社労士豆知識 第37回
改正民法と賃金債権の時効 その2
横手 文彦(横手事務所代表)

 前回の論稿では、2020年4月1日施行予定の改正民法が、明治29(1896)年に法が制定されて以来の債権法に関する大改正であり、改正民法の施行に伴って、現在進行中の政府の働き方改革とも絡んで、労働契約によって生じる「賃金債権」の時効期間が2年から5年になるのではないかという問題提起がなされていることについて触れました。今回は、改正民法が施行されたときの具体的な運用に関する論点などについて、厚生労働省が立ち上げた「賃金等請求権の消滅時効のあり方に関する検討会」での議論を踏まえて、考えてみたいと思います。
3.改正民法が適用される契約
 改正民法が適用される時期についてですが、基本的な考え方は、改正民法の施行日前に締結された契約などで成立した権利関係については、改正前の現行民法が適用されます。そこで、実務的に問題になってきそうな事案は、未払い残業代等が改正民法施行日後の労務提供について発生しているにもかかわらず、元々の労働契約は施行日前に締結された契約である場合です。検討会では、この点に関して厚生労働省側から、施行日前に締結した労働契約に基づいて発生した賃金については、施行日後に発生した賃金であっても現行民法の消滅時効が適用されるとの解釈が妥当ではないかという見解が述べられています。
 それでは、改正民法が施行された後に締結された労働契約に関して生じた未払い残業代等があるとき、遡ってこれを請求できる期間が現行のまま労働基準法115条により2年になるのか、それとも改正民法の大原則にそって5年に及ぶことになるのか、という点です。労働者保護の観点からは、労働基準法115条ではなく、大原則の民法に立ち返るのが正しいのではないかという議論がでてきます。しかし、この点については、「民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」という、その名の通り改正民法と関係法令との調整を行うための法律があるのですが、この法律において労働基準法115条に何ら言及されてはおりません。その何ら言及されてはいないことをもって、115条は改正民法の施行後もそのまま適用されることになるのだとする解釈が今のところ妥当なようです(廣石忠司「民法改正が人事労務に与える影響」東京都社労士会会報No.444)。廣石教授によれば、労働基準法115条では、「賃金、災害補償その他の請求権」の時効が2年であるという規定の仕方をしているのであるから、改正民法が115条に優先するということになると、この条文を根拠とした年次有給休暇の取得請求権にも5年の時効が及ぶことになります。そうなると、理論上は、最長で100日の年休請求が可能になってしまいかねないのですが、これはさすがに年休取得を促進する政策に逆行しており、改正民法はそもそもそのようなことを想定してはいないだろうということです。
 この議論で、改めて想起されるべき視点は、民法と労働基準法との特殊な関係であると思われます。労働基準法は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要な労働条件を労働者に保障し、ここまでは必ず遵守されなければならない最低限度の労働条件の基準を定めた法律です。そのため、私人間の契約関係などを規定している民法の特別法という性質をもちつつ、一方で刑罰取締法規としての性質を有しており、その刑罰法規性を前提にした労働基準行政が専門性の高い労働基準監督官によって行われていることを忘れてはなりません。改正民法を適用することが、実質的に刑罰の強化につながる可能性が高いことなども十分に配慮されなければならないでしょう。また、現行の2年とされている消滅時効が労働者の保護や取引の安全といった法の理念や実務の観点から、妥当性は確保されているのではないかという視点も重要です。
 報じられている厚生労働省の動きを見ても、労働契約から生じる債権の消滅時効に関して現状の法的枠組みを変えて主観的起算点から5年を適用するには、広範囲にわたる関係法令等の見直しが必要になってくる可能性も考慮されていることがうかがわれます。
4.結論
 とはいえ、「月例賃金の消滅時効は、(現行)民法の1年を前提に労働基準法上の規定で2年とされているのだから、労働基準法の規定の見直しの要否が問題となりうる」といった学者からの指摘があること(菅野和夫「労働法 第11版補正版」弘文堂、160頁)、また、政府が働き方改革の実現を重要政策課題として掲げ、働き方改革関連法が国会で可決・成立している昨今の状況を勘案すると、将来、労働基準法115条の見直しの論議がより具体的に進められる可能性は十分にありうるといえます。今後、事業主に求められることは、未払い残業代などの問題が生じないための「スキのない労働時間管理体制の確立」と従業員の立場に立った業務内容・手順等の見直しを断行することにより時間外労働をできる限り短縮する改善の努力ではないでしょうか。
横手 文彦(よこて・ふみひこ)
1959年東京生まれ/1982年早稲田大学法学部卒業後、大手証券会社に入社/2007年コンサル会社に所属/2010年 特定社会保険労務士登録、開業登録/2011〜2016年 日本年金機構 年金特別アドバイザー
カテゴリー:建築法規 / 行政
タグ:社労士