世界コンバージョン建築巡り 第14回
タリン──世界遺産都市の城壁内外での異なるコンバージョン
小林 克弘(首都大学東京教授)
バルト三国略地図
タリン略地図
1. 旧市街の高台から見た歴史地区の街並み。
2. 旧市街の市庁舎前のラエコヤ広場。
はじめに
 タリンと聞いても、ピンとこない方も多いかもしれない。バルト三国の最北に位置するエストニア共和国の首都であり、バルト海フィンランド湾に面する人口約40万人の港湾都市である。バルト三国は、ソ連崩壊後の1991年に独立を果たし、現在では、EUとNATOの加盟国であり、他のヨーロッパ諸国に比べ物価も安く、近年、観光地としても注目を浴びつつある。タリンの旧市街は、中世以降のまちなみを美しく残しており、1997年にタリン歴史地区としてユネスコの世界文化遺産に登録されている(1、2)。
 しかし、その歴史は苦難に満ちたものであった。タリンには、もともとエストニア民族が住み、11世紀には交通と軍事の拠点として認識されはじめ、城壁の建設が始まった。1285年にはハンザ同盟都市に加入して海上交易で栄えることになるが、その後、エストニアは、次々にデンマーク、ドイツ、スウェーデン、帝政ロシアの支配を受ける。第1次大戦後に一時的な独立を果たすが、1940年にはソ連に、すぐさま、ドイツに占領された後、1944年からは半世紀近くにわたってソ連に再支配され続けた。
 城壁で囲まれたタリンの旧市街は、世界遺産であるため、建築外観の改変が制限されるが、城壁のすぐ外側には、19世紀末から20世紀初頭に建てられた工場群が多く残る。こうした都市構造のゆえに、タリンのコンバージョンは、大きく2タイプに分けることができる。ひとつは、旧市街内の観光振興のためにホテルや博物館を整備するというコンバージョンであり、他は、市周辺の工場や倉庫などの産業施設を商業施設や文化施設にコンバージョンするという類である。
3. 旧市街周辺に残る城壁と城壁塔。
4. キーク・イン・デ・キョク、外観。
5. 同上、エントランス。
6. 同上、上階の展示室。床には、46の塔の模型が並べられている。
7. 同上、最上階の展望室とラウンジ。床の一部は、ガラス床となっており、下階を見下ろすことができる。
8. 太っちょマルガレータ、外観。
9. 同上、新たに挿入された放射状の構造体。
10. 同上、迫力のある吹き抜けの展示空間。
11. 聖ニコラス教会、外観遠景。
12. 同上、エントランス回りの外観。
13. 同上、礼拝空間が展示空間に転用されている。
14. 同上、地下通路。トイレやショップが設けられ、博物館としての機能を補完する。
15. 大ギルド会館、外観。
16. 同上、上階の展示室。
17. 健康博物館、外観。
18. 同上、エントランス・ホール。
19. ホテル「三人姉妹」、外観。
20. 同上、内部のホテル・ロビー。
21. ホテル・テレグラフ、外観。
22. 同上、街路沿いのラウンジ。
23. 同上、既存と増築の間に設けられたガラス天井のレストラン。
旧市街内のコンバージョン──展示施設やホテルの整備
 タリンには、城壁と付属する監視塔や砲塔が良く残っている(3)。それらの城壁塔も、コンバージョンによって有効に活用されている。そのひとつ、「キーク・イン・デ・キョク」(4 - 7)は、15世紀末に建設された大砲塔を博物館へ転用した事例である。タリンでは15世紀以降、46の塔がつくられたが、20の塔が現存し、この事例はそのひとつである。建物は地下1階、地上4階の5階建てで、展望階の最上階を除く4階分が展示空間として利用されている。床の一部をガラス張りにし下階を見せる手法や木造の構造体を内部に挿入して床を新設することなどにより、展示空間に変化を与える工夫も見られる。
 「太っちょマルガレータ」(8 - 10)は、16世紀に建造された砲塔を海洋博物館に転用した事例である。円筒形の内部空間に、中央の螺旋階段と放射状の構造体を新設し、大きな吹き抜け空間を設けて、迫力のある開放的な大展示空間を創出している。既存外壁および円筒形の形をうまく活用したコンバージョンといえるだろう。
