世界コンバージョン建築巡り 第30回
パリ──建築コンバージョンと共に成熟する都市
小林 克弘(東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授)
パリ略地図
1 ルーヴル美術館
東側正面外観。フランス革命時に市民に開放された美術館として整備された。1988年にメインエントランスとしてI.M・ペイ設計のガラスのピラミッドが竣工。
2 ルーヴル美術館
新しいエントランスの中庭のガラスのピラミッド。
はじめに
 芸術の都パリは、コンバージョンの都でもあり、その発展に大きく貢献してきた。ちなみに、現在の「ルーヴル美術館」(1、2)は、12世紀以来、国王の宮殿として整備されてきたが、17世紀末にルイ14世がヴェルサイユ宮殿を使用するようになってから、芸術家のアトリエ・住居、芸術アカデミー、芸術品の収蔵庫などとして使用され、フランス革命時に市民に開放された美術館として整備された。その後も拡張が続き、1988年にミッテラン大統領が提唱したパリ大改造計画の一環として、イオ・ミン・ペイの設計に基づき、中庭のガラスのピラミッドをエントランスとする計画が落成し、ほぼ現在の形となった。ルーヴル美術館自体が、長い改修・転用の歴史の賜物である。本稿では、パリにおける20世紀末以降の代表的なコンバージョン事例を巡る。
3 オルセー美術館
セーヌ川越しの全景。1900年にできた駅を美術館へコンバージョン。ガエ・アウレンティの設計により1986年に竣工。
4 オルセー美術館
かつてのプラットホーム空間。
5 オルセー美術館
上部展示室。
6 オルセー美術館
既存のインテリアを活かしたレストラン。
7 オランジュリー美術館
外観。19世紀中頃に建設されたオレンジ栽培の温室が、1927年にモネの「睡蓮」を展示する美術館に転用。2006年に大掛かりな改修が行われて現在のかたちになった。
8 オランジュリー美術館
温室の雰囲気が残るエントランス・ホール。
9 オランジュリー美術館
睡蓮の間への入口。
10 ギャルリー・ジュ・ド・ポム
外観。1861年にテニスの前身の球技(ジュ・ド・ポム)の施設が次第に展示場として使われるようになり、1991年に国立美術館として整備された。チュイルリー庭園でオランジュリー美術館と対の位置にある。
11 ギャルリー・ジュ・ド・ポム
展示空間内動線。
12 フランス文化省
様式建築部分の外観。1919年に百貨店倉庫として建てられ、30年代に入って財務省として使用されていた施設と、隣接して1960年に建てられた庁舎を合体して、2004年に全体を文化省の庁舎に転用。
13 フランス文化省
全体外観。左の様式建築と右の庁舎全体を曲線網目のパターンが覆う。
14 フランス文化省
室内からみた曲線網目。
15 ギャルリー・コルベール
パサージュ空間。19世紀初めにつくられたパサージュの空間を残しつつ、2006年に、フランス美術協会とパリ大学を中心とする研究機関へ転用。
16 ギャルリー・コルベール
周囲は研究機関に転用された。
17 ギャルリー・コルベール
パサージュ内にある円形空間。
中心部──オルセー美術館およびチュイルリー庭園内美術館
 1986年に竣工した「オルセー美術館」(3 – 6)の成功は、コンバージョンの価値を広く世界に広める役割を果たした。既存建築であるオルセー駅は、1900年にセーヌ川沿いに建設され、駅としての使用上の不便さから取り壊しの危機にも直面したが、1970年代から保存活用の検討が始まり、ミッテランのパリ大改造計画の一環として、1979年に6チームによる設計競技が行われた。選ばれたACT建築集団の案は、既存建築をもっともよく保存しながら活用する案であった。この案をベースとして、イタリアの女性建築家ガエ・アウレンティが中心となってインテリア・デザインを担当して開館に至った。オルセー美術館は、駅を美術館に変えるという大胆な計画であったこと、「美術館らしからぬ施設」でありながら美術鑑賞には優れた空間を有する点は大きな話題となり、コンバージョンの可能性を大きく世に知らしめることになった。
 ルーヴル美術館とオルセー美術館に続いて、近接するチュイルリー庭園内でも、次々に転用・改修がなされた。
 「オランジュリー美術館」(7 – 9)は、19世紀中頃に建設されたオレンジ栽培の温室が、1921年まで倉庫、兵舎、様々なイベントなどに利用され、1927年に美術館に転用され、楕円形平面の特別展示室に展示されたモネの「睡蓮」が注目を浴びることとなった。1965年に大規模な建築改修が実施され、館内の全面に床スラブが挿入されて2階建てとなったが、20世紀末再び全面改修が必要となり、建築コンペを経て、2006年に外観を保存しつつ、2階の床スラブを撤去し、地下空間を利用して、「睡蓮」の展示室、コレクションの展示室、ホールを納める美術館へと変貌した。大掛かりな改修であり、新築に匹敵する工事であったが、結果的に伝統的な外観と現代的な内部空間を融合した建築に転生した。
