世界コンバージョン建築巡り 第13回
モスクワ──謎めいた世界都市でコンバージョンが暗躍する
小林 克弘(首都大学東京教授)
モスクワ略図
クレムリン。全体を、モスクワ川南岸から見る。城壁の中に、教会群(右)も残る。
赤の広場。中央の段上の建築物がレーニン廟。
赤の広場夜景。クレムリンの塔(左)、グム百貨店(中央)、聖ワシリ聖堂(右)の光景はディズニーランドのよう。
はじめに
 モスクワは、ロシアという秘密めいた国の首都であり、現在でも観光ビザが必要とされ、何か近寄りがたい雰囲気もあるが、独特の魅惑を備えた都市である。その建築文化は、大きくはヨーロッパ文化圏に属するが、ロシア正教の聖堂はビザンチン様式を発展させた独自の形態をもち、1920年代の構成主義的近代建築やスターリン時代の高層建築など、さまざまな建築様式の宝庫でもある。
 モスクワは、蛇行するモスクワ川河畔に位置し、13世紀末にモスクワ公国の中心の小都市として始まった。15世紀末にモンゴル帝国から独立して、首都としての建設が進む。城砦を意味する「クレムリン」(1)も、この時代から整備が進み、城壁内には行政施設のみならず、「ウスペンスキー聖堂」等の教会群も残存する。17世紀初めには、ロマノフ朝が成立し、クレムリンを中心に同心円状の発展を遂げる。ピョートル大帝治世時の1712年に、新たに建設されたサンクトペテルブルクに首都の座を譲り、19世紀初頭のナポレオン戦争時代には、多くの破壊を経験する。その後、ロシア革命を経て、ソビエト連邦の成立と共に、モスクワは再び首都となった。1991年のソ連崩壊後も首都であり続け、現在では、人口1,200万人を超えるヨーロッパ最大の都市になっている。
 クレムリンの脇に立地する「赤の広場」(2、3)には、「聖ワシリ聖堂」(1561年)、「グム百貨店」(1893年)、「レーニン廟」(1930年)などが混在し、不思議な雰囲気を醸し出している。
 都市構造としては、モスクワはクレムリンを中心とした同心円構造をもつ。中心部には、歴史的建築、公共建築、商業建築、集合住宅が混在し、周縁に住宅地区や工場地帯が立地する。
 しかし、モスクワ川の北側が都市の発展の核であり、川の南側は発展が遅れたため、20世紀初頭にはクレムリン近くの川の南側にも工場が建設されたという経緯もある。要は、同心円構造と川の南北で性格が異なる構造が重なり合うという都市構造といえるだろう。
 モスクワでも、近年、さまざまなタイプのコンバージョンが盛んである。中心部では、居住施設や公共施設からの転用が多く見られ、環状道路内の東側外縁には産業施設工場からの転用が多く見られる。これらを、順を追って辿っていくことにしよう。
建築博物館。道路沿い外観。18世紀末建設の貴族の大邸宅を転用。
建築博物館。本館内の展示室。展示品は、過去のクレムリン改造計画の模型と思われる。
建築博物館。裏側の小建築物内の展示室。
ロシア建築家連合オフィス外観。上部と裏側に増築がなされている。
ロシア建築家連合オフィス。2階の階段室前ロビー。
ロシア建築家連合オフィス。訪問時には、学生コンペの審査用展示がなされていた。
マヤコフスキー博物館。旧KGB本部ビルに隣接した新古典主義建築。この裏側にアパート棟がある。
マヤコフスキー博物館。新古典主義建築の道沿いにマヤコフスキーの像がある。
マヤコフスキー博物館。マヤコフスキーが住んだアパート。手前に現代的デザイン要素が付加された。
マヤコフスキー博物館。内部の展示空間。
チェーホフ博物館外観。今や中層となったまちなみの中に、ポツンと残る。
チェーホフ博物館内部展示室。チェーホフの生活の様子を再現している。
居住施設からの転用
 クレムリンから徒歩数分に立地する18世紀末建設の貴族の大邸宅が、近年、「建築博物館」(4 - 6)に転用された。表通りに面した堂々たる新古典主義様式の本館と、裏側のふたつの古い建物からなり、本館では大きな模型展示などがなされ、裏側の2棟では、パネル展示を主体とした企画展が行なわれている。転用に際して大きな改修を行ってはいないが、博物館全体を見ると、クレムリンの近くであっても、大通り沿いは整備された建築が建つが、その裏側には古い小建築群が残存していることが理解できて興味深い。
