草木の香りを訪ねて──世界香り飛び歩記 ⑤
イランイランの香りに魅かれて いざ、香りの島マダガスカルへ
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
リゾートの島ノシベ。
マダガスカルでよく見かける旅人の木。
イランイランの栽培場。
不恰好な形に成長したイランイランの木。
黄色に色づいたイランイランの花。
摘まれたイランイランの花。
イランイランの蒸留。
リゾートの島ノシベ。
 アフリカ東海岸のインド洋に浮かぶ島マダガスカル。島といっても日本の1.5倍の国土面積を持つ世界で4番目に大きな島です。先史時代のゴンドワナ超大陸の分裂に伴い分かれて、さらにその後にインド亜大陸とも分かれて孤立した島です。アフリカ大陸からも400kmほど離れているので、島固有の生物種が多いことで知られています。横跳びする猿ベローシファカ、マダガスカルでは人間の祖先と考えられてきた猿のインドリ、童謡にも歌われている猿のアイアイ、白と黒の輪状の模様を交互に持つ長い尻尾のワオキツネザル、植物ではバオバブなど、マダガスカルにのみ存在する生物種が多いところです。
 マダガスカルに固有の植物以外にも海外から持ち込まれ栽培されているものもあります。その代表的なものがバニラで、マダガスカルのバニラは定評があります。他にもイランイラン、クローブ、ラベンツアラなどの主要な香料植物が栽培され、植物精油の一大生産国でもあります。
バニラ栽培の盛んなマダガスカル
 そんなマダガスカルですが、わが国からは遠く離れていて精油事情についてはあまりよく知られていないのが現状です。そこで香りの島マダガスカルに魅かれて香り関係の出版社のもとにエッセンシャルオイルツアーを企画して出かけました。
 マダガスカルといえば同じインド洋に浮かぶ小島レユニオンと並んでバニラ栽培の盛んな国です。その産地は島の北東部にあります。バニラは果実を採取後にキュアリングなどの数段階の行程を経て香ばしいバニリンの香りとなります。はじめはその地を訪れ、バニラ栽培の状況やバニラの加工工程を視察することを考えたのですが、航空便が不定期で、短期間の旅程では時間があわないことや、陸路でいくにしても長時間を要し、途中の道路事情が悪く、小さな木の舟で渡るような個所も数か所あるといったことや、途中に休憩するような場所も無く、それに盗賊が出てくる可能性もあるといった脅しも聞いて残念ながらバニラの産地訪問はあきらめることになったのでした。
イランイランの香りを求めてノシベへ
 マダガスカルの首都アンタナナリボから航空便で1時間半ほどの行程でマダガスカルの北西に位置する小さな島ノシベ、そこはイランイランの栽培が盛んなところです。
 イランイラン(Cananga odorata forma genuina)はバンレイシ科の樹木で主にマダガスカルやコモロで栽培され、その花は温かくあまい香りを持つことで香料原料として重要な位置を占めています。インドネシアで主に栽培されているイランイランの近縁種のカナンガ(Cananga odorata forma macrophylla)も貴重な香料植物として知られています。
 バンレイシ科、あまり聞きなれない科名ですが、熱帯、亜熱帯の植物で釈迦頭と呼ばれるシュガーアップルやカスタードアップルなどの果実として利用されているものがその仲間です。こちらの名の方がイランイランよりもよく知られているかもしれません。
 ノシベ国際空港に降り立ち、今回のツアー団体の専用バスに乗り込むや否やイランイランの花でつくられたレイを渡され、その甘い香りに魅せられながらノシベに来たことを実感しました。ホテルではベッドやテーブルの上に惜しみなく置かれたイランイランの花、そして部屋に漂う甘い香り、遠く南国に来なければ接することのない花をこれほどまでに身近に見られることに旅の疲れも忘れ、癒されたのです。
イランイランの農園と精油採取工場
 ノシベの島は香りの名にふさわしく、道路際に精油採取用のプランテーションが並び、その中でもひときわ目立つのがイランイランのプランテーションです。以前にアフリカで道路際に生えていたイランイランでは真っ直ぐに30メートルほどもある樹の上の方から香りが漂っているのに出会い、香りの強さを感じたのですが、ノシベのイランイランの姿には驚きを隠せませんでした。不自然なほどに太い枝が地を這う如くに横に伸びているのです。
 種子を苗床に植えて20cmほどになった時に移植すると、1年で人の高さほどになるのですが、その時に真中の主幹を伐るのです。花を摘み採りやすくするためです。真っ直ぐに上に伸びようとする力を抑えられ、その成長力を横に広げた姿はなんとも不恰好な様相を呈しています。この木の姿を見ると、自然に伸びようとする力を力づくで抑えつける人の強力な力を感じざるを得ません。と同時にそれにも負けじと抵抗して生き抜く木のたくましさを感じるのです。
 低木仕立てはわが国ではお茶の木で見られます。海外では精油用の葉の採取を容易にするためにオーストラリアでのユーカリ、インドネシアでのカユプテなどに見られますが、イランイランほどに極端な形の低木仕立てはあまり見られません。
 イランイランの花は6枚の細長い花弁でできていて黄緑色からしだいに成熟すると黄色に変わっていきます。その成熟した花の花弁の奥に赤く色づいた部分ができ、この部分に全体の精油の90%が含まれています。大きな面積を占める花弁に含まれる精油の量は10%程度です。が、赤い部分だけを分け取ることはむずかしいので、花弁が集められて精油採取に付されるのです。花は同じ時期には咲かないので時期をずらして摘むことになるのですが、花の香りは一般的にはどのようなものでもそうですが、開きはじめの時がもっとも良好なので、朝の6時から9時の間に摘まれ、10時には蒸留が開始されます。花を摘んでから3時間以内に蒸留しないと、香りの質が落ちると同時に収率も低くなるということです。
 100kgの花からおよそ2〜3kgの精油が採れます。すなわち収率は2〜3%ということなので、バラの花の精油収率が0.02%程度で、1gの精油を採るのに1400個の花弁を要するのに比べれば花としては収率の高いほうですし、わが国のスギやヒノキの葉からの精油の収率とほぼ同じです。
 ところでイランイランの精油の品質は蒸留の過程で数段階に分けられ、最初に得られるものが最高級品で高級調合香料に用いられます。イランイランという名が「花の中の花」を意味しているように高貴な香りなのです。少し品質の落ちるものは、石鹸香料などとして身近な製品になって出回っています。最近ではアロマテラピーにも用いられるようになり、リラックス効果、抗うつ効果などが認められています。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
NPO炭の木植え隊理事長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長・教授、香りの図書館館長(フレグランスジャーナル社)を歴任。専門は天然物有機化学。
タグ: