古民家から学ぶエコハウスの知恵 ⑨
古民家から学ぶ「熱遮断」の仕組み
丸谷 博男(一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル代表/(一社)エコハウス研究会代表理事/専門学校ICSカレッジ オブ アーツ学長)
 この40〜50年の建築の話題は「断熱と気密」にあったように思います。その途中から、通気層の必要性、外壁側の透湿防水シートの使用、さらに室内側の気密シートの使用が論じられ、推進されてきました。
 しかし、この間にさまざまな疑問が挙げられてきていました。それは、以下のような疑問でした。
・北海道では理解できるが、夏冬の室内外の温度環境が逆転する本州以南では、気密シートは夏に結露をもたらすのではないか。結露しなくても湿度が80%を超えてしまうとカビの急速な繁殖をもたらすのではないか。
・高断熱化しても屋根裏は暑い、北海道でも通風が悪い屋根裏では夏の暑さが厳しい。どのような原理になっているのか。
 一方、古民家の経験から、以下のような体験が語られています。
・真夏の体験からわかるが、とにかく涼しい。建具が明け放しなのに30℃以上ある外気が室内に入ってきても、特に暑く感じることなく寒いくらいに涼しく感じる。
・茅葺きの屋根裏、板葺きの屋根裏、どちらにしてもそれほど暑くない。昔は養蚕をしていたので暑かったら蚕は死んでしまったはず。
 そして、建築の熱流を考える時に、「伝導と対流による熱流は全熱流の30〜40%、放射(輻射)による熱流は60〜70%」※という事実とを照らし合わせると、古民家で行われてきた「熱遮断」の効果が有効であったことと理解できるのです。
 さて、今回はあらためて、古民家の「熱遮断」の実力を徹底して検証していこうと思います。
 紹介したい古民家実測調査資料として、建築家、金田正夫の博士論文「伝統民家における温熱特性と現代住宅への応用に関する研究」(2011.3.24)があり、こちらに発表されている資料を元に、他の資料も合わせて解説します。
 また補足的に、これまで度重ねて紹介してきた花岡利昌の『伝統民家の生態学』(1991年、海青社)からの引用も活用していきます。
民家の知恵/温熱対策(金田正夫による表に筆者が加筆)
※『建築環境工学用教材』日本建築学会編、p. 50、「空気層の熱抵抗R」
熱遮断の手法
屋根勾配・方位による熱遮断
花岡利昌の研究から次のようなことが明らかにされています。
・棟が共に南北軸となっている白川郷の13/10勾配の合掌造り民家と、同地区の4/10勾配のトタン葺き住居の屋根面での日射受熱量を1年間通してみると、夏は合掌造りの屋根の1日の単位面積当たりの受熱量は、4/10勾配屋根の約1/2に、冬はその関係が逆転している様子を明らかにしている。
・奄美の分棟民家においても、13/10勾配の茅葺き民家と5/10勾配のトタン葺き住居を実測すると、13/10勾配の茅葺き民家の室温は日射量変化の影響をほとんど受けないのに対して、4/10勾配のトタン葺き住居の方は日射量に応じて室温が変動する。
図1 方形13/10勾配屋根と4/10勾配屋根の屋根面日射受熱量の比較
出典:花岡利昌『伝統民家の生態学』
屋根材の気化熱効果
 茅葺き屋根の水分の蒸発による気化熱作用によって、室内側の温度がほとんど一定のままで日射の影響を受けないでいる事実は、私の実測でも明らかになっています。これまでにもこの連載で紹介してきました。
 先人の研究においても次のように実証されています。
・花岡利昌は、鹿児島県大隅半島の茅葺き民家と瓦葺き現代住宅について、室内気温と屋根の内外表面温度を7月末に実測している。室温は前者が外気温より5℃低いのに対して、後者は外気温並になっている。また、茅葺き屋根の室内側が外気温より10℃低く、茅の外と内の間に40℃の差があることの理由として、茅の断熱性と気化熱による効果と分析している。