 「ロシア建築家連合オフィス」(7 - 9)は、19世紀に建てられた住居の上部および裏側に新たなヴォリュームを付加し、全体をオフィスに転用した事例である。既存部外壁や内部の重要なインテリアを保存しつつ、オフィスの機能的欲求を満たしており、歴史的建造物の保存と増築による活用を行った模範的な事例となっている。
 「マヤコフスキー博物館」(10 - 13)は、革命詩人マヤコフスキーが晩年に住み、ピストル自殺したアパートを博物館に転用した事例である。元アパートの建物自体は、旧KGB本部ビルに隣接した新古典主義建築の裏側に位置するが、道沿いにもマヤコフスキー像が置かれて来館者を誘う。広場に面したアパート前には、現代的なファサード要素が付加されている。内部は、スロープ、吹き抜け、階段などがダイナミックに組み合わされ、激彩色を伴って、マヤコフスキーの人生そのものを表現する劇的な展示空間になっている。マヤコフスキー関連の資料も貴重だが、何といっても、展示空間そのものが興味深い。
 「チェーホフ博物館」(14、15)は、19世紀後半の文豪アントン・チェーホフが若いころに住んだ住宅をハウス・ミューシアムへと転用した事例である。住宅の内部は既存の姿を保存しながら、彼が使用した家具や生活の様子などを展示されている。当時は、住宅地であったと思われるが、現在では中層ビルが立ち並ぶ環状道路に面しており、その中にピンク色の特徴的なファサードが残っている光景は独特である。こうしたハウス・ミュージアムは、コンバージョンとはいい難い面もあるが、近くには、プーシキン、ゴーリキーなどの著名文学者のハウス・ミュージアムも数多く見られ、ロシア文学に対する誇りが強く感じられる。
現代美術館ガレージセンター(設計:OMA)。外観全景。あたかも新築に見える。
現代美術館ガレージセンター。エントランスホール。
現代美術館ガレージセンター。カフェテリア。既存の壁が露出している。
現代美術館ガレージセンター。階段室。
バフメーチェフスキー・バスガレージ外観。メーリニコフのデザインを保存する。
バフメーチェフスキー・バスガレージ。内部のカフェテリア。
バフメーチェフスキー・バスガレージ。駐車平面形式の斜めを、立体的に生かしたダイナミックな展示室。
公共施設からの転用
 「現代美術館ガレージセンター」(16 - 19)は、クレムリンの近くモスクワ川南岸のゴーリキー公園内に残っていた旧ソ連時代のパヴィリオンを現代美術館へ転用した事例であり、レム・コールハース率いるOMAによる改修設計である。既存の荒廃した煉瓦壁や構造体など、利用可能な部分を残しつつ、二重の半透明材を用いた外壁によって新たな外観をつくり出ししている。内部空間では、既存部と新しい要素による対比的な空間演出が見られるが、外観はほとんど新築に見える。既存建築は、保存しなければならないほどの歴史的価値はないと思われるが、その分、コールハースは外観と内部空間双方において、自身のデザインを十分に発揮できている。
 「バフメーチェフスキー・バスガレージ」(20 - 22)は、ロシア構成主義の建築家コンスタンチン・メーリニコフが設計した公共バスの駐車施設が、現代美術ギャラリーに転用された事例である。バスの駐車施設であるため、環状道路の北の外側に立地する。独創的な斜行駐車方法を反映した平面を立体化したような、特徴的な斜めのデザインが随所に見られる。既存の外壁と屋根構造を保存し、内部の大空間をさまざまな仕切りを用いて展示空間を構成し、構成主義のダイナミズムを強化したような改修がなされている。
レッドオクトーバー・ファクトリー。川向のクレムリン近くから見た全景。
レッドオクトーバー・ファクトリー。棟の間の空間。上部に連絡通路が見える。
レッドオクトーバー・ファクトリー。内部テナントのカフェテリアの様子。
現代美術ワイナリーセンター。中央の広場。複数の棟から成る。
現代美術ワイナリーセンター。アートギャラリーのひとつ。既存空間の中に、新たな要素を挿入。
現代美術ワイナリーセンター。オフィスへの転用部分。既存構造体と外壁の一部を残した大掛かりな改修。
アートプレイ。地区全体のコンバージョン。ポップな都市光景が生み出されている。
アートプレイ。ひとつの棟内のカフェテリア。
アートプレイ。ひとつの棟内の照明関連のショールーム。
ARMA。複数の工場の転用。
ARMA。内部の家具ショールーム。
ARMA。ガス貯蔵施設のコンバージョン。上部増築が見られる。
