世界コンバージョン建築巡り 第19回
プラハ──歴史建築と産業建築の転用活用で、観光都市への変貌に成功
小林 克弘(首都大学東京教授)
プラハ略地図
はじめに
 チェコ共和国の首都プラハは、モルダウ川河畔に位置する美しい都市である。プラハ市内を北に向かって流れるモルダウ川は、エルベ川に通じて、北海に至り、南ではドナウ川に通じて、黒海に至る。プラハは、中世末期には、ボヘミア王国や中央ヨーロッパの大国であった神聖ローマ帝国の首都であり、西欧中心都市のひとつであった。川の西側のプラハ城は、9世紀に建設が始まり、14世紀後半に「カレル橋」をつくって、川の東側の旧市街開発が可能になった。しかし、近世は他国の支配を受け、暗黒時代ともいわれる。19世紀以降は、豊かな石炭を生かして工業が発達し、旧市街の外側に新市街を形成した。
 国の体制では、第1次世界大戦後に、チェコスロバキア共和国が成立した。その後、ドイツの保護国になるが、第2次世界大戦後、ソ連の影響のもと、再度独立を果たし、1989年の共産党政権崩壊後の1993年にチェコとスロバキアに平和的に分裂した。チェコ共和国は、2004年にEUに加盟し、西側国家となっている。
 プラハは、幸いにも戦災の被害が限定的であったため、都市圏人口200万人を超える都市にしては、歴史的建造物がよく残っており、「プラハ城」から旧市街に至る範囲が、1992年に「プラハ歴史地区」として世界遺産に登録された。「カレル橋」と「プラハ城」を眺めた光景(①)や「旧市庁舎」展望塔から旧市街を見渡す光景(②)を見ると、世界遺産である所以が理解できよう。今回は、プラハにおけるコンバージョン建築を、歴史地区、新市街、郊外の産業地区に分けて辿ることにしよう。
1. プラハ歴史地区
モルダウ川越しに、プラハ城(正面)とカレル橋(右)を眺めた光景。
「プラハ城」から旧市街に至る範囲が、1992年に「プラハ歴史地区」として世界遺産に登録された。
2. プラハ歴史地区
旧市庁舎展望塔から旧市街を見渡す光景。
3. プラハ城王宮前広場
プラハ城は、現存する最古にして最大の城といわれる。城内には、王宮関連施設のみならず、複数の教会堂もあり、ひとつの小さな町を形成している。
4. プラハ城王宮内のヴラティスラフ・ホール
美しいリブが付いたヴォールト天井を残す大ホール。
5. 聖ヴィート大聖堂
プラハ城内にある14世紀に着工し19世紀に竣工したゴシック様式の大聖堂ファサード。
6. 聖ヴィート大聖堂
聖堂内部。
7. 「城の物語」博物館
プラハ城内の博物館。
8. プラハ城内の通り
右側の邸宅は、博物館に転用されている。
9. 旧市庁舎
正面外観。塔の低層部に取り付けられている天文時計の前は、いつも観光客で賑わう。
10. 旧市庁舎
塔の頂部にある展望台に上るエレベーター。シースルー・エレベーターを独特の構造体が支える。
11. 旧市庁舎
旧市庁舎室内。14世紀末に市が邸宅を買い取って市庁舎とし、現在は、観光案内所、展望台として使われている。
12. ジンドリスカの塔(ヘンリー塔)
15世紀に教会の鐘楼として建てられ、16世紀には石造でルネサンス様式に再建され、19世紀に現在のゴシック様式調に修復された。内部に新たな床を挿入して、最上階展望室、上階カフェ、中央階展示室、低層階バーと店舗という複合施設に転用。
13. ジンドリスカの塔(ヘンリー塔)
上部のレストラン。
14. ジンドリスカの塔(ヘンリー塔)
内部の展示室。プラハの塔に関する展示がなされている。
15. 旧市街橋塔
カレル橋の近くに、橋と同じ設計者によって建てられた。
16. 火薬塔
15世紀後半に完成し、17世紀の戦いで火薬庫として使用されたため、この名前になった。展望塔およびギャラリーとして活用されている。
通りの焦点に塔が垣間見える都市光景は、プラハならではのもの。
17. ベルツヘム礼拝堂
14世紀建設で、チェコの宗教改革者ヤン・フスが説教を行った場所としても有名。現在は、非宗教的な集会やイベントホール。
18. ベルツヘム礼拝堂
2階の礼拝室。現在では、多目的に使用されている。
19. ベルツヘム礼拝堂に隣接する学校。展示施設に転用されている。
20. ホテル・キングジョージ
旧市街内で、住宅がホテルに転用された例。
中世の路地のような通り沿いには、住宅がホテルや店舗に転用された例が多い。
世界遺産地区内のコンバージョン
 「プラハ城」は、現存する最古にして最大の城ともいわれる。城内には、王宮関連施設のみならず、複数の教会堂もあり、ひとつの小さな町を形成している。現在の「王宮」(③)は、15世紀ごろから建設され、20世紀初頭にも改修が行われている。内部の「ヴラティスラフ・ホール」(④)は、美しいリブが付いたヴォールト天井を残す大ホールであり、その他に、展示ギャラリーに用いられている空間もある。城内中心に建つ「聖ヴィート大聖堂」(⑤、⑥)は、14世紀に着工し19世紀に竣工したゴシック様式の大聖堂である。城内には、「城の物語」を展示する博物館(⑦)や、邸宅から博物館の事例(⑧)などもあり、観光振興のために、随所でコンバージョンが活用されている。
