永山祐子さんを講師に特別講演開催
令和6(2024)年1月31日(水)@明治記念館
鷹取 奨(東京都建築士事務所協会研修委員会・南部支部、鷹取1級建築士事務所)
講演する永山祐子さん。(撮影:大平 孝至)
 新春賀詞交歓会に先立って開催された「令和6年特別講演」では、建築家・永山祐子さんを講師にお招きし、「建築というきっかけ」というタイトルで講演していただきました。
 講演は代表作を5作ピックアップして、スライドを交えて、設計理念、手法などを解説していただきましたが、設計にとどまらず施工方法や素材に至るまでその意図が明確に反映されていることに感銘を受けました。
丘のある家
 最初に取り上げられたのは独立後初期の作品となった「丘のある家」。三方を高い建物に囲まれ、北東側の道路にしか開けていないという住宅にとっては厳しい条件に対し、メガホンのように空に向けて開いた斜めの壁を持つ中庭を設ける、という解を導かれたのですが、ダイナミックに交差する斜めのラインによって光や風を取り込む装置であることを軽々と超え、風景として住み手の心に訴えかける作品でした。
豊島横尾館
 瀬戸内海に浮かぶ島に設けられた横尾忠則氏の美術館で、一部増築部分はあるものの基本的に古民家のリノベーションになっています。
 エントランスの赤いガラスを通して見える庭。赤いガラスを通すことで景色がモノクロームになり、奥に広がる空間を非日常的なものにしています。そして庭に出ると入館者は石が赤く塗られていたことに気づかされます。赤いガラスがある種の結界となっているのです。永山さんは、のどかな島の住民がこの赤いガラスを受け入れてくれるかどうか心配だったと仰いますが、「作品と合っていると思う」と、むしろ一緒に美術館をつくり上げていくことに協力してくれたそうで、池に貼られたモザイクタイルは島の人びとの手によるものです。
女神の森セントラルガーデン
 非常にシンプルでシャープなシルエットを持つ建築ですが、樹木の伐採を最小限にとどめて周囲の自然に馴染むよう計画されています。工事で失われてしまう自然を森のカラーパレットを作成してできるだけ元の姿に戻すそうという試みも自然への配慮でしょう。大きなエントランスやロビーを持たず、遊歩道にその役割を担わせることで森とのつながりを図っています。これは日本建築の考え方に通じるものがあると思いました。また「森綾」模様の鋳物パネルを用いるなど、無機質にならない配慮もきめ細やかな感性からの発想だと思いました。
ドバイ国際博覧会日本館
 リユース可能な鉄のフレームに薄い膜を張り、半戸外的な空間を創出しようというのも正に日本的な発想だと思いますが、そこは中東というまったく異なる文化や気候風土を持つ国での建設。現地のスタッフや職人さんたちとそのコンセプトを共有するには相当なご苦労があったようです。年間降水量が日本の1/20で灼熱の砂漠が続くお国柄ですから、自然に対する考え方が違って当然です。特に水に対する感覚は違いますが、永山さんはそこに着目します。建物の周囲に水盤を巡らせて水面を通った風を建物に取り込む、まさに日本的な発想ですが、ドバイの方々もその涼感と美しさには目を見張ったことでしょう。建物を覆う膜も日本的な発想、自然と対峙することなく身を委ねてゆらゆらと動き、強烈な日差しを和らげつつ光を取り込みます。これも日光とは遮断するべきもの、という中東の常識を覆すものだったでしょう。
 万博のパビリオンは会期が終われば取り壊される運命にあります。そこでドバイではフレームと膜を再利用し次回万博の開催地である大阪につなげることも試みられています。大阪・関西万博の「ウーマンズパビリオン in collaboration with Cartier」がそれです。
 「持続可能な」は世界的な規範となりつつありますが、日本には元々「もったいない」文化があります、その意味でも「ドバイ国際博覧会日本館」は日本的なものだったといえると思います。
東急歌舞伎町タワー
 永山さんは歌舞伎町が元々沼地であったことに着目し、水をテーマにデザインすることで歌舞伎町のシンボルたることを目指されました。
 外観は正に噴水のイメージ。それを具現化するために、ガラスの角度を微妙に揺らし、ホテルの窓を表すアーチと日本の波を表す伝統柄の青海波のふたつの意味を込めたオリジナルの白いパターンを、ガラスの外部側表面にセラミックプリントを施して外皮をつくり、噴水のキラキラした部分と水飛沫の白い部分を表現されました。
 現在の歌舞伎町はといえば、ここがかつて水にちなんだ土地であった痕跡を見つけ出すことは難しいですが、江戸時代は豊富な水を利用した染め物の街でした、そんな埋もれかけた土地の記憶を呼び覚ますこともまた日本的な感性といえるのではないでしょうか。
鷹取 奨(たかとり・すすむ)
東京都建築士事務所協会南部支部副支部長、鷹取1級建築士事務所
1958生まれ/芝浦工業大学建築学科卒/鷹取一級建築士事務所、東京都建築士事務所協会南部支部