世界コンバージョン建築巡り第24回
バンコク──想像を超える多様なコンバージョンの存在
小林 克弘(東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授)
バンコク略地図
1. 仏教寺院ワット・アルン
夜景。三島由紀夫の小説「豊饒の海、最終巻、『暁の寺』」タイトルの由来となった寺院。
2. ワット・プラケオ
由緒ある王宮寺院。バンコクの最大の観光名所のひとつ。
3. マハナコーン・タワー
崩れたような外壁や、ガラス張りの床を持つ展望台が特徴。設計はOMAのアジア統括建築家オーレ・シェーレン。2018年秋に完成。
はじめに
 バンコクの建築コンバージョンといっても、想像しにくいかもしれない。というのも、バンコクは、三島由紀夫の小説「豊饒の海、最終巻、『暁の寺』」のタイトルの由来となった仏教寺院「ワット・アルン」(1)や「ワット・プラケオ」(2)などに象徴される歴史的建築の印象と、2018年秋に完成した「マハナコーン・タワー」(3、OMAのアジア統括建築家オーレ・シェーレンの設計)のような最新の高層建築建設という印象が強いため、既存建築の活用であるコンバージョンが生じにくいように想像されるからである。しかし実際は、多様なコンバージョンが存在する。
 まず、バンコクの都市発展と都市構造を概観しよう。
 バンコクの歴史は1768年に、トンブリー王朝のタークシンが、ビルマの攻撃によって荒廃したアユタヤから約80km南のチャオプラヤー川西岸のトンブリーに遷都したことに始まる。約250年前のことなので、都市の歴史は意外に浅い。
 その後1782年にチャクリー王朝が、トンブリー対岸の東側に王宮を中心として、周囲を運河で囲まれた人工要塞となる島、ラッタナコーシン島を築いたことが都市化への契機となった。
 19世紀には、ラッタナコーシン島のみがバンコクの市街地として機能していたが、次第に、市街地は海外からの貿易商を受け入れつつ東南方面へと拡大し、20世紀後半から島の外堀であるシーロム通り周辺が経済の中心となった。
 そして1960年頃に約200万人だった人口は、30年間で約4倍へと増加した。現在、ラッタナコーシン地区は、旧市街地として多くの仏教寺院や歴史的建造物が保存されているが、その周辺では高層建築を含む都市開発が進行し続けている。
4. タイ・クリエイティブ・デザインセンター
1940年建設の「バンコク中央郵便局」を改修。正面外観は堂々としたアール・デコ調の石張り。
5. タイ・クリエイティブ・デザインセンター
背面に増築された図書スペース。
6. タイ・クリエイティブ・デザインセンター
増築された図書スペースの内部。
7. タイ銀行ラーニング・センター
2007年まで使用されていたタイ中央銀行の造幣局を、図書館や博物館などの複合施設へと転用。減築で生み出された2階エントランス回りの外部ピロティ空間。
8. タイ銀行ラーニング・センター
増築された大階段によってエントランスを2階へ変更。
9. タイ銀行ラーニング・センター
2階図書館内部。
現代的コンバージョンの事例
 最初に、バンコクにおいて、コンバージョンが進行していることの証として、ふたつの近年の事例を見てみよう。これらでは、大規模な増改築を行うことで、新旧の空間やファサードの対比を見せるという、コンバージョン・デザインならではの特色が見られる。
 「タイ・クリエイティブ・デザインセンター」(4 – 6)は、「バンコク中央郵便局」(1940年)を改修し、図書スペース、作業スペース、諸材料のサンプルギャラリーなどの機能を有する創造産業の支援施設へと転用した事例である。
 正面外観では、堂々としたアール・デコ調の石張りのファサード・デザインを保存しながら、裏側では、対照的なガラスのヴォリュームで構成された図書スペースを屋上に増築することで、新規のヴォリュームと既存施設との対比的共存が図られた。図書スペース内部は白い線材で構成された本棚と黒色の床とのコントラストが特徴的な現代的空間に仕上げられている。
 「タイ銀行ラーニング・センター」(7 – 9)は、2007年まで使用されていたタイ中央銀行の造幣局を図書館や博物館などの複合施設へと転用した事例である。
 特徴的な屋根のひし形の構造体を強調しながら、大規模な増築や減築を行っており、新たに生み出された外部のピロティ空間は、屋外ギャラリーとなっている。大階段によってエントランスが2階へ変更されているため、1階にあるラウンジは地下にあるような印象を受ける。造幣局時代に金庫として使われていた部分は、紙幣や硬貨を展示する空間に転用されている。
バンコク国立博物館
10. 中央展示館正面。
1782年建設の副王の宮殿を1926年に博物館に転用。全体は複数棟から成り、規模が大きい。
バンコク国立博物館
11. 中央展示館の内部。基本的には保存修復であるが、構造を露出するなどの操作が見られる。
バンコク国立博物館
12. 中央展示館周辺の寺院や展示館。
バンコク国立美術館
