第46回東京建築賞総評
栗生 明(東京建築賞選考委員会委員長)
 東京建築賞の今年の応募総数は69作品を数えました。
 3月に実施された1次審査は写真、図面、説明書類などによる机上の審査です。
 現地審査でしか理解できないものを、落とさぬように配慮した慎重な書類審査によって、戸建住宅部門6作品、共同住宅部門7作品、一般一類部門11作品、一般二類部門8作品、合計32作品を一次審査通過作品としました。
 しかし、4月に現地審査をはじめてまもなく、コロナウイルスの蔓延により、現地審査の中断をせざるを得ない状況となりました。
 半年後の10月に、感染リスクを避ける万全の処置をし、さらに現地審査の数を絞ることで審査を再開することが、東京建築賞特別委員会や正副会長会で決定されました。
 選考委員会で2次審査(書類審査)を行い、現地審査対象作品を20作品に厳選いたしました。
 周辺環境との関係、空間の肌触り、空間の使われ方、細部の納まりなど、建築は現場で見てこそ十全な判断が可能と考えている審査委員会としては苦渋の決断でした。
 2次審査では良い作品の見落としがないよう、可能な限り詳細な資料の読み込みと、丁寧な議論を重ねたことは言うまでもありません。
 最終審査は、現地審査にあたった選考委員の意見を尊重しつつ、さまざまな角度から検討を重ね、各部門の最優秀賞、優秀賞、奨励賞を選考し、その中から、東京都知事賞、東京建築士事務所協会会長賞、新人賞、リノベーション賞それぞれに相応しい作品はどれかを時間をかけて議論しました。

 東京都知事賞は、選考基準として東京都内に建てられ、防災、福祉、都市景観などの見地から、都民生活の向上を図り、特に秩序ある都市の建設に貢献し、併せて地域環境の維持向上に寄与したと認められる作品であることが求められています。
 「早稲田大学37号館 早稲田アリーナ」は大学キャンパスに位置する多機能型スポーツアリーナを中心にラーニングコモンズ等を内包する複合施設ですが、建物ボリュームの大半を地下に埋設し、その地表に「戸山の丘」と名付けた「第二の大地」ともいえる、地域社会にも開かれた新たなパブリックスペースをつくり出しています。
 「持続可能な開発目標の設定」と「その実現に向けた方策の立案」といったSDGsにも代表される世界の要請にも応えるすぐれたモデルとして、また東京都の都心における緑化政策とも合致するものとして評価され、東京都知事賞に選定されました。

 一方、東京建築士事務所協会会長賞は「新潟の集合住宅Ⅲ」が選ばれました。
 地上10階、34ユニットで構成された賃貸集合住宅ですが、主構造であるラーメンフレームを10層分の集合住宅を成立させる都市的スケールとして表現する一方で、近隣の長屋や家屋が持つ人間的な大きさや密度感から逸脱しないように、薄い壁やスラブは2、3層のヒューマンスケールのブロックを積み上げるように表現しています。
 柱・梁と壁・床を分離することで生まれる中間領域は、室内から外部を望む場合においても、外部から内部を覗う場合においても新鮮で魅力的な空間構成となっています。
 都市化され高密度な状況下での集合住宅の新しい表現として評価されました。

 このふたつの作品にみられるように、建築は周辺環境に対してどのように応答すべきか、どのように閉じ、どのように開くべきかは、建築の永遠のテーマです。
 「借景」という言葉は座敷にすわって縁先の庭をながめ、垣根越しの隣家の庭木、さらに遠方の山並みを、我がものとして取り込み、愛でる空間手法に使われるとすると、外から建築を見る場合の「貸景」という言葉も、十分に意識された空間手法であるべきものです。
 建築が遠景、中景、近景でどのように見えるのが相応しいのか、その建築が存在することで近隣社会にどのような貢献ができるのかを、建築は常に問われているように思います。
 コロナ禍で分断孤立を余儀なくされている中で、地域コミュニティに積極的に開き、働きかけ、元気づけている作品が多くみられたことは収穫であったと思います。
栗生 明(くりゅう・あきら)
建築家、栗生総合計画事務所代表取締役
1947年 千葉県生まれ/1973年 早稲田大学大学院修了後、槇総合計画事務所/1979年 Kアトリエ設立/1987年 栗生総合計画事務所に改称、現在、代表取締役/1989年「カーニバルショーケース」で新日本建築家協会新人賞、1996年「植村直己冒険館」で日本建築学会作品賞、2003年「平等院宝物館鳳翔館」で日本芸術院賞、2006年「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」で村野藤吾賞ほか、受賞多数
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