・堀祐治(富山大学准教授)ほかは、東京都町田の茅葺き民家の屋根各部の温度を降雨後と降雨前で比較し、前者の茅葺き内部温度が低いことから、その気化熱作用による効果を指摘している。
・大岡龍三(東京大学教授)ほかは、福井県池田町の茅葺き民家の屋根内外面の実測によって、内面の温度変化が極めて少なく、低い温度で安定していることを確認している。
・花岡利昌は、沖縄先島(石垣)の民家の素焼き本瓦屋根の吸水性が多いことが、水分を蒸発させ、屋根の冷却効果を生み出していることを確認している。
 このように、すでにさまざまな実証研究が茅葺き屋根については行われています。しかし、だからといって現代住宅に茅葺きを推奨することは、維持管理に多額の費用がかかるため現代では困難となっています。これに変わる工法は、「土葺き+草」屋根(屋上緑化)と理解できます。また、屋根緑化についての実証研究も多く行われているのでその有効性は疑う余地はありません。
置き屋根(二重屋根)による通気・熱排出
 日本の倉の基本形が、置き屋根です。これは明らかに日射の影響を防ぐための基本工法です。土蔵では、壁と屋根を暑い土壁で塗り回し、その上に屋根を掛ける方法をとってきました。土蔵の温熱環境の実測研究は多いのですが、置き屋根そのものの効果についての実測研究は少ないようです。そこで今回紹介させていただく金田正夫の研究が貴重な実証となっているのです。


図2 湯本家スケッチ
土蔵造3階建て、切妻、金属板葺き、平成11/1998年六合村指定重要文化財に指定。
図3 湯本家配置図
図4 湯本家主屋の断面図、置き屋根断面詳細図、測定箇所*
以下、*印の図版出典:金田正夫「伝統民家における温熱特性と現代住宅への応用に関する研究」
図5 湯本家主屋の平面図と測定箇所*
■湯本家主屋の建築概要
構造:木造地下1階、地上3階、伝統構法土蔵造
屋根:土葺き+カラー鉄板瓦棒葺き置屋根
屋根勾配:3.3/10(石置き板葺屋根の勾配で決められている)
外壁(室内側—外側):1・2階板厚28mm+小舞土壁厚197mm、3階小舞土壁厚150mm
天井仕上げ:地階・1・2階/上階床板表し、3階/屋根野地板表し
土蔵式民家「湯本家」
 群馬県赤岩集落(中之条町・旧六合村)の中に金田が調査対象とした湯本家(図2、3)があります。
 赤岩集落は養蚕を生業にしてきた農山村集落で、旧村名である六合村は、6カ所(小雨、赤岩、生須、太子、日影、入山)の主要な集落で形成されたことから名付けられとされ、赤岩集落はその一翼を担っていました。一見すると平地が広がり生産性の高い地域に見えますが、用水の確保は難しく、水田よりは畑作中心で耕作され、それを補完するために麻布や養蚕が盛んになりました。赤岩集落の集落的な発生期限はわかりませんが、名主である湯本家は草津温泉(草津町)の湯守で、戦国時代には土豪として甲斐の武田の家臣真田家に従い、武田家の没落後に当地に移り住んだとの伝承が残されていることから、少なくともその前後には集落が形成されていたと考えられます。
 赤岩集落では江戸時代後期から末期にかけて養蚕が行われるようになり、明治5年(1872)に官営工場である富岡製糸場(ユネスコの世界遺産、名称:「富岡製糸場と絹産業遺産群」)が完成すると明確に国を挙げて養蚕業での外貨獲得政策が打ち出され、集落でも主要産業として発展しました。明治時代後期にはさらに養蚕の生産性を上げるため、高山社(養蚕指導組織)の指導を受け昭和初期まで一大生産地として発展しました。家屋も1階が居住区、2階が養蚕と作業空間という独特な平面をもつ建物として発展し、特に2階は蚕棚が並びやすいように工夫され、通路部分が外壁外側に張り出し、今でいうバルコニーのようになっているのが特徴です。
 歴史的には、木曽義仲の家臣を祖に持つ湯本家に幕府批判をしたことで罪人となり脱獄した高野長英(水沢領主水沢伊達氏家臣・後藤実慶の三男)が隠れ住んでいたといわれています。