13. 外観正面。王立造幣局(1902年)を1974年に美術館へと転用した事例。イタリア人建築家の設計による新古典主義様式の外観や洋瓦の屋根は、建設時の状態を保存ししつつ、内部の各展示室は展示物に合わせた床の素材や壁の色が使い分けられている。
バンコク国立美術館
14. 内部展示室。
バンコク国立美術館
15. 中庭。かつての井戸が保存展示されている。
ジム・トンプソンの家
16. 外観。ジム・トンプソンが、アユタヤとバンコクから6軒の伝統家屋を1950年代に移築して住居として使用した住宅が、没後、博物館に転用された事例。
ジム・トンプソンの家
17. ピロティ空間。
サヤーム博物館
18. 外観。商務省として使われていたバロック様式の建物(1922年)を2008年にタイ王国の歴史に関する博物館に転用した事例。
サヤーム博物館
19. 内部階段室。
サヤーム博物館
20. 展示室。
シーロム・ヴィレッジ・トレードセンター
21. 正面アプローチ。20世紀初頭のチーク材でできた17の住宅群を、1980年頃に商業施設に転用。
シーロム・ヴィレッジ・トレードセンター
22. センター内の通路空間。
ハウス・オブ・サートーン
23. 正面外観。背後にマハナコーン・タワーが見える。1889年に建てられた貴族の邸宅。ホテル、大使館として使用された後、2001年に文化財登録され、現在はホテルの施設に。
ハウス・オブ・サートーン
24. 中庭。
ハウス・オブ・サートーン
25. 宴会室。
歴史的建築のコンバージョン活用
 住宅や公共建築から博物館への転用も多く見られるが、これらの中には、20世紀前半に行われた事例もある。
 「バンコク国立博物館」(10 – 12)は、1782年建設の副王の宮殿を1926年に博物館に転用した事例であり、外観・内観ともに基本的には保存修復であるが、構造を露出するなどの操作が見られる。全体は複数棟から成り、規模が大きく、展示空間としての動線計画に工夫が見られる。
 「バンコク国立美術館」(13 – 15)は、王立造幣局(1902年)を1974年に美術館へと転用した事例であり、タイの著名な芸術家の作品を展示している。新古典主義様式の外観や洋瓦の屋根は建設時の状態を保存ししつつ、内部の各展示室は展示物に合わせた床の素材や壁の色が使い分けられている。また中庭に、当時使われていた古井戸が展示されている。
 「ジム・トンプソンの家」(16、17)は、タイ・シルクブランドの創始者ジム・トンプソンが、アユタヤとバンコクから6軒の伝統家屋を1950年代に移築して住居として使用した住宅が、没後、博物館に転用された事例である。タイの伝統家屋では通常屋外にある階段と浴室が屋内につくられているなど、伝統的なタイの住様式に西洋の文化を融合させようとするトンプソンの意図が感じられるハウス・ミュージアムである。
 より近年の事例としては、「サヤーム博物館」(18 – 20)がある。商務省として使われていた建物(1922年)を2008年にタイ王国の歴史に関する博物館に転用した事例である。簡素なバロック様式の外観は建設時のまま保存されている。内部空間には、エントランスに鉄骨のフレームで構成された受付カウンターやエレベーター等の新たな要素が挿入され、展示デザインも現代的な感覚でまとめられている。
 住宅あるいは住宅群を、商業施設に転用した事例も多い。その代表例、「シーロム・ヴィレッジ・トレードセンター」(21、22)は、20世紀初頭のチーク材でできた17の住宅群を、1980年頃に商業施設に転用した事例であり、建物同士を繋ぐブリッジや廊下を付け加えるなどの改修が施され、商業施設としての回遊性を強化した空間を生み出している。
 「ハウス・オブ・サートーン」(23 – 25)は、1889年に建てられた貴族の邸宅が、ホテル、ロシア大使館として使用された後、2001年にタイ芸術局により文化財登録され、現在はホテルに付随するレストランおよびレセプション施設として使用される事例である。歴史を感じさせる外観と中庭を囲む快適な内部空間の活用が意図されている。
アジアティーク・ザ・リバーフロント
26. 街路に面したエントランス回りの光景。船着場にある約10棟の倉庫群を商業施設にコンバージョン。倉庫間の通路や倉庫内大空間に細かに壁や店舗を挿入している。
アジアティーク・ザ・リバーフロント
27. 内部空間。元の用途に関する物が随所に展示されている。
ロン1919
28. 中庭回りの施設群。中華系商船の船着場と倉庫群を観光複合施設に転用。
ロン1919
29. 川沿いの多目的ホール。
ロン1919
30. 川沿いのレストラン棟の内部。
ジャムファクトリー
33. 外観。ジャム工場をカフェやショップなどの複合施設へと転用。
ジャムファクトリー
34. 内部の書店部分。
ネバーエンディング・サマー
35. 外観。ジャムファクトリーに隣接した製氷工場をレストランに転用。
ネバーエンディング・サマー
36. 内部のレストラン。
ラビット・デジタルグループ
37. 外観。運河沿いに立地していた倉庫をオフィスへと転用。外観は保存し、内部にスラブを挿入することにより2層構成としている。
ラビット・デジタルグループ
