東京百景2019(第20回建築ふれあいフェア各支部ポストカード)
粋なまち神楽坂に戦後復興すべく開業
高橋 政則(東京都建築士事務所協会新宿支部、一級建築士事務所有限会社高橋建築工房)
 牛込見附から外堀を挟んだ北西一帯を神楽坂と呼んでいる。地名からも神楽坂、軽子坂、地蔵坂、三年坂、芸者新道、本多横丁と街の様子が浮かぶ。明治・大正初期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人や墨客たちがこの辺りを闊歩し大いに賑わいを見せていた。永井荷風の『日和下駄』にも、「私は四谷見附を出てから迂曲した外濠の堤の、丁度その曲角になっている本村町の坂上に立って、次第に地勢の低くなり行くにつれ、目のとどくかぎり市ヶ谷から牛込を経て遠く小石川の高台を望む景色をば東京中での最も美しい景色の中に数えている」と表している。
 しかし、昭和20年の東京大空襲では、首都を火の海と化し、神楽坂も灰燼に帰することとなってしまった。正面の建物は料亭として昭和25年に復興に合わせ、いち早く建てられている。同じころ毘沙門天(善國寺)の門前町家も戦災からの復興が果たされたようである。
 石畳と黒塀に囲まれた路地は幅七尺、ここでは「かくれんぼ横丁」と呼ばれる。残念ながら見越しの松はなかったが、花街の雰囲気を今に残している。2軒の建物は景観を守りながら、お店として存続させる努力をしていたが、残念ながら1軒は昨年秋から休業となってしまった。この一帯は「粋なまち神楽坂地区」に指定され、これらの建物も神楽坂花街の景観に寄与している。

名称:神楽坂「山路」
所在地:東京都新宿区神楽坂三丁目
建築時期:昭和25年竣工
撮影者:高橋 政則
高橋 政則(たかはし・まさのり)
東京都建築士事務所協会新宿支部、一級建築士事務所有限会社高橋建築工房
1978年 日本工業大学工学部建築学科卒業/1978年 一級建築士事務所 波多野純建築設計室入社/1991年1月 有限会社高橋建築工房を設立、代表取締役就任、現在に至る