 「ギャルリー・ジュ・ド・ポム」(10、11)は、1861年に建設された球戯場が、次第に展示空間として用いられるようになり、1991年に外観保存と内部空間の刷新を行い、現代的な美術館に転生した事例である。外観は、オランジェリー美術館同様、重厚な様式建築であるが、内部では、大空間のエントランスから斜めに切り込む展示室へのアプローチ、細長く続く吹き抜け、そこに張り出したヴォリューム、白一色にまとめられた内部空間によって、現代的な展示空間が生み出されている。
 美術館以外の事例にも目を向けよう。「フランス文化省」(12 – 14)は、1919年に百貨店倉庫として建てられ、30年代に入って財務省として使用されていた施設と、隣接して1960年に建てられた庁舎を合体して、2004年に全体を文化省の庁舎に転用した事例である。2棟は建設年代が異なり、立面の形状と装飾が異なるため、アールヌーヴォーを想起させる網目状の金属パネルによって、あたかも1棟に見せる工夫がなされた。様式建築と近代建築と現代的アールヌーヴォーの被膜が一体となった光景は、いかにもパリらしい印象を与える。
 「ギャルリー・コルベール」(15 – 17)も複雑な経緯を持つ転用事例である。17世紀に建てられた邸館を含み込む形に、19世紀初めにギャルリー・コルベールという名称の通路型商業施設のパサージュがつくられたが、百貨店の台頭等によって衰退した。1970年代初頭に保存・改修に関する議論が沸き起こり、ギャルリー・コルベールは1974年に歴史的建造物に登録され1980年代から再建が始まる。最終的に、2006年に、フランス美術協会とパリ大学を中心とする研究機関への転用がなされた。パサージュの空間を残しつつ、現代的な機能に対応させるという、コンバージョンならではの成果が示される事例であるといえよう。
18 パヴィヨン・ド・ラルスナル
外観。1878年に建てられた個人美術館から、転用を経て1988年にパリ市によって、展示施設、図書館、事務所からなる施設にコンバージョン。2001年にさらに改修。
19 パヴィヨン・ド・ラルスナル
内部展示空間。床には巨大なパリの地図が敷かれている。
20 ヴィアデュク・デザール
街路からの眺め。バスティーユ広場近くに残っていた1859年竣工の鉄道高架橋を、1990年代に商業施設と屋上の公園にコンバージョン。屋上の公園はパリのまちなみを眺めながら散策できる魅力的な場所になっている。
21 ヴィアデュク・デザール
高架橋上部の公園。
22 ラ・ヴィレットの税関
外観。クロード・ニコラ・ルドゥーの設計で1780年代につくられた。ガラス屋根が架けられた中庭はカフェテリアに。約35年前に訪れた際には、鬱蒼とした森の中に、汚れた外壁のままで放置されていた。
23 ラ・ヴィレットの税関
内部化された旧中庭。ルドゥーの建築遺産。
24 ラ・ヴィレットの税関
広場と運河を見渡す。
25 サン・キャトル
街路沿い外観。葬儀場が展示場を中心とする多目的文化センターに転用された事例。2008年に文化センターとしてオープン。
26 サン・キャトル
内部のイベント広場。
27 サン・キャトル
中庭回り。もと葬儀場とは思えない明るく開放的な雰囲気。
28 建築・文化財博物館
エントランス回りの外観。1937年のパリ万博の時に建設されたシャイヨー宮に入っている。2007年の改修を経て、現在の展示空間となった。
29 建築・文化財博物館
既存建築である旧シャイヨー宮前の広場からエッフェル塔を臨む。
30 建築・文化財博物館
フランス文化財博物館部分の内部。
31 建築・文化財博物館
建築博物館内に展示された実物大のル・コルビュジエのユニテ・ダビダシオンの1住戸。
中心地区の周縁部の事例
 「パヴィヨン・ド・ラルスナル」(18、19)は、1878年に建てられた個人美術館が、パスタ工場、レストランなどに転用活用され、戦後パリ市の資料庫となり、1988年にパリ市によって、展示施設、図書館、事務所からなる施設にコンバージョンされた。2001年には、さらに魅力的な展示館とするための改修がなされている。既存施設は、中央に大きな吹き抜けと天窓を有した近代初期の代表的な鉄骨造建築のひとつであり、そうした空間構成を活かした展示がなされている。
 「ヴィアデュク・デザール」(20、21)は、バスティーユ広場近くに残っていた1859年竣工の鉄道高架橋を、1990年代に商業施設と屋上の公園にコンバージョンした事例である。元々が強固な土木施設であるため、高架橋部分には、新たに床を増設して、店舗面積を増やすことが可能であった。屋上は、公園として市民に開放され、パリのまちなみを眺めながら散策できる魅力的な場所になっている。ニューヨークのハイラインほどの規模はないが、先行事例として、土木施設のコンバージョンに影響を与えた。
 フランス革命期の建築家として有名なクロード・ニコラ・ルドゥーが設計した「ラ・ヴィレットの税関」(1780年代、22 – 24)は、サンマルタン運河で運ばれる物品を管理するために建てられた重要な建築遺産であった。ラ・ヴィレット公園の整備や運河周辺の再開発がなされて、この歴史建築は、現在カフェテリアに転用されている。外観は基本的に保存修復され、円筒形ヴォリュームの中にある中庭に、ガラス屋根をかけて内部化して、全体をカフェテリアとして使用できるように改修を行っている。重要な歴史的建築を、保存しながら公共的な用途に転用して、開放しようするという点は、いかにもパリらしい。
