世界コンバージョン建築巡り 第9回
ベネチア──「永遠の水都」の内側で成熟するコンバージョン
小林 克弘(首都大学東京教授)
ヴェネチア略地図
1. 大運河沿いの光景。
2. 海から見るサンマルコ広場の光景。
はじめに
 ヴェネチアは、時間の流れを忘れさせる水の都である。旧市街、とりわけ「カナル・グランデ」(大運河)沿いの光景(1)、「サンマルコ広場」の光景(2)などは、何百年も同じであり続けているように見える。しかし、建物内部は大きく変化している。たとえば、大運河沿いの地区では、パラッツォ(邸館)から展示施設への転用がなされてきたが、今世紀に入る前後から、さらに拍車がかかった。また、近年では、アルセナーレ(造船所)が立地し、現在海軍基地にも使用されているカステッロ地区では、旧造船所関連施設の事務所などへの転用が進む。その他、旧市街周辺の産業系施設もさまざまに転用されつつある。今回は、こうしたヴェネチアのコンバージョンの世界を巡る。
カ・ドーロ(フランケッティ美術館)
3. 大運河に面するヴェネチアン・ゴシックのファサード。
4. 大運河を臨むバルコニー。
5. 1階の中庭と運河に直結する倉庫。
6. エントランス・ホール。
7. 上階の主展示室。
カ・ペーザロ
8. 大運河に面するバロック様式のファサード。
9. 1階の大広間。
10. 既存の天井画と共存した展示空間。
パラッツォ・グラッシ
11. 大運河に面する堂々たるファサード。
12. 内部化された中庭。
13. 内部化された中庭上部。
プンタ・デッラ・ドガーナ
14. 岬の先端の三角形敷地に建つ旧税関。
15. 既存の煉瓦壁や木造天井と新しいコンクリート壁の対比的共存。
16. コンクリート打ち放しコンクリート壁で囲まれたセントラルコート。
大運河沿いのパラッツォの転用
 ヴェネチアでは、宗教建築でなくとも、ゴシック様式の細部を用いたパラッツォが見られ、それらはヴェネチアン・ゴシックと呼ばれる。大運河に面して15世紀前半に建てられた「カ・ドーロ」(3 – 7)は、その代表作である。1797年のヴェネチア共和国の終焉以降、「カ・ドーロ」の所有者は数度にわたって変遷し、一部改変などもなされた。1894年に所有者となったジョルジョ・フランケッティ男爵という人物は、「カ・ドーロ」をオリジナルに戻す努力を払い、1922年に自らが所有する美術品を中心に展示する美術館に転用し、それ以降「フランケッティ美術館」という名称で知られる。その後、1992年には、再度改修を行い、展示室が隣接するパラッツォの3階にも増殖している。
 「カ・ドーロ」は、大運河に面すると共に奥に中庭を持つパラッツォであり、元々は、1階は直接大運河に繋がる倉庫および事務所、2階から上が住居であった。現在の美術館の動線としては、まず裏側の建物を改修したエントランスに入り(6)、中庭経由で大運河に直結する1階の倉庫空間に入る。倉庫とはいえ、床のタイル張りが美しく、中庭の井戸のデザインなど、見どころも多い(5)。その後、エントランスに戻り、新たに設けられた階段室経由で上階の展示室に至る。上階展示室は、かつて大広間だった空間(7)とその脇の諸室からなる。運河沿いの広いバルコニー空間もオリジナルに近い形で残されており、大運河の眺めを楽しむことができる(4)。コンバージョンに際して、重要部分は保存修復を行っているが、一方、エントランスや主動線、上階展示室などでは、現代的なデザインがなされている。歴史的建築物と隣接棟を含めたコンバージョンであるため、動線や空間のつながりは迷路的な性格を帯びているが、それもこの美術館の大きな魅力のひとつである。
 「カ・ペーザロ」(8 – 10)は、1710年建設のバロック様式のパラッツォが、2002年に現代美術館に転用された事例である。1階の大広間を道から大運河に通じる公共空間として残しつつ(9)、上階の展示室では、既存の天井画と共存した展示空間がつくり出されている(10)。
 「パラッツォ・グラッシ」(11 – 13)は、18世紀中期建設の大運河沿い最大のパラッツォであり、その後展示施設に転用された後、安藤忠雄が再改修デザインを行った事例である。既存の中庭に帆のような柔らかい天窓を付加しつつ、柱や開口部などは既存の意匠を残す改修を行っている(12、13)。
