台湾歴史的建造物視察研修
八王子支部|令和5(2023)年5月20〜23日@台湾
前田 敦(東京都建築士事務所協会青年部会、八王子支部、前田一級建築士事務所)

 長く続いたコロナ禍も明け、5年ぶり(最後が2018年2月カンボジア研修)の海外研修となった。
 5月20〜23日の3泊4日、同行いただいた黒須隆一前八王子市長のご協力のもと、花蓮、台北を巡った。正会員、協力会員合わせて26名の参加であった。

宜欄設治記念館の案内板。
宜欄設治記念館。館内展示。
宜欄設治記念館。館内天井。
庭園のクスノキ。
宜蘭庁長であった西郷菊次郎。
宜蘭設治記念館(宜蘭県宜蘭市)
 1日目は、台北松山空港から台北駅へ向かい、花蓮駅まで特急電車で移動しホテルへ。2日目、タロコ渓谷などを観光後、花蓮駅より特急電車で宜蘭駅へ向かい、バスで宜蘭設治記念館へ。

「宜蘭設治記念館は、1906年に宜蘭庁長の西郷菊次郎により建設された和洋折衷様式の建築。以後地方長官の官邸として使われ、1997年に記念館として公開された。明治時代の木造家屋が美しく修復され、訪問者は畳敷きの部屋を巡りながら、200年に及ぶ宜蘭の歴史資料を観覧できる。屋敷を囲む日本庭園には、樹齢100年になるクスノキの大木が葉を茂らせている。周辺はかつて南門地区と呼ばれ官舎が多かった所で、ほかにも監獄門庁や県庁宿舎、農学校校長宿舎などが修復され、レストランなどに利用されている。
第2次大戦後は、国民政府のもとで第21代から30代宜蘭県長がこの公邸を使用してきた。」(「地球の歩き方web/宜蘭設治紀念館」、「鈴木商店のあゆみ」 を参照)

 上記説明に和洋折衷とあるが、感想としては、和風建築ではあるが、いわゆる、数寄屋造りや宮造りなどの細かいルールに則った建て方ではなく、今どきの言い方をすると、簡易的な和風建築という印象であった。地元の学生(高校生だと思う)たちが館内を案内してくれるのだが、途中からほぼ黒須前市長が解説されていたのがとても印象的であった(とても分かりやすいご説明ありがとうございました)。
 この後、同宜蘭県にある「カバランウイスキー蒸留所」を見学、11万坪にも及ぶ広大な敷地の中にあり、工場見学、テイスティングなどを楽しみ、ホテルへ。
蘭陽博物館外観。
蘭陽博物館ポーチ。
蘭陽博物館で集合写真。
蘭陽博物館(宜蘭県頭城鎮)
 3日目、バス異動にて宜蘭県頭城鎮にある蘭陽博物館へ。

「蘭陽博物館の建築デザインは、宜蘭の大自然からヒントを得ています。建築デザイナー姚仁喜(ヤオ・レンシー)は台湾東北部の傾斜した地層の差別浸食によりできた波状の地形に着目し、外壁はヴィヴァルディ作曲「四季」の主旋律をもとに蘭陽平野に広がる田畑の変化に富んだ姿を現しています。2010年開幕以来数多くの建築賞を受賞し、2011年の国際宜居城市大會では人工環境分野にて金賞の名誉に輝きました。」(蘭陽博物館リーフレットより)

 一見奇をてらった建物に見えるが、上記の解説を読むとデザイナーの意図が汲み取れる。展示物も宜蘭の自然を表す展示となっており、フロアごとに山、平原、海をテーマに、この地に住む生き物について解説したものであった。
 機会があれば行って実際に体感していただきたいのだが、デザイナーが意図的にそうしたのか?……、エントランス前のポーチから建物内のエントランスホールを見ると、目の錯覚でエントランスホール床が傾斜に見えたのだが……。
 この後は、台湾のカッパドキアと称される「野柳地質公園」、台北の街を観光し、ホテルへ。
紅毛城外観。
紅毛城回廊。
紅毛城での集合写真。
淡水:紅毛城(新北市淡水区)
 4日目最終日、ホテルにて朝食を済ませ、バス異動にてまず初めに紅毛城へ。

「紅毛城は、300年以上の歴史を持ち、台湾でも最古の建築のひとつといわれています。もともとは17世紀のはじめにスペイン人によって建設された城で、その後オランダ人が支配し「アントニー要塞」として増改築を行い、さらに鄭成功や清朝が支配しました。1867年からは城がイギリスに租借されてイギリス領事館となり、日本統治時代もそのまま領事館として租借され、第2次世界大戦の一時期をのぞいて1972年に台湾とイギリスが断交するまで、英国領事館としてずっと使用されました。1980年、城は台湾に返還され、1984年から一般開放されるようになりました。
城は外壁の赤い色が特徴的で、砲火による振動に耐えるため、幅1.9mの厚さの壁を持ち、丘の上にあって眺望もよく、防衛に優れていました。」(「TAIPEI Navi」https://www.taipeinavi.com/miru/381/より)
漁人碼頭。最近開発された多目的レジャー漁港。
淡水老街。
台北賓館外観。
台北賓館。テラス。
台北賓館。天井。
台北賓館。天井。
台北賓館。床。
黒須前八王子市長(左)と外交部の方。
台北賓館で集合写真。
中華民国台北賓館(台北市中正区)
 紅毛城をあとに、バスにて「漁人碼頭」へ。港を見学、「老街」を散策後、今回の研修のメイン、「台北賓館」へ。
 台北賓館は中華民国の国家招待所(迎賓館)で、外交部(外務省)が管理している。通常、見学できるのは月に1回なのだが、今回特別に、黒須前市長のご紹介により見学できることとなった。

「台北賓館は、日本統治時代の明治32(1899)年4月に起工し、明治34年(1901年)9月26日に完成した。もともとは台湾総督の官邸として建てられた。設計は当初福田東吾と野村一郎が担当し、後に森山松之助も設計に携わった。建物はバロック風の2階建てで、庭園は日本風である。
日本統治時代においては、台湾総督の暮らす住居と執務の場である官邸であった。また、迎賓館としても使用され、皇太子時代の昭和天皇をはじめ、数々の要人が宿泊した。
田健治郎第8代台湾総督の時に、総督の日常生活を行う住居として数寄屋造りの別館が新設され、総督の公邸として使用された。
第2次世界大戦の終結後、建物は中華民国に引き渡され、しばらく台湾省主席の官邸が入居したが、1950年以降迎賓館として使われるようになった。」(ウィキペディアより)

 日本の統治下にあった時代の建物を中華民国になってからも大切に、国賓を招く建物として何度も修復しながら今もなお使われていることを知り、何ともいいようのない気持ちになった。日本語のできるガイドの方に案内していただき、ひとりひとりにお土産もいただいて、外交部の方々にお返しできないほどのご恩をいただいた。
 雨期でありながら、ほとんど雨に降られることもなく、あっという間の4日間が過ぎ、参加者皆様が無事帰路につけたことを喜ぶとともに、黒須前市長、担当幹事に感謝申し上げます。
前田 敦(まえだ・あつし)
東京都建築士事務所協会・八王子支部、前田一級建築士事務所
1967年 東京都生まれ/1988年 東京工科専門学校卒業/1997年 株式会社木下工務店設計部退社/1998〜2008年 10年間建築を離れ、デザイン会社で、サイン・CI・チラシ等のデザインを行う/2008年 前田一級建築士事務所設立