 また、赤岩集落の伝統的建造物(建築物)は、主屋18件、付属舎11件、蔵33件、宗教施設5件、合計67件。伝統的建造物(工作物)は石造物32件、石垣68件、井戸3基、火の見櫓1件、木造物5基、石段8件、合計117件あります。
 赤岩集落は山村養蚕集落として特色ある歴史的風致を伝え「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」との選定基準を満たしていることから東西約1,070m、南北約930mの約63haが平成18(2005)年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。(群馬県:歴史・観光・見所より引用 http://www.guntabi.com/
 湯本家は、もともと草津に居を構えていましたが、寛文5(1665)年に家督を弟に譲り、兄長左衛門幸常は赤岩に移り住みました。この地で医業につき以後代々受け継がれていきます。2代目傳左衞門安清のころに家伝の命宝散が考案されます。3代目趣命の宝暦8(1758)年には家伝の月桂酒が生まれています。5代目明敬の時代、享和3(1801)年に大火で家屋は焼失し、その後文化3(1806)年に現在の主屋が建てられました。6代目徳潜は黒田藩の侍医になります。2階の「長英の間」は7代目直方の時に逃亡中の高野長英をかくまった部屋との言い伝えがあります。医業は8代目省斉の時代まで続きます。明治になると養蚕が盛んになり、事業の拡大のために3階が増築され、昭和30年代まで続きました。
 湯本家の敷地は東西に長く、西側が街道に接し、道路より1mほど高くなっています。敷地には主屋のほかに、新屋・便所・土蔵が配されています(図3参照)。
湯本家主屋
 湯本家主屋は土蔵造り3階建てで、屋根は置き屋根形式で、間口(梁間)3間、奥行き(桁行)5間半、切妻屋根妻入り、正面(西側)2、3階に木造のバルコニーが施されています。
 主屋西半分には縁の下と呼ばれる地下室があり、当初は、ここに薬草を保存していました。
 1階は玄関側を診察室と待合室に、勝手口側を家族の生活の場に使っていて、土間と囲炉裏の痕跡が残っています。2階にはしつらえのしっかりとした客室「長英の間」と主人の部屋があり、他にものおきと呼ばれていた薬の貯蔵庫があります。3階は後に増築されたところで養蚕に使われていました。
 開口部には基本的には土戸が施されています。外壁の土塗り厚は2階で約190mm、3階で約150mm、屋根の土塗り厚は約100mmとなっています。
 置き屋根は現在、カラー鉄板瓦棒葺きになっていますが、当初は板葺き石置き屋根であったとみられます。主屋の建設年代は古文書から文化3(1806)年と推定され、3階部分は棟札から明治30(1897)年に増築されたことがわかっています。(図4、5)


図6 湯本家土蔵の平面図、置き屋根断面詳細図と測定箇所*
■湯本家土蔵の建築概要
構造:木造地上2階 伝統構法土蔵造
屋根:土葺き+カラー鉄板瓦棒葺き置屋根
屋根勾配:3.3/10(石置き板葺屋根の勾配で決められている)
天井仕上げ:1階/上階床板表し 2階/屋根野地板表し
湯本家土蔵
 湯本家土蔵は、主屋の東に位置し、地盤レベルが主屋より3mほど上がっています。建設年代は定かではありませんが、享和3(1801)年の大火で焼け残ったといわれているので、主屋よりも前に建てられたとみられます。
 2階があり、屋根は厚さ80mmの野地板の上に土が60mm載せられた置き屋根になっています。置き屋根は亜鉛鉄板の平葺きで仕上げられています。野地板が厚いのは断熱だけではなく、棟木から軒桁まで垂木なしで一気に架け渡す構法のためです。
 開口部は、裏白の開き土戸が室内に吊り込まれ、日常の開閉用の板戸と障子が引き戸で設えてあります。(図6)


図7 湯本家主屋温度測定*
