思い出のスケッチ #329
サグラダファミリア贖罪聖堂
早川 佳孝(東京都建築士事務所協会賛助会員会情報委員、『コア東京』編集委員、富田商事株式会社 企画・デザイン部 建築意匠参与)
 イベリア航空にて機中の人となってだいぶ時間が経った。
 機内は薄暗くなっている。親戚四名での旅行で、横に座っている妻はその妹とお喋りに余念がない。私は二〇〇三年一二月に東京都現代美術館で開催された「ガウディかたちの探求」展の冊子抜粋を取り出し読書灯で読むことにする。一寸難解な読み物であるが、なにしろ未だ一七時間ある。時は二〇一九年五月初旬であった。その一五年余り前のガウディ展の折には現物を見に行けるとは思いもよらなかったのでよい機会となった。それよりもっと前、先の東京オリンピックのころ、建築学科の学生だった時にガウディ作品を初めて目にし、その驚愕は強かった。当時は二〇世紀巨匠の時代で、丹下健三、ル・コルビュジエ、F・L・ライト等の機能主義、有機的建築という語句が聞かれる建築界であった。
 その、「サグラ・ダファミリア贖罪聖堂」の建設経緯を簡略化して見てみよう。
 経過時間:二〇二〇年(現時点)–一八八二年(着工)=一三八年
 残工期:二〇二六年(完成予定)–二〇二〇年=(あと)六年
 短縮時間:三〇〇年(要工期)–一三八年(経過)–六年=一五六年
 なぜ「サグラ・ダファミリア贖罪聖堂」の工期が三〇〇年から一五〇年も短縮されたのか。それには次の要因等が考えられる。
①社会的背景の影響、特にスペイン戦争。
②建設費の調達が従来の寄進から観光客による収入増大へと変わった。
③技術革新による3Dプリンターの出現。
 私は以前からこれに注目していた。即ち、「3Dプリンター+ソフト」の力である。
 ところで、このスケッチについては、作画に当たってどう表現するか。これには実物制作の方式に倣い、2Dプリンターとカメラ技術の力を借りることとした。
 さて最後に、建築も技術の進歩に同調していくだけでいいのか。各々の思慮が問われる。建築は凍れる音楽といわれ、未完成交響曲の如く「我が恋の終わらざるが如くこの曲もおわらざりき」の言葉のように、日々神に祈りを捧げ、コツコツといつ出来上がるとも知れず建設が続くのも、見果てぬ天上への夢ではないか……。
早川 佳孝(はやかわ・よしたか)
東京都建築士事務所協会賛助会員会幹事、会誌・HP専門委員、富田商事株式会社企画・デザイン部 建築意匠参与