世界コンバージョン建築巡り 第12回
メルボルン、ブリスベン、オークランド──オセアニア3都市のコンバージョンの比較探訪
小林 克弘(首都大学東京教授)
 
オセアニア地図
はじめに
 今回は、前回のシドニーに続き、オセアニアの主要な3都市を巡る。これらの3都市は、都市の発展史が異なり、その過程でつくられた既存建築ストックも異なる。各都市の主要なコンバージョン事例を概観して、オセアニアの諸都市におけるコンバージョンの実態を比較しよう。
 
1. メルボルンの都市光景。ヤラ川(手前)の北側に中心部が広がる。
 
2. 「移民博物館」正面全景。
 
3. 「移民博物館」。上階のロングホール。船をモチーフとした展示空間ボリュームを挿入。
 
4. 「インターコンチネンタルホテル・メルボルン」正面外観。中央の路地が内部化された。
 
5. 「インターコンチネンタルホテル・メルボルン」。路地を内部化したアトリウム。
 
6. 「王立メルボルン工科大学(RMIT)」。「ストーレイ・ホール」(左)と「インフォメーション・センター」(右)。
 
7. 「王立メルボルン工科大学(RMIT)」。「ストーレイ・ホール」低層部の展示空間。
 
8. 「王立メルボルン工科大学(RMIT)」。「ストーレイ・ホール」上部のオーディトリアム。
 
9. 「33 スペンサーストリート」全景。手前がホテル、奥は集合住宅に転用されている。
 
10. 「33 スペンサーストリート」。内部の階段室。
 
11. 「アッパーウェストサイド」全景。低層部の元発電所の上に高層集合住宅が建つ。
 
12. 「アッパーウェストサイド」。発電所棟の外観。
 
13. 「アッパーウェストサイド」。内部はレストランに転用されている。
 
14. 「セントクロス駅」。グリムショー設計。市街地の西側に位置する。
メルボルン──ヴィクトリア女王時代の建築遺産を生かす
 オーストラリア・ヴィクトリア州の州都メルボルンは、イギリス人入植は1830年代であり、シドニーに比べると約半世紀ほど遅かった。しかし1851年に始まるゴールドラッシュによって、ヤラ川沿いに急速な発展を遂げた。その結果、ロンドンに次いで、ヴィクトリア女王時代に建設された建築が数多く残る都市となった。1901年のオーストラリア連邦結成時には首都となり、1927年にキャンベラへの首都移転後も成長を続けた。1956年には南半球初のオリンピック開催都市にもなり、1970年ごろまで続く長期の好景気を経験して、現在では、人口約440万人のオーストラリア第2の大都市となっている、その中心部では格子状街路に基づく都市計画が顕著である(1)。
 こうした歴史の故に、メルボルンにおいては、ヴィクトリア女王時代の歴史的建築のコンバージョンが多く見られる。鉄道越しにヤラ川に面する「移民博物館」(2、3)は、1876年建設の税関であった建物を、2004年に移民博物館に転用した事例である。2階にある「ロング・ルーム」と呼ばれる中心的な空間や階段室など主要な空間は保存されており、ここに、船をモチーフとしたボリュームを挿入することで、新旧の対比を備えたコンバージョン・デザインがなされている。
「インターコンチネンタルホテル・メルボルン」(4、5)は、1885年と1891年に建設されたヴィクトリアン・ゴシック様式の2棟のオフィスビルを連結して、2006年にホテルに転用した事例である。2棟に挟まれた路地は、ガラス屋根が新設されて細長い形状のアトリウムになり、そこにレストランを配置している。全体として、歴史的建造物と現代建築を融合させ、視覚的に新旧両方の良さが伝わる空間に転用されている。
 メルボルン市街の北側に位置する「王立メルボルン工科大学」(RMIT)は、既存建物の転用および新築を併用して、キャンパスを拡張するという独特の試みを行っている。「ストーレイ・ホール」(6 - 8)もその一部で、1887年にミーティング・ホールとして建てられた新古典主義の施設を1957年にRMITが買い取り、1996年には隣接した施設を増築することで、施設全体を低層に展示室、上階にオーディトリアムを持つ施設に転用した事例である。ペンローズタイルや緑色の曲面体を伴ったユニークな増築部のデザインと既存の新古典主義の外観の対比が目立つ。隣は、大学のインフォメーション・センターであり、緑色の曲面体が、一連の施設であることを示す。
 「33 スペンサーストリート」(9、10)は、ネオルネッサンス様式のヴィクトリア鉄道本社屋をホテルと集合住宅にコンバージョンした事例で、19世紀当時の状態を残しながら改修を行っており、建物内部の修復された大階段では、細部装飾まで再現されている。
 「アッパーウェストサイド」(11 - 13)と呼ばれる複合施設は、ニコラス・グリムショー設計の「セントクロス駅」(14)の前という好立地を生かし、メルボルン初の公的な発電所を、レストラン、ショップやオフィスに転用しつつ、その上階に高層アパートメントを建設したユニークな事例である。過去に発電所であることを示すため、いたるところで電球を基にしたグラフィックデザインを用いている。アパートメントと発電所が共存するファサードは、独特である。
 
