少子化なのに保育所需要増?
──需要が供給を喚起ここ数年、都心部の待機児童解消が社会問題になっていることは周知のことである。これは都市部で起こっている問題で、その大部分が東京都で起こっているといっても過言ではない。東京都の報道発表によれば、平成27(2015)年4月1日現在、新たに12,602人分の保育所をつくったにも関わらず、待機児童は858人しか減っていない。また育児休暇の延長や自治体が補助する認可外保育施設などに入るなど、待機児童にカウントされていない隠れ待機児童数はさらに数倍いると考えられている。
私は新築、用途変更を問わずここ10年あまり多くの保育所の設計・監理を手がけてきたが、周りから「少子化なのに、なぜ待機児童数が減らないのか?」とよく質問を受ける。
その理由をある運営事業者に聞くと、そもそも日本では子育ては女性がやるものという考えが一般的で、就学前人口に対する保育所のカバー率が北欧等に比べて圧倒的に低かった。そこへ結婚出産後もキャリアを失いたくないという女性が増えたことや、物価と所得のバランスの変化により、夫の収入のみで家計を支えることが難しくなり、夫婦共働きが増えたことなどが挙げられた。この女性の社会進出のペースが保育所を新設するペースを上回れないため、待機児童数が減らないとのことだった。
また、「保育所は需要が供給を喚起する施設である」ともいわれている。これまで働かなくてよいと思っていた母親が、①家の近くに保育所ができることを知る→②それならば子どもを預けて働こうと思い申し込む→③しかし保育所に入れず→④待機児童が増える、という図式である。
ビルイン型保育所へ
都心の場合、新築の保育所をつくることができる敷地は限られる。駐車場になっている敷地などが主な対象となるわけだが、駅に近い敷地ではパチンコ屋等風営法対象施設との関係があり、住宅地内の敷地では子どもの声や活動の音が「騒音」として近隣から指摘されるなど、つくるのが難しいのが昨今の現実である。結果、空きビルの有効活用とも相まって、ビルイン型の保育所が多くつくられてきた。認可保育所よりもいくぶん基準が緩い東京都認証保育所が始まったのが2001年。これまで15年あまりの間に、保育所に用途変更しやすい1階のコンビニ跡などはほぼつくり尽くした。その結果、現在ではこれまで手を出してこなかった中規模から大規模のオフィスビルの一画を対象とすることが多くなってきた。
用途変更の厳しいハードル
オフィスビルの保育所への用途変更には問題となることがいくつかある。1. 消防法の既存遡及──ビル全体が複合用途防火対象物に
建築基準法には既存不適格という概念があるが、消防法は既存遡及が前提である。また建築基準法では保育所が入る区画とそれに至る経路程度が対象になるのに対し、消防法は多くの場合、建物全体に最新の法律が遡及される。事務所ビルは本来「特定」の人間が使うことが前提であり、消防設備が軽減されているが、一定規模以上の保育所が入居すると、とたんにビル全体が「不特定」の人間が使う「複合用途防火対象物」(用途区分16項イ)となり、建物全体に厳しい消防法の基準が適用される。改修をする保育所区画内の問題であればテナント工事の中で対応は可能だが、他のテナント内や共用部にまで波及することとなると用途変更は厳しいのが現実である。
2. 建築基準法の採光
オフィスや店舗は採光がなくても居室が成立するが、保育室は採光がなくては成立しない。駅前の雑居ビルでは間口が狭く奧に長い敷地が一般的であり、大規模なオフィスでは一面のみ開口があり、奥に深い区画であることが多い。いずれも採光を確保できる開口にすべてを頼り、ワンルームとするか、または建具で仕切った2室を1室とする構成で採光を確保した保育室となる。小規模な保育所ならばまだしも、大きな保育所では隣のクラスの子どもたちの声や保育活動の音が、異なる保育活動の妨げになることも多い。3. 東京都の建築物バリアフリー条例(バリアフリー法)