 旧市街には、城壁塔以外のコンバージョンも多い。「聖ニコラス教会」(11 - 14)は、13世紀前半に建てられた教会が、博物館に転用された事例である。遠望した外観は、素朴な教会という印象であるが、エントランス回りは増築によって複雑な形態が混じり、ダークグレイに塗装されたエントランスは不思議な印象を与える。ここから入り、地下に増築された教会の歴史資料を展示する通路を通過した後に、展示室として利用されている既存の教会空間に至る。地下増築部には博物館としての機能を補完するトイレやショップが設けられた。教会内部での展示は、なかなか迫力がある。
 「大ギルド会館」(15、16)は、1410年に商人のギルドとして建設された建物が、エストニア歴史博物館に転用された事例である。この建物は、過去にも改修が行われており、2011年の改修ではそれらの時代の改修の痕跡を残すことにも配慮している。外壁に大きな操作はないが、内部の展示はよく工夫されており、ガラス床の使用や、各時代の改修の痕跡を塗装で対比的に示す操作などが見られる。
 「健康博物館」(17、18)は、15世紀に建てられたふたつの商人の家をつなげ、2015年に博物館に転用した事例である。単に既存躯体を露出するだけでなく、新たに曲面壁を挿入するといった工夫が見られる。2棟連結したため内部に段差があるが、回遊性のある展示空間が生み出されている。健康や人体をテーマにすることで、観光客の関心を引くという目的も垣間見える。
 「ホテル三人姉妹」(19、20)は、14世紀に後期ゴシック様式の商人の家として建てられた建築を、ホテルに転用した事例である。手前に事務所の大部屋があり、奥に居室の小部屋がある伝統的な空間構成を活かし、事務所だった箇所をエントランス・ホールやロビーとして活用している。建設当時の空間を使用した客室は、大小さまざまな空間であり、それがこのホテルの魅力ともなっている。
 「ホテル・テレグラフ」(21 - 23)は、1878年に逓信局として建設され、その後上階2階が増築された建築を、2007年にホテルに転用した事例である。内部は既存の階段や壁の一部を残しつつ、現代的な宿泊施設に転用されている。転用の際に、街路沿い外壁を保存修復しつつ、後方の既存建築を壊して増築棟を新設している。歴史地区であっても、街路に面していない部分では、こうした増築は許可されるようだ。
24. シープレイン・ハーバー、正面外観。
25. 同上、斜めから見た外観全景。
26. 同上、内部の展示空間。
27. エナジー・ディスカバリー・センター,正面外観。
28. 同上、内部展示空間。
29. ロッターマン・オールド&ニュー・フラワ・ストレージ、既存(右)と増築の間のアトリウム。
30. 同上、アトリウム内部。
31. 同上、増築棟側面外観。正方形立面の突出が特徴的である。
32. ロッターマン・カーペンター・ワークショップ、外観全景。既存と増築棟の対比が面白い。
33. 建築博物館、外観全景。
34. 同上、内部展示室。
35. 同上、地下展示空間。
36. テリスキヴィ・クリエイティブ・センター、道路沿いの棟。壁面に配置図が描かれている。同上、中庭側の建築群の光景。
37. 同上、中庭側の建築群の光景。中央は、レストラン。
38. 同上、レストランの内部。
城壁の外側に立地する産業施設などのコンバージョン
 城壁の外側では、工場や倉庫などの産業施設や軍用施設から商業施設や文化施設へのコンバージョンが多く見られる。海沿いの「シープレイン・ハーバー」(24 - 25)は、水上飛行艇格納庫を海洋博物館に転用した事例であり、既存のRCシェル構造の屋根などの主要躯体が特徴的である。内部空間には、既存建築と構造的に分離された歩道橋のような通路によって展示物の間を縫うような回遊動線を設けつつ、大空間を生かして、実物の潜水艦の大規模な展示などがなされ、迫力に満ちた博物館となっている。