15. ブリスベン中心部の都市光景 ブリスベン川航行の船上からみる。
 
16. 「コミサリアト・ストア博物館」外観見上げ。3階の増築部の仕上げが異なる。
 
17. 「コミサリアト・ストア博物館」内部展示室。
 
18. 「ブリスベン市庁舎」外観全景。
 
19. 「ブリスベン市庁舎」1階エントランス・ホール。
 
20. 「ブリスベン市庁舎」。美術館に転用された4階。展望台へのエレベーターが発着する。
 
21. 「トレジュリー・ホテル」外観。
 
22. 「トレジュリー・ホテル」エントランス・ホール。周辺開発計画の模型が展示されている。
 
23. 「トレジュリー・カジノ」外観。
 
24. 「パンケーキ・マナー」外観。ブリスベン中心部に残る小教会であった。
 
25. 「パンケーキ・マナー」現在の内部空間。
 
26. 「パワープラント劇場」外観。
 
27. 「パワープラント劇場」正面見上げ。荒々しい既存外壁と現代的なガラス面が対比的である。
 
28. 「パワープラント劇場」。内部空間。奥にタービン・プラットフォームが見える。
ブリスベン──流刑植民地からの発展
 クウィーンズランド州の州都ブリスベンは、シドニー同様、流刑植民地としての開拓が1820年代に始まり、直に一般人入植が続き、ブリスベン川沿いの都市(15)として独自の発展を遂げて、現在では、約230万人の人口を有する国内第3の都市となっている。ブリスベンにおいては、各時代の建築が、幅広く転用活用されている。
 「コミサリアト・ストア博物館」(16、17)は、クイーンズランド州に現存する最古の囚人労働用倉庫が博物館に転用された事例である。既存建築は、1、2階は1829年に建設され、3階は1913年に増築された。既存壁面の組積造のテクスチャーを見ると、増築の痕跡が強調されている。展示室は既存の構造体の意匠を残しつつ構造補強を行い、エレベーターを新設することで博物館用途への適応が図られている。
 「ブリスベン市庁舎」(18 - 20)では、1930年に建てられた市庁舎が、2013年に大改修された際に4階が美術館へと転用された。この美術館内からエレベーターで塔頂部の展望台に昇ることもできる。市庁舎の機能を保ちつつも、一部を美術館へと転用することによって、市庁舎を開かれた公共施設へと変容することに成功した貴重な試みとなっている。
 「トレジュリー・ホテル」(21、22)は土地管理局がホテルへと転用された事例であり、同じく転用事例である「トレジュリー・カジノ」(23)に隣接している。重厚なファサードを補修し、建物内部の彫刻なども修復され、用途を大きく転用しつつも歴史の継承が図られている。
 小規模な事例であるが、「パンケーキ・マナー」(24、25)は教会が24時間営業のパンケーキ店へと転用された面白い事例である。大空間の天井面を白色にして、店内の明るさを確保しつつ、中央に挿入されたキッチンボリュームには既存の素材の統一感を持たせることで、既存教会の空間との調和が意図された。
 「パワープラント劇場」(26 - 28)は、ブリスベン川沿いの郊外に1928年に建設された、トラムへの電力供給のための発電所が、2001年に複数の劇場やレストランを含む施設に転用された事例である。既存建築の印象的な荒々しい壁面を保存しつつ、エントランスに大開口を設けて新規のガラスボリュームを挿入して、新旧の対比を演出している。地下に小劇場がふたつ、1階にメインの劇場があり、メインの劇場前は、タービン・プラットフォームと称する広いラウンジ的な空間になっている。工場の雰囲気を残しながらも、元々の大空間を生かした魅力的な劇場施設であり、新築には見られないゆとり空間が生み出されている。
 