産業施設からの転用
 「レッドオクトーバー・ファクトリー」(23 - 25)は、モスクワ川を挟んでクレムリンのはす向かい、南岸に立地するチョコレート工場が郊外へ移転したことに伴い、2008年に芸術学校、オフィス、店舗、ホテルなどの複合施設へと転用された事例である。このような中心部に工場が立地していたこと自体が驚きではあるが、モスクワ川の南側は産業施設も多かったことの証でもある。外壁の赤煉瓦を残し、連絡通路や配管など機能的に必要な部分を付加する建築操作が見られる。こうした立地のよい産業施設の転用は、有効な都市整備である。
 「現代美術ワイナリーセンター」(26 - 28)は、1809年に建設された酒造工場が、2007年にアートギャラリー、オフィステナントの複合施設へ転用された事例である。複数の棟からなり、既存外壁を保存しつつ塗装による補修を統一的に行っている外観とは対照的に、内部では、入居するテナントによる独自の内装改修が施されている。産業系施設のコンバージョンとしては、モスクワでは初期の例のひとつである。
 「アートプレイ」(29 - 31)は、製品工場群からなる地区全体が、2010年にデザイナー系オフィスを含む複合施設へ転用された事例であり、全体の床面積は7万㎡以上にも及び、モスクワ市内で最大規模のコンバージョンである。各棟は、彩度の高い色調の特徴的な外観に改修されて、群として新しい都市風景を創出している。
 「ARMA」(32 - 34)は、1865年に建設されたガス施設群が、2013年にオフィスと商業テナントを中心とした複合施設へ転用された事例である。既存の煉瓦壁の補修、テナントのための内部改修などが行われ、とりわけ上部増築を伴ったガス貯蔵施設の外観は、特徴的である。地区全体のコンバージョンであるため、周辺地区への波及効果は大きい。
労働者クラブ。コンスタンチン・メーリニコフ設計。ロシア構成主義の代表作のひとつ。
セントロソユーズ。その前には、近年、ル・コルビュジエの大きな像が置かれた。
外務省ビル。スターリン様式の高層建築のひとつ。
地下鉄駅のひとつ。すべての駅のインテリア・デザインが異なる。
開発中のモスクワ・シティ。高層建築群から成る新しいビジネス街。
まとめ
 以上、モスクワでも、さまざまなコンバージョンが見られるが、工場群からなる地区全体を変化させるという大規模なコンバージョンが多いことは、大きな特徴である。かつては都市周辺に立地していた工場群を、商業やオフィスの用途に転用していくことは、都市の再整備にとって適切かつ効果的な手法であろう。
 最後になったが、コンバージョン以外で、モスクワ特有の近現代建築にも触れておこう。
 1920年代の構成主義に関しては、あまりにラジカルなものは実現していないものの、かなりの数の構成主義建築が実現している。たとえば、メーリニコフの「労働者クラブ」(1929年、35)は、そうした例のひとつであるが、都市の中心部に、最新の近代建築を大量に建設したという事実は、レーニン時代のモスクワはヨーロッパでもっとも進歩的な都市であったということを示している。ル・コルビュジエが基本設計を行った「セントロソユーズ」(1935年、36)もそうした例のひとつである。ちなみに、この建築の前には、近年、ル・コルビュジエの大きな像が設置された。
 スターリン時代になると、近代建築は否定されて、独特の新古典主義建築が主流になる。スターリンは、アメリカに対抗して、モスクワを高層都市にするという野望を持っており、第2次世界大戦後から1950年代前半にかけて、7棟の高層建築を実現した。「外務省ビル」(37)は、そうしたスターリン様式高層建築のひとつである。同じ時期に建設が始まった「地下鉄駅」(38)も、駅ごとにデザインを変えるという、たいへんな熱の入れ方である。
 1991年のソビエト解体後、21世紀になってからは、市中心部の西郊外に「モスクワ・シティ」(39)と呼ばれる、高層建築群が林立する新しいビジネスセンターを整備しつつある。ここでは、海外の資本を利用し、海外の著名建築家を起用するという動きも見られる。ロシアの経済不況が鎮まれば、モスクワは一段と面白い都市に変貌するだろう。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など