 同じく安藤忠雄がコンバージョン・デザインを行った「プンタ・デッラ・ドガーナ」(14 – 16)は、1677年建設の税関倉庫を現代美術館へ転用した事例である。敷地は岬の先端に位置し、敷地形状に合わせた三角形の平面を持つ。内部は、平行した壁で分割された細長い空間であるが、その中に、安藤はコンクリート打ち放しの壁で囲まれた「セントラルコート」と呼ばれる新たな展示空間を挿入した(16)。既存の煉瓦壁や木造天井と新しいコンクリート壁の対比的共存が絶妙である(15)。
第56回ヴェネチア・ビエンナーレ、アルセナーレ会場
17. 煉瓦壁に金属の曲面体を付加した「イタリア館」入口。
18. 鉄骨でメザニン階や階段を挿入したショップ内部。
Tesa
19. アルセナーレの北岸に連なる造船所・倉庫関連施設。Tesaと呼ばれる。
20. 「Tesa 105」の内部空間。
ラミエリーニ1、2
21. ラミエリーニ1、2の外観。
22. ラミエリーニ2の内部空間。
23. ラミエリーニとTesaの連棟の裏側の間整備された広場。
CAV オフィス
24. 外観。
25. 内部空間。道路管理を行う企業のオフィス。細長いヴォリュームだが、採光を天井からのアクリルチューブによって確保しつつ、折れ曲がり傾いた襞のようなコールテン鋼壁面によって劇的な空間を生み出している。
カステッロ地区の再開発
 カステッロ地区、とりわけ、アルセナーレの造船所や倉庫のコンバージョンに際しては、ヴェネチア・ビエンナーレが大きな契機となった。このビエンナーレは、1895年から開催されている現代美術の国際美術博覧会であり、奇数年の6月から11月に開催される。ビエンナーレの主会場は、ヴェネチア島東端付近に位置するジャルディーニ公園、および、ヴェネチア共和国時代の国立造船所、アルセナーレである。ジャルディーニ公園は、開催当初からの会場であり、その園内には参加各国の政府が所有・管理する30の恒久パビリオンが建つ。一方、アルセナーレ会場は、1980年に建築部門が開催された際に、そのディレクターを務めた建築家パオロ・ポルトゲージの下で、16世紀建設の細長いロープ工場が会場となり、これを機会に、アルセナーレ南岸の再生が進むことになる。
 2015年に開催された第56回ヴェネチア・ビエンナーレでも、アルセナーレの南岸全体が会場として利用されている。会場全体は、約2万5千㎡の広がりをもち、その全貌を紹介することは難しいが、ここでは、煉瓦壁に金属の曲面体を付加した「イタリア館」のファサード(17)、鉄骨でメザニン階や階段を挿入したショップ内部(18)の写真を掲載することで、会場の様子の一端のみを紹介しておきたい。
 アルセナーレの南岸の施設が、ヴェネチア・ビエンナーレに使用されることになることで、アルセナーレの北岸に連なる造船所や倉庫(19)の転用が進むこととなった。その一例、「Tesa 105」(20)は、連棟の造船施設の内の切妻屋根ひとつ分を事務所へと転用した事例で、既存の壁の内部に新たな機能を補うためのヴォリュームが追加され、ガラスやスチールを用いることで既存の煉瓦壁との対比をもつ、新たな空間を生み出している。連棟内の他の施設も、次々に転用活用されつつある状況である。
 これに先立ち、アルセナーレの北岸のコンバージョンの契機となった事例は、「Tesa 105」の裏側に位置する、「ラミエリーニ 1、2」という、非対称の切妻屋根を持つ大空間施設であった(21 – 23)。1997年に行われた「ラミエリーニ 1」の転用に際しては、2階の建物を新たに挿入することで路地のような空間をつくり、2002年に行われた「ラミエリーニ 2」では、2階の建物を片側に寄せて挿入して、大空間の大部分を多目的に使用できるイベント・展示空間に転用した(22)。このラミエリーニとTesaの連棟の裏側の間には広場も整備され、独特のアート・オブジェも配されて、外構も含めた面的な整備が進んでいる(23)。