図8 湯本家土蔵温度測定*
「湯本家」から学ぶ「熱遮断」の方法と効果
 それぞれの建物の熱遮断効果を明らかにするために、金田は二重屋根の各上面、最上階の天井面、室内外気温の温度測定を行っています。
 その測定結果を考察すると以下のように整理することができます。
 図7の湯本家主屋の温度測定をみると、置き屋根上面温度が最高になる時の下屋根上面温度は、置き屋根上面温度より、36.8℃下がり、外気温より2.2℃高く、外気温が最高になる時は、外気温より0.2℃低くなっています。置き屋根によって日射の影響がほとんど取り除かれている様子が読み取れます。また、10時ごろから17時ごろの間は、室温が外気温より低い状態が続き、天井面温度は室温よりさらに低くなっているのがわかります。室内グローブ温度はほぼ天井面温度と同じなので、室温より低い冷放射を感じ取っているとみられます。機械も電気も使わずに外気温より低い室温がつくられ、さらに冷放射感が加わり、一段と涼しい室内環境がつくられていることが理解できます。
 図8の湯本家土蔵の温度測定では、置き屋根上面温度が最高になる時の下屋根上面温度は置き屋根上面より35.4℃下がり、外気温より2.0℃高く、外気温が最高になる時は、外気温より0.4℃高くなっています。置き屋根によって日射の影響がほとんど取り除かれている様子が読み取れます。基本的には主屋の測定結果と同様の効果が確認できます。


図9 2010.8.21下屋根表面・外気温測定*
図10 2010.8.21通気層風量測定*
置き屋根構造の通風量特性
 金田はまた、二重屋根の通気層の暑さによる効果の違いについて実験をしています。実験用の模型の概要は下記の通りです。
 この測定結果から以下のことが明白に読み取れます。
・通気層の厚い方が温度降下にとって有効に働いている。(図9)
・通気層の厚い方が、風速が早く、その結果風量が多くなり、温度降下を効果的にしている。(図10)


図11 2000.8.1湯本家主屋・西小舞土壁温度測定*
土蔵造り民家の西日熱遮断特性
 図11の、「2000.8.1湯本家主屋・西小舞土壁温度測定」によれば、湯本家主屋の西側は、川に向かう下り斜面で西日を遮るものがないために、西壁外面の最高温度が52.9℃まで上がっていることがわかります。屋根面と同じように過酷な日射熱を受けますが、西日の影響を大きく受ける14時から17時の間に、西壁外面の温度が17.8℃上昇するのに対して、室内面は0.9℃の上昇にとどまっています。その結果、外気温が最高になる14:40において、室温が外気温より5.6℃低い環境がつくられているのです。
 このような効果が生まれるのは、土壁の熱容量の大きさに関係していると考えられます。西日のように、1日の中の3時間ほどの限られた時間だけ熱エネルギーが与えられる場合は、熱容量の大きい材料では、壁を暖めるだけの熱容量にならないうちに陽が沈んでしまい、外気温が降下すると、そこからは放熱モードに変わるため、結果として室内壁表面の温度上昇が起きないとみられます(当然ですが、土壁の気化熱作用も同時に生じているため相乗効果となっています)。
丸谷 博男(まるや・ひろお)
建築家、 一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル代表、一般社団法人エコハウス研究会代表理事、東京藝術大学非常勤講師、専門学校ICSカレッジオブアーツ学長
1948年 山梨県生まれ/1972年 東京藝術大学美術学部建築科卒業/1974年 同大学院修了、奥村昭雄先生の研究室・アトリエにおいて家具と建築の設計を学ぶ/1983年 一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル arts and architecture 設立/2013年一般社団法人エコハウス研究会設立