国が定めたバリアフリー法では、保育所は2,000m2を超えない限り適用されないが、東京都の場合、建築物バリアフリー条例で0m2からバリアフリー法への準拠と、もう一歩踏み込んだ厳しい基準を遵守することが求められる。保育所の設置階が2階であれば、エレベータなしでも大丈夫な場合が多いが、3階以上の場合にはエレベータが必須となる。
さらに「誰でもトイレ」の設置には頭を悩まされることが多い。いったい誰のための「誰でもトイレ」なのか、役所に聞いたことがある。その時の回答は、車椅子を利用する子どもや、車椅子を利用する保護者のためとの回答であったが、これまで設計してきた保育所では、「誰でもトイレ」を車椅子使用者が使ったということは一度も聞いたことがない。
また、条例ではバリアフリー法(ハートビル法)施行前に竣工した建物には、「やむを得ないと認めるものについては適用しないことができる」という緩和規定があるのだが、この扱いが市区によってまったく異なっている。ある区は認定を受け付けないとか、またある区は認定が容易など、対応はまったく異なるのが現状である。
保育関係課が、既存ビルに保育所を認可しようとしても、同じ区の建築関係課が不可と判断することが多々ある。いったい役所内でどういう方向に向かおうとしているのかコンセプトが明確でないというのが実情である。
4. 東京都児童福祉施設の設備及び運営の基準に関する条例(旧児童福祉施設最低基準)
認可保育所を設計する際には、上記の法、条例に加えて、これまでは「児童福祉施設最低基準」(厚労省令)を遵守してきた。平成24(2012)年以降は全国一律の基準ではなく、都道府県ごとに地域性等を加味した独自の基準になり、東京都でいえば「東京都児童福祉施設の設備及び運営の基準に関する条例」がそれに該当するわけだが、この基準の中で最も厳しいのは2方向避難の確保である。基準の主旨は火事や災害を想定しており、保育室や遊戯室の所在階が2階であれば、面積等一定の基準を満たした「待避上有効なバルコニー」も可となっているが、実際には不審者への対応も考慮され、ふたつの階段が必須となっている。建築基準法では居室が200m2を超えない限り2以上の直通階段は必要としないため、この基準が駅前の小規模ビルに保育所を入れることができない大きな理由である。
敷地に余裕があれば鉄骨階段を新設するが、敷地めいっぱいに建てていることがほとんどのため、用途変更を断念することになる。
5. 排水について
事務所ビルでは、トイレ等水回りは事務所の区画内ではなく、共用部にあるのが一般的である。一方、保育所は区画内にトイレ、調理室、洗面台等、たくさんの水場が必要となる。たまたま保育所区画に接してPSがあればそれに接続できるが、ない場合には下階の別テナントの天井で配管することはできないのでスラブ上で配管を転がし、落とし口まで持っていくこととなる。私たちが用途変更の保育所の絵を描く場合には、現調してPS等排水の落とし口の位置を把握することから始める。バリアフリー法で求められる移動等円滑化経路や「誰でもトイレ」には段差をつくらないよう水場の絵をつくり、その後それを中心に保育室をレイアウトしていくという、通常の設計とは逆のパターンをとることが多い。
以下に、私たちが手がけたビルイン型の認可保育所と認定こども園を2例紹介する。
石嶋 寿和(いしじま・ひさかず)
建築家、株式会社石嶋設計室代表取締役
1969年 東京都生まれ/1989年 小山工業高等専門学校建築学科卒業/1991年 千葉大学工学部建築工学科卒業/1991〜2004年 曽根幸一・環境設計研究所/2004年 石嶋設計室開設/2006年 株式会社石嶋設計室に改組、現在に至る
1969年 東京都生まれ/1989年 小山工業高等専門学校建築学科卒業/1991年 千葉大学工学部建築工学科卒業/1991〜2004年 曽根幸一・環境設計研究所/2004年 石嶋設計室開設/2006年 株式会社石嶋設計室に改組、現在に至る