草木の香りを訪ねて──世界香り飛び歩記 ④
聖なる木パロ・サントを訪ねて──地球の裏側アルゼンチン
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
 
聖なる木パロ・サント。
 
パロ・サントの種子。
 
緑檀の色を呈するパロ・サントの丸太木口。
 
パロ・サントを製材。
 
パロ・サントの製材端材。
 
パロ・サントのおが粉を太陽光に当てる前。
 
パロ・サントのおが粉を太陽光に当てた後。青色に変色する。
地球の裏側アルゼンチンへ
 パロ・サント。スペイン語で「パロ」は木、「サント」は聖を意味し、聖なる木の名を持つこの木は、アルゼンチン北部からその北に位置するパラグアイに分布しています。
 現地では古くから材の精油を、腹痛、風邪、気管支炎、リウマチに使用してきました。聖なる名を持ち、病魔を追い払う木、そんな木に魅かれて最遠の地、アルゼンチンに向いました。
 成田からニューヨークで乗り継ぎ、ブエノスアイレスへ。ニューヨークでの乗継では空港のトラブルで、4時間も機内で待機させられ、挙句の果てに荷物を機内に預けたまま、空港近くのホテルに泊まることを余儀なくされました。そして次の日、昨夜の同乗の人たちが機内に揃い、予定時間に出発と思いきや、またまた2時間も機内に閉じ込められたのです。その間、乗客からの苦情はひとつも聞かれず、ただ静かに離陸を待っていました。ほとんどの人がアルゼンチンの人のようでした。
 そして2日間にわたる長時間の待機にもかかわらず、飛行機が滑走路を離れ飛び立つやいなや、私にとっては予期せぬことが起こりました。拍手が一斉に沸き起こったのです。日本では少しの電車の遅延でも係りに詰めより、ましてや数時間も待たされたらニュース沙汰になることでしょう。アルゼンチンの人たちの陽気さと心のゆとりを感じたひと幕でした。と同時に長時間の待機の疲れも吹き飛び、訪れる先での温かさを感じほっとひと息つくことができたのです。
ブエノスアイレスの丸ノ内線
 アルゼンチンは地球の裏側、そして季節も日本とは逆です。訪れた2月下旬は夏も終わりに近い時節。ブエノスアイレスの街路を彩るジャカランダの紫の花も既に終わった時期でした。数回訪れても花の時期を逃すことが多く、見る機会を逸した無念さを今回も味わいました。わが国では街路や公園を薄桃色のサクラの花が彩るころに春の訪れを感じ、心も軽やかに浮き立ちますが、もしかすると咲く花に、その土地の人たちの心情が染まるのかもしれません。控えめに薄桃色に咲くサクラに比べて、情熱を発散させているような濃い紫のジャカランダ。それが咲き乱れる下で、アルゼンチンの人たちの底抜けの明るさが培われているように思えます。
 ところでアルゼンチンは20世紀初頭には牧畜業、農業でヨーロッパへの輸出が盛んになって富める国となり、ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるほどに繁栄しました。その面影を偲ばせるように、ブエノスアイレスの中心街は煉瓦造りの重厚なビルが林立し、落ち着いた歴史ある街を思わせます。
 地下鉄に乗って驚いたことに、何と丸ノ内線が走っているではありませんか。ドアには日本語が書いてあります。日本で使っていた車両が再度利用されているのです。そういえばアフリカに行っても東南アジアに行っても、日本語で幼稚園の名が書いてあるバスや工務店の名をつけたトラックが走っているのをよく見かけます。中古になった日本車を再利用しているのですから、ものを大事に使うという点ではよいことと思います。しかし、日本の地下鉄が走っている例はほかの国にはないでしょう。日本に初めてできた地下鉄銀座線は実はブエノスアイレスの地下鉄をモデルにしたということですから、ブエノスアイレスの方が技術的には早かったのです。縁の深さを感じさせられます。
最北のまち、ラス・ロミタスへ
 目指すアルゼンチン最北のフォルモサ州の都市、ラス・ロミタスは、人口3万の小さな地方都市。近隣都市までの飛行機の便はあるものの今回はバスでの旅です。ブエノスアイレスから州都フォルモサまでは1,100km。夜行の長距離バスで14時間。そこからラス・ロミタスへはさらにバスで5〜6時間かかります。アルゼンチンはかつて鉄道王国と呼ばれていたように、日本の7.5倍近くの国土面積の中を鉄道が縦横に走っていましたが、今ではそれが長距離バスに置き換わっています。2階建ての大型バスでは完全に横になれるフルフラットのベッドが並び、長時間の夜の旅でしたがゆっくり休むことができました。
希少種パロ・サント
 アルゼンチン最北の地に分布するパロ・サントは、いくつもの枝を左右に広げ大きく空に向かって立っていました。パロ・サント(Bulnesia sarmientaoi)はハマビシ科の高木です。ハマビシ科は双子葉の植物で30属250種以上もあり、草本から樹木まで幅広く存在する植物です。わが国では海岸の砂地に生え、花の後にひし形の実をつける絶滅危惧種に指定されているハマビシがあります。
パロ・サントの材は硬く、比重が1以上あり水に沈みます。光にあたると次第に緑に変色していくので緑檀の名でも知られ、高価な家具や容器に使われてきました。
 似た木に同じ科に属するリグナンバイタ(Guaiacum officinale)という木があります。この木はユソウボクとも呼ばれ、世界で最も硬く重い木で、グアヤク脂という樹脂を含み、滑りがよく、海水にも強いので船のスクリューの軸受けに使われてきました。
 パロ・サントは樹脂ではなく、高沸点の精油を含んでいて、特有の香りがあります。昔、地元の人たちは、香木として教会で燻して使っていたということです。それが聖なる木の名を持つ所以です。
 しかしその後、アルゼンチンでは、伐採したパロ・サントの丸太の15%ほどのみを床材として加工して中国に輸出し、残りは廃材として廃棄されていたのです。用材として利用していたものの、精油採取はしていませんでした。成木になるのに100年もかかる木が何とももったいないことではありませんか。お隣の国、パラグアイでは年間150〜180トンもの精油を大規模工場で材から採取し、欧米に輸出していました。主に香料原料に使われていて、皮膚病にも効果があるといわれています。精油の収率を3〜4%とすると、木材量は5,000〜6,000トンほどにもなります。そこでアルゼンチンでも多量に出てくるパロ・サントの廃材から精油を採取しようという動きが出てきたのです。
薬効のあるパロ・サントの精油
 グアイアズレンという消炎剤として薬局方で認められている青緑色の天然の化合物がありますが、パロ・サントの材が光で青緑色に色づいてくるのは、パロ・サントの成分が光で反応し、グアイアズレン誘導体に変化することによるようです。こんなことからもパロ・サントの精油が薬効を持つことがわかります。現地ではパロ・サントの材を加工した小さな置き物やマテ茶用の容器などが売られているのですが、緑に色づいたその材の色でパロ・サントであることがすぐにわかります。
 聖なる木を意味するパロ・サントは南米にはいくつかの種類があり、わが国でもパロ・サントの名で売られている精油がありますが、これは別の種(Bursera graveolens)で、ここで言う緑檀のパロ・サントとは違います。
 限られた地域に分布するパロ・サントですが、これまでは制限なしに伐採されて利用されてきました。アルゼンチンといえば、アサ―ドという炭火での焼き肉料理が郷土の料理としてよく知られていますが、その炭にもパロ・サントは使用されてきたのです。
パロ・サントの資源保護
 大量に使えば資源が底をつくのは目に見えています。アルゼンチンでは資源の枯渇を懸念し、2010年にワシントン条約のⅡ類に指定して乱獲を防いでいます。商業的目的の取引が行なえないⅠ類よりも規制が緩く、相手国が許可を出せば取引が可能なⅡ類ですが、規制されている樹種の伐採は控えねばなりません。次に行った時には中国向けに大量にパロ・サントを製材していた工場は閉鎖されていました。パラグアイの精油採取も今では行なわれていないとのことです。
 いかに有効な植物資源と言えども絶やしてしまっては意味がありません。持続的に次世代につないでいくことが大切です。パロ・サントの植林や組織培養による増殖も試みられはじめています。絶滅の危機は何とか免れそうです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
PO炭の木植え隊理事長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長・教授、香りの図書館館長(フレグランスジャーナル社)を歴任。専門は天然物有機化学。
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