社労士豆知識 第45回
投手の肩肘保護とパワハラと安全配慮義務
横手 文彦(特定社会保険労務士、横手事務所)
 職場でのパワーハラスメント(パワハラ)防止を義務付ける関連法(労働施策総合推進法)が令和元(2019)年5月29日参院本会議で可決、成立しています。
 この法律により、これまで明確な定義がなかったパワハラを「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」と定義付けしています。そして、企業に相談窓口の設置など「適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じること」を義務付けています。この法律の施行は令和2(2020)年6月1日とされていますが、中小企業については、令和4(2022)年3月31日までは努力義務とされ、同年4月1日から本来の義務化が適用される予定です。
 パワハラの問題の難しいところのひとつは、セクハラと同様、加害者にその自覚がなくても被害者側がハラスメントであると感じた段階で、事件が顕在化してくることです。ハラスメント問題が世間で取り上げられるようになればなるほど、被害者のパワハラに対する感度が鋭敏化し、顕在化してゆく事例が増えていくことは避けられないでしょう。ひと昔前ならば、こんなことがハラスメントになるのかといった些細なことがパワハラだ、セクハラだと訴えられるようになるかもしれません。
 そこで、パワハラを防止しなければならないことの本質は何かという視点で考えてみたいのですが、パワハラやセクハラを防止する対策をしていない会社は、前述の労働施策総合推進法の措置義務違反になるのです。しかし、より本質的な問題は労働契約法の第5条に定められた安全配慮義務に違反するという点です。労働契約法は、労働契約から当然に導かれる義務として、使用者に労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ働ける職場環境が担保されるよう配慮義務を課しているのです。
投手の連投回避とパワハラの本質
 ここで連想が働いたのが、昨年夏の高校野球で話題になった投手の連投回避の話でした。この件は、「令和元(2019)年7月25日に行われた全国高校野球選手権岩手大会の決勝で、岩手県立大船渡高等学校が最速163キロを誇る佐々木朗希投手を試合に登板させずに敗退し、國保陽平監督の采配に賛否の声が寄せられた」というものです。「佐々木投手は前日に行われた準決勝で129球を投げており、4日前の4回戦では延長12回をひとりで投げきり194球を投じて」いました。少年野球や高校野球などで、将来性の高い投手が投げ過ぎのために肩や肘を故障し、最悪夢をあきらめるに至る事例は、長年問題視されながら明確で十分な規制が行われていなかったのですが、この事件などをきっかけに高野連がようやく腰を上げます。昨年11月に提出された「投手の障害予防に関する有識者会議」の最終的な答申では、高野連が主催する大会期間中の試合を対象に、ひとりの投手が投げられる総投球数を、1週間で500球以内とする投球数制限などが提示され、令和2(2020)年の選抜高等学校野球大会(新型コロナウイルス対策のため開催中止)から導入されることになっていました。高校球児はもちろん労働者ではありませんが、あえて安全配慮義務的な観点からいえば、國保監督の判断は当然「是」とされるべきものだったといえるでしょう。
 しかし、馬鹿げた精神論で連投を肯定する意見は論外としても、この件では佐々木投手本人がむしろ投げたい気持ちがあったという点が問題を少々複雑にします。反対に監督が連投を忌避する投手に登板を強要していたり、チームメートや校風または甲子園大会というスポーツ文化そのものが連投せざるを得ない雰囲気を醸し出していて、エースは連投回避の選択が事実上できなかったというような場合、これはパワハラに本質的に通じる事例といえるのでしょう。
行き着くのは人間力の問題
 ここで重要なことは、少年野球や高校野球の監督と選手の関係における教育者と生徒の関係です。生徒を指導する教育者の判断基準は、生徒のためになるか否かの一点です。言い換えれば、生徒への「愛」ということでしょうか。これを欠いて高野連のつくるマニュアルや指針に書いてあることを遵守したところで、それはただの保身であることを生徒は容易に見破ることでしょう。このような状態で信頼関係を築くことはできず、些細なことで不的確指導や体罰などの問題が顕在化するに至るのだろうと想像できます。
 パワハラが最も起こりやすい状況は、上司が部下を指導するときです。そして、部下の指導という場面では、上司も教育者としての側面があると考えられるのです。
 そこで、教育者と生徒の関係を応用して、部下の指導に当たる上司がパワハラを回避する最善の方法を提案するとすれば、指導する前に一呼吸おいて「これは部下のために行うことなのか、自分の保身や自己満足のためにやっていることではないといえるか」と自問してみることです。人それぞれ価値観が異なるので、気持ちはなかなか通じないかもしれません。それでも、自己保身のためにパワハラのマニュアルとにらめっこしながら「膾を吹くように」部下の指導に当たるよりは、はるかにパワハラ防止に効果が上がると思います。
 パワハラ回避の本質は、結局上司の人間力の問題に行き着くのではないでしょうか。
横手 文彦(よこて・ふみひこ)
1959年東京生まれ/1982年早稲田大学法学部卒業後、大手証券会社に入社/2007年コンサル会社に所属/2010年 特定社会保険労務士登録、開業登録/2011〜2016年 日本年金機構 年金特別アドバイザー
カテゴリー:建築法規 / 行政
タグ:社労士