38. 内部。大空間の中に2層のオフィス空間がつくり込まれている。
YELOハウス
39. 外観。運河沿いに立地していた倉庫をギャラリーやオフィスなどに転用。
YELOハウス
40. 内部。
産業施設のコンバージョン活用
 2010年以降に、工場や倉庫などの産業施設を、観光振興のための商業施設に転用した事例が多く見られる。特に水上交通で重要な役割を果たすチャオプラヤー川沿いの産業施設は、大規模な複数棟活用事例が多い。
 その代表例「アジアティーク・ザ・リバーフロント」(26、27)は、19世紀後半、イースト・アジアティーク社がチーク材を海外に送り出すための船着場に立地する、約10棟からなる倉庫群を商業施設にコンバージョンしている。既存倉庫の形状はさまざまであり、倉庫間の通路や倉庫内大空間に細かに壁や店舗を挿入することで、路地空間的な魅力を生み出している。
 「ロン1919」(28 – 30)は、中華系商船の船着場と倉庫群を観光複合施設に転用した事例である。施設は、大きく3棟で構成されているが、川沿いのレストラン棟では、躯体を保存し、外壁をガラス張りに改修し、中庭を囲む施設は、基本的に外観を保存しながら、展示施設やカフェに使用されている。川沿いの多目的ホールへと改修した棟では、外壁を保存し、内部の大空間を活用する。既存施設の外観や内部空間に適した転用計画であるといえるだろう。
 「ウェアハウス30」(31、32)は、倉庫を店舗などの商業施設に転用した事例であり、8つの連続した倉庫に鉄骨の架構を増設して、旧倉庫間を内部で繋ぐ廊下とすることで、内部移動を容易にした。店舗の床には、既存の木のフローリングを使用したり、部分的に新たにコンクリート壁をつくるなど、店舗ごとの特色が見られるが、全体としては倉庫の赤い錆を保存して、統一感が感じられる空間を創出している。
 「ジャムファクトリー」(33、34)は、ジャム工場をカフェやショップなどの複合施設へと転用した事例である。平屋建てで切妻屋根のヴォリュームに対し、平入りのファサードはほぼ当時の外観を残している一方で、妻面にはガラスを多用し、内部の様子が外から見えるつくりになっている。内部空間は既存の鉄骨の柱と洋小屋組の木でできた天井の躯体を見せることで新旧の対比を生んでいる。
 「ネバーエンディング・サマー」(35、36)は、ジャムファクトリーに隣接した製氷工場をレストランに転用した事例である。このレストランは倉庫特有の大空間と既存の骨組みを残すが、天井の一部を取り除くことにより明るい空間を生み出している。また、キッチンと客席の仕切りはガラス1枚として、大空間を感じられるようにし、大きな開口部を開けることで、暗色の外観と明るい内観との対比を生み出している。
 「ラビット・デジタルグループ」(37、38)は、運河沿いに立地していた倉庫をオフィスへと転用した事例である。外観は保存されているが、内部ではスラブを挿入することにより2層構成となっており、エントランスは開放的な吹き抜けとなっている。約1,500㎡のオフィスは基本的には一体であるが、部分的に木の壁により空間を区切ることができる仕組みである。また、吹き抜けに面した垂直動線に滑り台を用いるなど、遊び心も備えた空間となっている。
 「YELOハウス」(39、40)も、運河沿いに立地する倉庫をギャラリーやオフィスなどに転用した事例である。露出した天井のラチス梁やトタンの屋根など、建物の外形はほぼ既存の形を残しながら、大きな内部空間を細かい空間に分けるという操作を行ったコンバージョン事例である。異なる高さの階高同士を繋ぐ渡り廊下や階段が複雑なかたちで入り組む構成が特徴的であり、既存の大空間をうまく活用した空間構成である。
アユタヤ国立博物館・ツーリストセンター
41. 外観。20世紀前半に建てられた庁舎の文化施設への転用。
アユタヤ国立博物館・ツーリストセンター
42. エントランスホール見上げ。
チェンマイ市立芸術センター
43. 外観。20世紀前半に建てられた庁舎の文化施設への転用。
チェンマイ市立芸術センター
44. 中庭。
まとめ
 邸宅や公共施設の転用活用は、20世紀から見られるが、本格的なコンバージョンの増加は、近年になってからということができる。バンコクで多くの多様なコンバージョンが見られる理由は、タイの伝統的建築に加えて、西洋様式建築を受け入れたため、建築ストックが多様であることが挙げられる。また、バンコクの産業系施設は、水上交通を前提とした倉庫や工場であり、規模の大きい既存建築が多いことが、大規模観光産業施設への転用に貢献している。
 バンコク以外でも、観光客が多く訪れるアユタヤやチェンマイにおいても、20世0紀前半に建てられた庁舎が、それぞれ「アユタヤ国立博物館・ツーリストセンター」(41、42)と「チェンマイ市立芸術センター」(43、44)という文化施設に転用されていることからもわかるように、建築コンバージョンは、タイの観光や文化振興にとって、重要な役割を果たしつつある。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など