 こうしたコンバージョンは、周辺の施設にも波及しており、一例として、かつては燃料保管庫であった施設が、2012年には、「CAVオフィス」(24)という道路管理を行う企業のオフィスとなっている。細長いヴォリュームであるため、中廊下形式であるが、採光を天井からのアクリルチューブによって確保しつつ、折れ曲がり傾いた襞のようなコルテン鋼の壁面によって劇的な空間を生み出している(25)。
カ・フォスカリ経済大学
26. 運河に面する外観。
27. エントランス・ゲートをキャンパス側から見上げる。
28. 講義室のひとつ。
モリノ・スタッキー
ジュデッカ島の製粉工場群を高級ホテルに転用。
29. ヴェネチア本島を見渡す屋上プール。
30. 外観。
31. ラウンジ。
サン・ジョルジュ・マジョーレ教会
アンドレア・パラーディオ設計
32. 外観。
33. 内部。顔の形のアート・オブジェが置かれている。
「ガラスの部屋」美術館
34. 外観。
35. 内部展示空間。
36. 屋外に設置された、杉本博司の「ガラスの茶室・モンドリアン」。
市内のその他のコンバージョン
 市内の他の地区に立地するコンバージョン事例にも目を向けてみよう。
 「カ・フォスカリ経済大学」(26 – 28)は、1842年に建設された大規模な食肉処理場を2004年に大学へと転用した事例である。かつての食肉処理場施設群は大学の講堂、講義室、図書館として利用され、新たに付加された部分は赤く塗られた金属材などで、既存との違いを明確に分けている。
 「モリノ・スタッキー」(29 – 31)は、19世紀末にヴェネチア本島の南側に位置するジュデッカ島に建設された製粉工場群が、2007年にヴェネチア最大の高級ホテルに転用された事例である。既存建築は、幾度か増築を繰り返し、最大7階建ての10棟以上の煉瓦造の建築群から構成される。現在のホテルは、最上階にはルーフトップのプールを備え、本島を見晴らす屋上空間を備える(29)。外観では既存の風格を残すのみならず、内部でも既存の空間の雰囲気を随所に保っている。
 ジュデッカ島の東の横に並ぶサン・ジョルジュ・マジョーレ島は、パラーディオ設計の「サン・ジョルジュ・マジョーレ教会」(32、33)やその付属修道院が立地する小島であるが、19世紀から軍事基地として使用されていた。1951年にジョルジョ・チニ財団がこの島に本部を置き、島全体を文化・芸術の拠点として再生すべく、文化・芸術にまつわる研究機関、展示館や図書館の整備に尽力してきた。そのひとつである事例「ガラスの部屋」と呼ばれる美術館(34、35)は、19世紀初頭建設のL型平面の倉庫の一部を2012年に美術館に転用したものである。ヴァネチアのガラス製品のコレクション展示を主として、さまざまな企画展やガラス関連の会議・ワークショップを行う施設となっている。美術館の前の屋外には、「ガラスの部屋」の企画の一環として、ニューヨークを拠点とする芸術家、杉本博司の「ガラスの茶室・モンドリアン」がつくられた(36)。島全体を文化・芸術の拠点として再生するという試みは、建築単体のコンバージョンにとどまらず、地区全体のコンバージョンとして興味深いものである。
オリベッティ・ショールーム改修
カルロ・スカルパ設計、1958年
37. 階段を見る。
クェリーニ・スタンパーリア財団改修
カルロ・スカルパ設計、1963年
38. 外観。
39. 内部空間。
まとめ
 歴史的なまちなみを残すヴェネチアでは、周辺環境への配慮や保存法規の厳しさなどから外観に対する大きな変更は行えず、内部空間に対して建築的操作を行う事例が多い。これまでは、観光振興のため、歴史的な建物やパラッツォなどを展示施設などに転用してきた例が多いが、近年ではジュデッカ島やアルセナーレなどの産業系施設が残る地域で、多様な用途への転用の動きが活発化している。
 こうした転用事例を見ていると、改めて、カルロ・スカルパの作品群が思い起こされる。「オリベッティ・ショールーム改修」(1958年、37)、「クェリーニ・スタンパーリア財団改修」(1963年、38、39)など、外観を大きく変えることなく、内部に丹念なデザイン要素を密度高く織り込んでいく手法は、近年のヴェネチアのコンバージョン・デザインに大きな示唆を与えている。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など