はじめに
ソウルでは、他国にやや遅れて、近年、コンバージョンによるストック活用が盛んになりつつある。その中には、日本統治時代の施設も含まれる。かつて、朝鮮王朝の王宮であった景福宮敷地内に日本政府が建てた朝鮮総督府(1910年、❶)が、戦後国会議事堂や国立博物館として転用使用された後に、1995年に負の歴史遺産として解体撤去されるという歴史的な事件もあり、とりわけ日本統治時代の建築の保存活用に関しては、複雑な事情もあった。しかし、近年、歴史的建築に対する保存意識の高まりや観光客の増加などに伴って、転用活用への意識が大きく変わりつつある。転用活用の対象は、大きく3タイプに分けることができる。それらは、「韓屋」と呼ばれる韓国の伝統的住宅、日本統治時代に建てられた様式建築、戦後に建てられた一般的な建築である。本稿では、ソウルの転用事例を中心に、加えて、日本の租界地時代に仁川市で数多く建てられた建築の転用事例を巡る。
韓屋からの転用事例
ソウル北部中心部の景福宮と昌徳宮にはさまれ北村は、朝鮮王朝時代に貴族たちが住んだ韓屋と呼ばれる伝統家屋が立ち並ぶ地区である。この地区では、朝鮮時代末の韓屋の原形を最大限保存・修復することに重点を置いて改修を行いつつ、多用途に用いるという事例が多く見られる。一例を挙げると、「北村文化センター」(❷、❸)は、母屋を含む複数の棟や門などで構成されており、一部は文化センターとしての展示空間にも使用されているが、全体としては、元々の韓屋の様子を伝えるハウス・ミュージアムとなっている。既存建築を保存するために、建築的操作は展示空間内の展示壁の新設のみに留められている。
北村に限らず、韓屋の転用はソウル旧市街全体で広くみられる。
「耕仁美術館」(❹、❺)は仁寺洞のメイン通りから内側に入った静かな地区に立地し、韓屋を展示施設や伝統茶院等、複合施設に転用した事例である。既存建築のコンバージョンに加えて、いくつかの新築の展示室も付加している。第3展示室では、韓屋を転用しつつ、内部は白塗りの空間に変えて、小物などの販売がなされている。
日本統治時代と関連する建築物等からの転用事例
ソウルでは、1910年以降の日本統治時代に日本人によって建設された官庁建築や公共施設が多く残るが、それらは、主に文化施設として有効に再利用されるようになりつつある。その代表的な例は、「文化駅ソウル284」(❻ – ❽)である。建設当時、東京大学教授であった塚本靖の設計に基づき1925年に竣工し、長年ソウル最古の駅舎として使用されてきたが、2011年に隣接する新駅の完成後に、展示・イベント施設として保存活用されることになった。保存修復によりディテールまで丹念に再現され、一部の展示室では内装が剥がされ既存建築のレンガ造の壁面字体が露出して展示されている。ちなみに、284は史跡としての登録番号である。「ソウル図書館」(❾ – ❿)は、1926年に建設された京城府庁舎が、戦後ソウル市庁舎として利用された後、その一部が2008年から4年の歳月をかけて図書館へと転用された事例である。既存建築の背後に、3次曲面からなる不思議なボリュームの新築棟が付加され、前後の棟が低層部で連結されている。旧市庁舎内部では、歴代の市長が使用した市長室などの歴史的な空間も保存展示されている。
「韓国銀行貨幣金融博物館」(⓬、⓭)は、辰野金吾設計により1912年に竣工した朝鮮銀行本店の建築を、貨幣や金融に関する展示を行う博物館に転用した事例である。保存を主とした事例であり、2層吹き抜けの中央のホールはシャンデリアや手摺りを始めとした建設当時の装飾の中で展示がなされる。
「国立近現代美術館」(⓮、⓯)は、景福宮の東門正面という良好な立地に建つ。既存建築部分と増築部からなり、既存部分は、1913年から終戦までは、日本統治下における医学学校、1971年から2008年までは軍関連の司令部と病院として使用されていた。2013年に韓国の文化・芸術界念願の大美術館として再生するに当たって、すべての建物の高さを12m以下に制限して周囲の歴史的建築との調和が図られ、展示室の多くを地下に納め、中庭などを介して、新旧施設が共存する。転用部分は、景福宮の東門正面に面した部分のみであるが、メインエントランスおよびメインロビーに至る動線空間を内包し、道沿いにはミュージアム・ショップが入るという、全体の中で重要な役割を担っている。既存建築はいかにも病院的な雰囲気を残しているが、こうした既存建築をあえて新美術館の顔にすることによって、過去を残しながらの新たな出発という文化的姿勢を強調しようという意図を読み取ることができる。
「西大門刑務所歴史館」(⓰、⓱)は、朝鮮総督府が1908年に建設した刑務所を2010年に歴史展示館へと転用した事例である。敷地内の約10棟を保存修復して、展示館として利用している。刑務所の平面形式を活かした展示が特徴的であり、床面のところどころに配置されているガラス床からかつて用いられていた煉瓦の残骸を見ることもできる。
