草木の香りを訪ねて──世界香り飛び歩記 ⑧
アルゼンチンの草木
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
街路を明るく彩るパロボラッチョ。
酔っぱらいの木パロボラッチョ。
ブエノスアイレスの街路を彩るピンクの花パロボラッチョ
 再度アルゼンチンを訪れる機会に恵まれました。今回の訪問は2月です。しかし、熱き情熱を思わせるアルゼンチンの代表的な濃紫色の花、ジャカランダにはまたまた、花の時期に合わずじまいでした。が、今回は街路をピンク色で彩るパロボラッチョの歓迎を受けたのです。ブエノスアイレスの大通りはパロボラッチョのこんもりとした木がピンクの花で埋め尽くされていました。ブエノス市内の通りには3,400本以上のパロボラッチョが植えられているとのことです。
 日本では春の訪れを知らせる木に薄桃色の花を咲かせる桜がありますが、アルゼンチンではピンクの花を一面に咲かせるラパッチョという木があります。ラパッチョの開花は10月から11月ごろ、南半球では春の始まりです。今回は夏の時期、ラパッチョではなく思いがけなく咲き盛るパロボラッチョの花に出会ったのです。花が葉の芽生えに先立って咲き、その薄桃の色を木一面に広げるソメイヨシノに比べ、緑の葉の上にピンクの花を一面に咲かせるパロボラッチョ。桜のように花だけになるとまた見栄えも違うのかもしれません。
 パロボラッチョ、スペイン語では酔っぱらいの木の意味なのです。なんとも滑稽な名前です。野原に1本だけ生えているのを見ると幹の中ごろがまろやかに膨らみ、まるでメタボのような木です。木の形に似あわずピンクの鮮やかな花をつけ、実となり、その実がはじけると真っ白な綿をはじき出します。日本語では「トックリキワタ」、漢字で書けば「徳利木綿」です。日本語の酒徳利とスペイン語の酔っぱらいが結びつくところがまた、おもしろみを誘います。
 不思議なことに街路に並木として生えているパロボラッチョはとてもメタボには見えず、ごく当たり前の樹形なのです。1本だけ単独に生えていると木ものんびりと過ごし太ってしまうのでしょうか。
 ところでラパチョ(Tabebuia avellanedae)はノウゼンカヅラ科の樹木で街路樹によく利用されますが、イペープレトの別名も持つ中南米では重要な木材です。木肌が緻密で比重も大きく1前後で日本の木で言えばカシより重く、耐水性、防虫性にも優れているので建築用の構造材、ウッドデッキや橋、フローリングなどにも利用されています。
 中南米のインディオなどの先住民は内樹皮を煎じて関節炎などの痛みを和らげるのに使用してきました。材にはラパコールという皮膚炎などのアレルギーを起こす物質が含まれていることでも知られています。実はこの成分が耐虫性にも一役買っているのですが、きれいな花を木一面に咲かせるラパチョは毒も含んでいるのです。「美しいものにはとげがある」ということかもしれません。
ハドソンとその生家。
左:サントリ―財団の寄付で整備されたハドソンの展示室。右:野鳥の標本のあるハドソンの展示室。
ハドソンの生家に残る巨大な草オンブーの木。
興味を誘うアルゼンチンの木──オンブー
 ブエノスアイレスの公園を歩いていると大きな枝を四方八方に広げ、広場の一角を占めつくさんばかりに立っている木が目に入ります。オンブーの木です。
 実はアルゼンチン原産のヤマゴボウ科の巨大な草なのです。昔はこの木の灰と牛の油を混ぜて石鹸をつくっていたといいます。葉や樹液は有毒で、木のそばで飲んでいるマテ茶に落葉が入るならば毒に侵されてしまいます。
 『はるかな国・とおい昔』の著作で知られる博物学者のハドソン、その幼少のころはブエノスアイレスの郊外で育ち、その家の周囲には10数本のオンブーの木が並んでいたといいますからさぞ壮観だったでしょう。そのハドソンの生家には現在1本だけが当時の面影を残しています。そして生家にはサントリー財団の寄付によって整備された展示室などがあります。
ところでオンブーの木も酔っぱらいの木も見上げるような大木ですが、最近日本ではポット植えで室内用に売られているというから驚きです。
ブエノスアイレスから一路パラナ亜熱帯林へ
 ブエノスアイレスから南北に細長いアルゼンチンの東側を走ると広大な牧草地と畑が目につきます。さらにどこまでも北上しアルゼンチンの最北に達すると景色は一変し森林が広がります。ミシオネス州です。アルゼンチンの東北部のこの地はパラナ亜熱帯林で知られている森林地帯で、本来の自然の林も存在しますが、マツ、ユーカリなどが植林され、その林の中に枝を上向き加減の横に張り、整った円錐形の樹形のアローカリアがその特徴ある姿を見せています。