 「サン・キャトル」(25 – 27)は、葬儀場が展示場を中心とする多目的文化センターに転用された事例である。サン・キャトルとは、フランス語で数の「104」を意味するが、施設がオーベルヴィリエ通り104番地にあることから、その名称が使用されることになった。既存施設は、19世紀からパリ市営の葬儀場として使用されてきたが、1998年の使用停止の後に、あまり治安のよくないこの地域を、アートによる環境整備を行うという市長の方針の下の改修計画が練られ、2008年に文化センターとしてオープンした。通り沿いの施設を潜ってアプローチすると、小さな中庭があり、その奥にガラス屋根のふたつの大きなホールがある。展示やイベントのための空間は、25,000㎡にも及ぶ。もともとが葬儀施設と思えないような、明るい開放的な雰囲気があり、通り沿いの施設をくぐるアプローチや中庭は、都市的であり、かつ落ち着いた雰囲気を備える。
 「建築・文化財博物館」(28 – 31)は、1937年のパリ万国博覧会の時に、エッフェル塔から軸線に対して左右対称の構成に整備されたシャイヨー宮において、エッフェル塔からみて右側の棟の中に整備された施設である。ここには、文化財博物館と映画博物館が入っていたが、2007年の改修を経て、現在の展示空間となった。もともと、フランス文化財博物館は、修復家であり建築家でもあったヴィオレ・ル・デュクによって19世紀末に設立されており、フランス各地の歴史的建築の細部模型の保存を行っていた。建築博物館での展示は、歴史的建築のみならず、現代建築も含まれており、圧巻は、ル・コルビュジエのマルセイユの「ユニテ・ダビダシオン」の1世帯分のメゾネット住戸を原寸模型で展示していることである。住戸内に入ってユニテの住戸の空間構成を実体験でき、たいへん貴重である。
32 ラファイエット・アンティシパシオン
外観。マレ地区にある。2018年に、レム・コールハース+OMAの設計によって、19世紀中ごろの5階建ての中庭型建築をモダンアートの美術館に転用。出典:フランス・テレヴィシオンの動画の一コマ。
33 ラファイエット・アンティシパシオン
内部化された中庭。周辺に巨大な可動床を支えるフレームが見える。出典:ラファイエット・アンティシパシオン公式HP。
34 ブルス・ド・コメルス
鳥瞰。2021年5月にオープンした安藤忠雄改修設計の現代美術の美術館。レアール近くにある。18世紀に穀物取引所としてつくられ、1889年のパリ万博に際してガラスドームが架けられた。その後は商品取引所として利用されていた。
出典:ブルス・ド・コメルスの公式HP内の動画から転載。
https://www.pinaultcollection.com/en/boursedecommerce/ribenyu
35 ブルス・ド・コメルス
内部展示空間。出典:同上。
まとめ
 パリのコンバージョン事例を概観すると、既存建築は、王宮を含む居住施設、多様な公共施設が圧倒的に多く、通常の都市に見られる工場からの転用が少なく、転用後の用途では、美術館や博物館などの展示施設が多い。パリが、文化に満ちた居住都市・観光都市であることの必然的な結果であろう。
 パリの中でも最も古く、観光名所でもあるマレ地区で、2015年にテロ事件が起きて世界を驚かせたが、この地区では、2018年に、レム・コールハース+OMAの設計によって、19世紀中ごろの5階建ての中庭型建築を、「ラファイエット・アンティシパシオン」(32、33)という新たなタイプの美術館に転用するという事例が完成している。中庭を内部化して、そこに挿入された装置的な建築が、多様な展示やイベントを可能にするという施設である。
 2021年5月には、安藤忠雄改修設計の「ブルス・ド・コメルス」(34、35)が開館した。
 ルーヴル美術館とポンピドゥセンターの間というパリの中心部に立地するこの施設は、18世紀以降、穀物や商品の取引所などとして使われた歴史的建造物である。ピノー・コレクションが施設を定期借用して、美術館への転用を行った。安藤による改修デザインは、ガラスのドームを含む歴史的な外観は保存し、内部に高さ約9mのコンクリート製の円筒を導入して、新たな展示空間を創出しつつ、壁と既存建築の間に立体的な動線を仕込むことで、施設や展示を見渡す立体的な鑑賞を可能にするというものであった。
 近年も著名建築家による作品が次々に完成していることからもわかるように、パリは、歴史や伝統の中に、新しい要素を導入することで、既存建築の魅力をさらに輝かせるというコンバージョンの効用を見事に活用しながら円熟し続ける都市なのである。

[註]写真は、キャプション内に出典を記載した4点以外は、新型コロナ・ウィルス感染拡大以前に行った調査時に、筆者が撮影した。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/2021年4月から、国立近現代建築資料館主任建築資料調査官/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築㈼』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など