「ソウル市立美術館」(⓲、⓳)は、1928年に京城裁判所として建てられ、終戦後最高裁判所として使用されていた既存施設の一部を保存再生利用したものである。1995年最高裁判所が移転した後、2002年に、そのファサードを残し、裏側に美術館を増築して、ソウル市立美術館として使用されることとなった。内部では、過去と現在を繋ぐガラス張りの天井の媒介空間が、保存壁面と美術館の間に設けられている。この空間はファサードが立っていた1900年代と美術館内の2000年代を繋ぐ空間である。コンバージョンというよりは、ファサード保存+増築という事例であるが、外観のみならず、内部の媒体空間においても既存外壁が感じられるようにした点で、単なるファサード保存に止まらず、既存建築を内部にも生かす努力がなされている。
日本統治時代の建築の転用は、ソウル郊外にある仁川国際空港でも知られる都市、仁川にも数多くみられる。仁川においては日本の租界地時代の伝統的建造物群の保存地域が仁川旧日本人街と呼ばれる。ここではかつての日本の領事館や銀行、海運関連の建物が保存整備され、一部は博物館として活用されている。その代表例、「仁川開港場近代建築展示館」(⓴、㉑)と「仁川開港博物館」(㉒、㉓)は、両者共に、仁川旧日本人街の保存建物群の一部であり、19世紀末に建設された日本に本店を持つ銀行の支店が、現在は博物館として利用されている事例である。外観は当時の姿を残し、内部を見ても階段や煉瓦壁面や金庫室などは既存施設が保存されている。仁川開港場近代建築展示館では、なかなか凝った現代的な展示がなされており、既存との対比が顕著なコンバージョンとなっている。
「仁川アートプラットフォーム」(㉔、㉕)は、仁川の旧都心再生事業のひとつとして、1930年代に建てられた煉瓦造建築群を10棟以上の棟からなる芸術センターに転用した事例である。中央の幅の広い道路を横断するように架かるブリッジにより立体的な街路なども構成される。既存の煉瓦造とまったく同じ意匠で新築された部分もあり、新旧の判別が難しい部分がある一方で、鉄骨で組まれた部分やガラスを多用したボリュームなどで構成された棟では、煉瓦造の建築群との対比が際立つ。
戦後に建てられた施設の転用
戦後に建てられた施設を、コンバージョンによって、より有効に活用するという事例も見られるようになった。「大韓民国歴史博物館」(㉖ – ㉘)は、光化門広場に面し、在韓米国大使館の隣という、ソウル中心に立地する旧文化体育観光部の行政施設を、2012年に博物館に転用した事例である。地上8階建て、延べ面積約1万㎡の博物館であり、4つの常設展示室とふたつの企画展示室を有し、19世紀末から現在に至るまでの韓国の近代史に関する資料を展示している。積層型の展示室構成となるため、外部に面する場所に配置されたエスカレータを利用した回遊動線を導入し、順路通りに観覧すれば韓国の近代史を時代の流れに沿って知ることができる。一部は屋上庭園として開放され、博物館特有の閉塞感もなくすことに成功している。外観に関しても、イメージを現代的な博物館に変えるため、ガラスのルーバーの取り付けや夜間のライトアップ等の工夫もなされた。全体として、外観イメージの刷新、都市空間への寄与等において、好立地の行政オフィスビルを博物館という公共施設に転用することに成功した優れたコンバージョン事例であるといえるだろう。
漢江に浮かぶ仙遊島公園は、戦後に建設された貯水施設が2002年に自然公園へ転用された事例である。その中のいくつかの施設は、転用利用されている。「仙遊島案内センター」(㉙、㉚)、「漢江歴史館」(㉛、㉜)は、送水ポンプが設置されていた施設などを転用し、外壁の煉瓦壁を残しつつ、内部の躯体を、補修せずに残す部分と白く塗る部分を使い分けることで、内装の対比によって、新旧共存を表現した新しい空間を生み出している。
まとめ
21世紀に入ってからのソウルの現代建築の顕著な動向は、海外の著名建築家による新築作品が次々に竣工するということであった。たとえば、レム・コールハースの「ソウル国立大学美術館」(2003年、㉝)、ダニエル・リベスキンドの「アイパーク・タワー」(2005年、㉞)に始まり、近年では、ザハ・ハディドの「東大門デザインプラザ」(2014年、㉟、㊱)など、錚々たる著名建築家の作品がつくられ続けてきた。しかしながら、やっと近年になって、コンバージョンやリノベーションに対する意識が高まってきたという感がある。特に、日本統治時代の建築は、ソウルにとっては、単なる歴史的建築ではなく、過去に対する複雑な思いを抱かせる歴史的建築というべきであるが、それらも積極的に活用しつつあるところに、ストック活用に対して前向きな意識の高まりを感じ取ることができる。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など
記事カテゴリー:歴史と文化 / 都市 / まちなみ / 保存、海外情報
タグ:コンバージョン