されたヒノキの大木に気付いた。そこには「木の生い立ちを調べています」と書かれている。近所の学校の授業の教材として調べられているのかなと思っていたが、後日そこに立ち寄ると次のように書かれた看板が設置されていた。
 「2022年8月4日の落雷により伐採。このヒノキの生い立ちを記録に残す。樹齢169年(推定)。芽を出した年の1853(嘉永6)年黒船来航。樹齢15年の1868(明治元)年明治政府誕生。樹齢60年の1913(大正2)年井の頭恩賜公園開園。樹齢169年の2022(令和4)年に落雷に遭い伐採」
短い説明だったが、1本の大木の生い立ちと近代日本史や公園の歴史とを重ね合わせられて面白かった。分かりやすかったので同じように日本の近代建築史と重ね合わせてみた。
 「芽を出す3年前の1850(嘉永3)年佐賀藩反射炉(築地反射炉)が日本初の実用反射炉として完成(日本近代産業化の一歩)。樹齢15年の1868(明治元)年鉄道寮新橋工場・機械館の鋳鉄柱の一部に日本製が使われ始める。樹齢41年の1894年日本初の鉄骨造。樹齢58年の1911(明治44)年日本初のRC造。樹齢115年の1968(昭和43)年日本における最初の超高層ビルとされる霞が関ビルが竣工。樹齢159年の2012(平成24)年スカイツリーが竣工」。
大木の生い立ちも悠久の長い歴史の流れの中のほんの一瞬である。その一瞬でも建築にまつわるエポックメイキングな出来事が多くあった。そして、今芽生えたヒノキが大木になるまでの間に、どんな世の中になって、どんな建築ができているのだろうかと、大木の伐り株にそんな思いを巡らせみた。
小山 充男(こやま・みつお)
東京都建築士事務所協会会誌専門委員会・北部支部、建築工房 上二 一級建築士事務所
1967年長野県松本市生まれ/武蔵野美術大学建築学科卒業
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