 中南米ではブラジルに次ぐ第2位、世界第8位の国土面積を持つアルゼンチンは農業国で、肉牛、コムギ、トウモロコシ、ダイズの生産が盛んで農地として開発されたところが多く、森林率はおよそ10%に過ぎません。ミシオネス州は、アルゼンチンの中では面積の小さな州ですが、それでも日本で言えば岩手県と福島県を合わせたほどの面積を持ち、森林率は70%もあり、自然豊富な州です。
 州の最北部、ブラジルとの国境には世界最大級の滝、世界自然遺産のイグアスの滝があり、その周辺には多様な野生動物が生息し、自然の中での生活を満喫できるところです。
土手にはびこるチルカ。
パイオニア植物のチルカ。
精油採取装置。木枠にビニルシートを敷いた冷却部。
伝承の薬木チルカ
 ミシオネス州の林の中に走る細い赤土の道路、その道路際に草丈50cmほどの灌木とも草とも見える植物が目立ちます。チルカ(Chilca: Baccharis salicifolia)です。
 細い枝先にアザミのように切れ目のある細い葉をいくつもつけて垂れ下がる様はヤナギのようです。学名にあるsalicifoliaはヤナギの葉を意味しています。木を伐採した後に一斉に生えてくるいわゆるパイオニア種で、マテ茶の畑の脇の土手などに密生しているのをよく見かけます。
 チルカは病虫害に強く、アルゼンチンの中央部から北米にまで分布しているキク科の灌木で、mule fatの異名を持っていますが、それは北米西部のゴールドラッシュ時代にミュールジカのえさにチルカを食べさせていたのでその名がつきました。原住民たちは葉の煎汁を洗眼やはげ防止に用いていたそうです。また、鼻腔炎や頭痛、傷口の痛みどめにも用いていました。
 そんなチルカの精油を採取している人がいると聞いてアルゼンチンの最北部まで訪ねたのです。リカルドと名乗るその人は24歳の時から精油を採りはじめ20年間チルカの精油を採取しているとのことでした。最初はチルカからは精油は採れないぞといわれながら始めたそうです。初めの4年間は失敗続きでしたが、いまでは工夫により実現化しています。ステンレス製で手の込んだいかにも高価な感じのする装置を見慣れている私たちにとっては、リカルド氏の装置は古い蒸気釜を利用した蒸留槽と、木の枠にビニールシートで水漏れを防ぐ冷却槽という粗末なものでしたが、十分に精油を採取できるものでした。
 製材端材などの廃材で蒸気をつくり、600kgのチルカから蒸留で580gの精油が取れるといいます。1ヘクタール当たりからは3kLの精油が取れる計算です。今後はブタの糞からつくるバイオガスを熱源として使う予定だとも言っていました。ブタのし尿からのガスはベトナムのブタ飼育場でも大仕掛けで行なっている方法です。ここでもバイオマスの有効活用が浸透していることを実感させられました。
 チルカの葉は現地ではお茶として飲むと整腸によいことや、精油は傷口に塗布すると傷口の癒合が早く治癒が早いなどで民間療法として使用されてきました。ミシオネス地方では子供をしかる時にチルカの枝でぱちんとはたくのだそうです。このことからもわかるようにそれほど大きく太くなる木ではありませんし、ごく身近な木なのです。また、その程度の太さが蒸留用の小枝にも適しているのでしょう。
 精油は関節痛によいことや、最近では養毛によいということで米国からも引き合いが来ているとのことです。また、疥癬にはクリームとして塗布すると効果があるということですでに製品もできていました。前立腺がん、抗炎症、抗潰瘍、抗酸化作用もあることが知られています。リカルド氏によればドイツの製薬会社がブラジルに投資してチルカの精油を購入しているとのことです。わが国にはまだ持ち込まれてはいないようです。
 伝承的に用いられた植物が現代の科学の力でその作用が解き明かされて利用の道を広げていくものはまだまだたくさんありそうです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
NPO炭の木植え隊理事長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長・教授、香りの図書館館長(フレグランスジャーナル社)を歴任。専門は天然物有機化学
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