 「エナジー・ディスカバリー・センター」(27、28)は、発電所が科学センターに転用された事例である。地下1階から地上2階までの細長い3層のヴォリュームで、切妻屋根のついた正面では、その長さがわからないが、側面道路沿に長く広がる外観をもつ。地下1階と1階に広がる吹き抜けでは、既存の構造が露出し、壁や床を適宜新設しながら、迫力ある展示空間が生まれている。
 旧市街の東側に近接するロッターマン地区は、19世紀のロシア帝国の主要な輸出品である建築用木材、蒸留酒、穀物などの製造と深く関わる重要な産業地区であった。1990年代に入り操業停止に伴い荒廃するが、近年、この産業地区全体でのコンバージョンが進行している。コンバージョンに際しては、増築を伴う場合が多く、新旧の対比的な共存が興味深い。脇と上部に増築を行った例としては、「ロッターマン・オールド&ニュー・フラワ・ストレージ」(29 - 31)がある。この事例は、穀物庫がオフィスに転用された事例であり、新旧棟の間には、ガラスの壁と天井によるアトリウム空間が設けられた。増築棟の外壁は、正方形立面のガラスのヴォリュームをランダムに突出させるという、今日的なデザインがなされている。「ロッターマン・カーペンター・ワークショップ」(32)は、既存の製材所が、低層部に商業施設、屋根から突出する3つの増築棟にオフィスが入る形にコンバージョンされ、不思議な外観を生み出している。ロッターマン地区には、数多くのコンバージョン事例が集積されつつあり、今後の変貌が楽しみである。
 ロッターマン地区に近接した「建築博物館」(33 - 35)は、塩倉庫からの転用事例である。ロッターマン地区で取り扱う塩がここに集められ、地下のアーチ状の柱によって支えられた空間に貯蔵されていた。地下展示空間では、既存のクロスヴォールトが保存され、柱脚部には照明や電源等の設備を内包した基壇状の台座が設置されている。一方、1階は開放的な空間であり、対比的な展示空間をつくり出している。
 「テリスキヴィ・クリエイティブ・センター」(36 - 38)は、タリン駅の裏手に位置する鉄道線路に囲まれた扇形一帯に広がるテリスキヴィ地区に建つ、産業施設群のコンバージョンである。2009年からタリンの創造産業の核としてコンバージョンされ始め、大空間を生かしたギャラリーや飲食店や商業施設などが入っている。この地区一帯は、現在も開発が進みつつ、エストニアにおける一大創造産業地区に変貌しつつある。
39. エストニア国立博物館、正面外観。
40. 同上、内部の展示空間。
41. タルトゥ大学歴史博物館、外観。右に博物館があり、左は廃墟を展示している。
42. 同上、かつての図書館の読書室を保存展示。
まとめ
 タリン旧市街は、歴史地区であるため、外観の改変が制限されるが、内部の建築改修によって、必要とされる施設に転用する創意工夫が理解される。城壁外では、外観の制約がない産業施設群に対して、ロッターマン地区に見られるように、適宜増築も行いながら、独特なコンバージョン・デザインが生み出されている。
 最後に、日本でも話題になったタルトゥの「エストニア国立博物館」(39、40)に触れよう。タルトゥは、タリンから南東約160km距離にある歴史都市であり、ここで行われたエストニア国立博物館の設計競技で田根剛らの案が最優秀となり、近年完成した。ソ連時代の滑走路の記憶を生かしたリニアな案であり、そのエントランスのキャンティレバーや、内部の開放的な雰囲気は、独特である。新築であるが、滑走路の記憶と結びついている点は、コンバージョンと無縁ではない。
 タルトゥの興味深いコンバージョン事例は、「タルトゥ大学歴史博物館」(41、42)であり、15世紀に完成し、その後荒廃したゴシック様式の大聖堂が、1806年に大学図書館に、1982年に歴史博物館に転用された事例である。大聖堂の身廊部分は、廃墟として展示物の一部を構成し、建物内部は大学図書館時代の読書室や吹き抜けに面する階段室が修復保存され、大聖堂から図書館への転用の履歴も見ることができる。ここでも、キイワードは記憶である。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など