29. オークランド港湾部の都市光景。オークランド・タワーの展望室から見る。
 
30. 「オークランド・アートギャラリー」外観全景。右が既存建築、左が増築部。
 
31. 「オークランド・アートギャラリー」。内部展示空間。既存の空間性を生かしている。
 
32. 「ブリトマート・トランスポート・センター」。クイーン・ストリート沿いの正面全景。
 
33. 「ブリトマート・トランスポート・センター」。内部待合室。柱に付けられた免振装置が見える。
 
34. 「シェッド10」外観全景。
 
35. 「シェッド10」。2階の多目的イベント・ホール。
 
36. 「ヴィクトリア・パーク・マーケット」。街路沿い全景。
 
37. 「ヴィクトリア・パーク・マーケット」。増築棟を伴って作られた空間。
 
38. 「ヴィクトリア・パーク・マーケット」。レストランに転用された既存施設の内部。
オークランド──公共施設と港湾施設のコンバージョン活用
 ニュージーランドは、流刑地として開発が進んだオーストラリアとは異なる開発の歴史を持つ。北部の中心都市オークランドは、1820年にイギリス人宣教師が初めて上陸し、その後、1840年に先住民族マオリ族との間に植民地契約を結んで、入植が進んだ。1865年には、ニュージーランドの中央に位置するウエリントンが植民地の首都となるが、オークランドは、ニュージーランド最大の都市であり続けて、現在は人口約140万の人口を有する国内最大の都市となっている。オークランドは北側が湾に接しており、クイーンズ・ワーフと呼ばれる埠頭と、南の内陸側に立地するシヴィック・センターを繋ぐクイーン・ストリートを都市軸として発展した(29)。
 「オークランド・アートギャラリー」(30、31)の既存建築は、クイーン・ストリート近くに1887年および1916年に建てられたフランス式ルネサンス建築であり、市議会のオフィスや図書館として使用されていた。図書館の移設に伴い、21世紀初頭から全体を美術館とする計画が始まり、2011年に開館にこぎ着けた。転用に際しては、新しいエントランス・ホールを増築することで動線を整備しつつ、既存空間を巧く展示空間に転用している。増築されたメイン・エントランスは、巨大な木造キャノピーと背後の公園の緑の見通せるガラス張りの現代的な空間であり、外観上の新旧建物の対比も効果的である。転用と増築の併用で、変化に富んだ空間性を獲得することに成功した事例である。
 「ブリトマート・トランスポート・センター」(32、33)は、クイーン・ストリートの北端で湾岸部に面して建つバロック様式の中央郵便局を耐震改修し、地上の既存建築を駅の待ち合わせ空間とし、地下に大規模な長距離列車のホームを建設した、非常に大がかりな転用事例である。駅を別の施設に転用する事例は各地で見られるが、逆に、歴史的な大建造物と地下を利用して、利便性の良い駅を作るという試みは貴重であろう。
 「シェッド10」(34、35)は、オークランドの中心的な港湾埠頭に1910年代に建てられた倉庫を2013年に待合空間、イベント・展示空間に転用した事例である。転用に際して、エントランスは、床を抜いて吹き抜けをつくることで、新しい用途の施設にふさわしい空間とし、2階は、青く塗られたコアの中に必要諸室をまとめつつ、元々の大空間および木材とスチールを組み合わせた構造体を露出し、様々なイベントに適した魅力的な空間を生んでいる
 「ヴィクトリア・パーク・マーケット」(36 - 38)は、歴史的なゴミ処理場施設を商業施設へ転用した事例である。既存建築はロの字型配置で、煉瓦壁と焼却炉の煙突が外観の特徴である。構内に複数の増築棟を挿入し、既存施設との空隙に立体的な小空間街路を生み出している。隣接する立体駐車場も高級ホテルへと転用する計画も進行中であり、転用による地区全体の改良が意図されている。
まとめ
 シドニーやブリスベンでは、流刑地として始まったという歴史を反映した囚人施設の転用から、公共施設・産業施設に至るまで、様々なコンバージョンがなされているという実態が確認できる。一方、メルボルンは、ヴィクトリアン時代の建築のコンバージョンが顕著である。オークランドは、中央のクイーン・ストリート周辺の歴史的建築の転用事例に加え、近年は埠頭施設やインフラ施設なども次々と転用されている。当然のことであるが、都市の発展史によって、既存の建築ストックの立地や性格が異なり、それに対応したコンバージョンが実践されていることを、オセアニアの諸都市においても確認することができる。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など