思い出のスケッチ #358
カウナカカイという街
森川 浩弌郎(元YENDO ASSOCIATES INC.、米国ハワイ州在住)
 ハワイのモロカイ島でいちばん大きな街はカウナカカイですが、人口約1,000人ほどの街です。ここには政府の行政機関、警察、図書館、学校、郵便局、病院、銀行、商店、教会等の建物が集中し、建物はほとんどが平屋で、二階建ても希にしかありません。いちばん高いのは教会の尖塔で、モロカイ島では椰子の木より高い建造物は法律で建てられません。
 カウナカカイはハワイ語で「砂浜の桟橋」という意味で、海岸は遠浅なので、街の真ん中あたりから南に突き出した長い桟橋状の道路が、カウナカカイハーバーと呼ばれる船着き場まで延びています。物資の搬入は船か飛行機しかありませんが、大きな物資は船に頼るしかないのでたいへん重要な桟橋になっています。
 古くはパニオロ「ハワイアンカウボーイ」の街と呼ばれ、賑わったようですが、いまでも個性的なショップが並び、昔ながらのハワイアンスタイルを愛する人たちによって長い間守られ、今も1900年代の街の姿をそのまま残しています。モロカイ島には信号がひとつもありません。街中では車はゆっくりと走り、歩行者には気をつけています。
 歩道には露店があったり、人びとが椅子に腰掛けておしゃべりしたり、ただ道行く人を眺めたり、のんびりとした雰囲気です。いくつかの商店には日本人の名前がついた店があり、日系人の活躍が窺われます。カネミツベーカリーというパン屋さんは特に有名です。日本人が最初にハワイに移住したのは1868年で、街から東に少し離れたところのイリイビーチに日本人ハワイ移住75周年と100周年の記念碑があります。
 モロカイ島も火山の噴火でできた島です。西と東にふたつの火山があり、西側は低くなだらかで、東側はかなりの高さがあります。カウナカカイはこのふたつの山の真ん中ぐらいに位置します。スケッチは、街のメインの道路から東の山を見ていますが、虹はハワイではよく出ますので特に珍しいことではありません。
森川 浩弌郎(もりかわ・こういちろう)
1960年 大阪市立都島工業高等学校卒業/1960年 大阪で圓堂建築設計事務所に入所/1962年 圓堂建築設計事務所東京に移転にともない東京に移転/1966 - 1968年 圓堂建築設計事務所勤務中、中村順平先生に師事する/1991 - 1997年 YENDO ASSOCIATES INC.ニューヨーク事務所に勤務/現在、米国ハワイ州に在住