思い出のスケッチ #316
中井 林芙美子記念館
山本 忠順(東京都建築士事務所協会新宿支部、株式会社LAU公共施設研究所)
 今、住んでいるところからの徒歩圏内に「林芙美子記念館」がある。春のある土曜日、天気が良かったので、ぶらっと訪れてみた。大勢の見学客でにぎわっていて(ほとんど女性)、その人気の高さを、今もなおうかがわせた。
 林芙美子については、今さら説明の必要もないであろうが、自伝的小説『放浪記』は、つとに有名である。一九六一年に舞台化され、またテレビでも放映された。主演の森光子さんが「でんぐり返し」をするシーンを、鮮明に覚えている。『放浪記』は「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない……したがって旅が古里であった」との出だしで始まる。第一次世界大戦後の暗い東京で、飢えと絶望に苦しみながらも、したたかに生き抜く主人公の姿が多くの読者をひきつけ、ベストセラーとなった。
 「林芙美子記念館」は、新宿区の北西、中井・四の坂にあり「博物館」とされている。昭和一六年から、昭和二六年にその生涯を閉じるまで住んでいた住宅である。芙美子は建築についての思い入れは格別だった、とのことで、設計は山口文象に頼んでいる。数寄屋造りで、生活棟とアトリエ棟(夫が画家)の二棟からなり、良く維持管理がなされていると思われた。
 スケッチは、四の坂から玄関に入る「門」であるが、現在は使われておらず、出入りはさらに坂を上った「通用門」を利用する。
 苦しみながらもしたたかに生きた林芙美子の生涯について知ると、それにふさわしい住まいの明るく温かな雰囲気に、しばしゆったりと浸ることができた。
山本 忠順(やまもと・ちゅうじゅん)
LAU公共施設研究所代表取締役、東京都建築士事務所協会新宿支部相談役
1944年生まれ/東北大学建築学科卒