 プラハ城からカレル橋経由でモルダウ川を渡ると旧市街が広がる。「旧市庁舎」(⑨ - ⑪)は、14世紀末に市が邸宅を買い取って市庁舎とすることから始まり、現在では、観光案内所、展望台として用いられている。旧市街のシンボルのひとつであり、塔の低層部に取り付けられている天文時計の前は、いつも観光客で賑わう。塔内には、中央に独特の構造で支えられたエレベーターも設置されている。
 プラハは、塔の街ともいわれ、15世紀に建設が始まった塔が数多く残る。そのひとつ、新市街との境界近くに建つ「ジンドリスカの塔」(ヘンリー塔)(⑫ - ⑭)は、元々15世紀に教会の鐘楼として建てられ、16世紀には石造でルネサンス様式に再建され、19世紀に現在のゴシック様式調に修復された。この塔では、内部に新たな床を挿入して、最上階展望室、上階カフェ、中央階展示室、低層階バーと店舗という複合施設に転用した面白い事例である。「旧市街橋塔」(⑮)は、15世紀初頭に完成し、カレル橋と同じ設計者がデザインしている。「火薬塔」(⑯)は、15世紀後半に完成し、17世紀の戦いで火薬庫として使用されたため現在の名前になり、展望塔およびギャラリーとして活用されている。通りの焦点にこれらの塔が垣間見える都市光景は、プラハならではのものであろう。
 旧市街内の「ベルツヘム礼拝堂」(⑰ - ⑲)は、14世紀建設で、チェコの宗教改革者ヤン・フスが説教を行った場所としても有名である。19世紀に修復され、現在では、礼拝室は非宗教的な集会やイベントホールになり、歴史を展示するスペースも設けられた。隣接する学校は、現在展示空間として転用活用されている。中世の路地のような通り沿いには、住宅がホテルや店舗に転用された例が多く、「ホテル・キングジョージ」(⑳)は、その一例である。
21. プラハ中央駅
正面外観。アールヌーボーの影響をうけた建築。近年大改修された。
22. プラハ中央駅
エントランス・ホールの吹き抜けに面する2階通路。
23. 市民会館
アールヌーボーの華やかさを残す外観。
19世紀末から旧市街の東側に拡張した新市街では、アールヌーボーの影響をうけた建築が多くつくられた。
24. ホテル・ボスコロ
バロック様式の堂々たる外観。1894年に建てられた銀行のための建築が、2002年に高級ホテルに転用。
25. ホテル・ボスコロ
ホテルのラウンジ。
26. ホテル・ボスコロ
ラウンジに隣接するバー。新旧を共存させながら共用空間を整備。
27. 旧税関
街路沿い外観。19世紀半ばに建てられた。1階にスーパーマーケット、上階にオフィスという複合施設に転用。
28. 旧税関
背面外観。増築部は、ガラスを多用した現代建築。
29. 国立美術館・近現代芸術館
1928年に建てられた見本市会館を1995年に転用。
ボリューム構成や水平連続窓を見ると、1928年としては、進歩的な近代建築である。
30. 国立美術館・近現代芸術館
内部アトリウム。既存のエレベーターなどを保存活用。
新市街でのコンバージョン
 19世紀末から旧市街の東側に拡張した新市街では、アールヌーボーの影響をうけた建築が多くつくられた。近年大改修が行われた「プラハ中央駅」(㉑、㉒)や、1912年完成の「市民会館」(㉓)は、アールヌーボーの華やかさを残す代表的な施設である。絵画では、チェコ生まれの画家アルフォンス・ミュシャが、1910年にパリからプラハに活動拠点を移し、アールヌーボー調の絵画の流行に拍車がかかった。ミュシャは、プラハにおいて、聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザインにも携わった。
 新市街は、旧市街に比べ、建物の規模も大きいので、コンバージョンもより大規模なものが多い。
 「ホテル・ボスコロ」(㉔ - ㉖)は、1894年にプラハ中央駅の近くに建てられた銀行のための建築が、2002年に高級ホテルに転用された事例である。そのバロック様式の堂々たる外観や内部のやや優美なインテリアを保存しつつ、バーにおいては独特の色使いで新たな空間性をもたせるなど、新旧を共存させながら共用空間を整備している。客室の多くは、増築棟に納められているので、コンバージョンに際して、既存建築の歴史的価値をホテルの顔として有効に活用した事例といえるだろう。
 19世紀半ばに建てられた「旧税関」(㉗、㉘)の施設は、中庭から背面にかけての増築を伴って、1階にスーパーマーケット、上階にオフィスという複合施設に転用されている。増築部は、ガラスを多用した現代建築であり、街路からも、増築部の上階が見えるが、街路沿い外観の主役は既存建築である。裏側に回ると新旧の対比が、より明確である。
 旧市街の北側に開発された地区に立地し、1928年に建てられた見本市会館が、1995年に「国立美術館・近現代芸術館」(㉙、㉚)に転用されている。そのボリューム構成や水平連続窓を見ると、1928年としては、進歩的な近代建築であり、プラハにおける近代建築の導入と実践が早かったことがわかる。もともと展示施設なので、美術館への転用は無理なく行えるが、内部の吹き抜け空間を生かして、既存のエレベーターなどを保存活用しつつ、合理的な転用を行っている。
31. カンパ美術館
19世紀に建てられた4棟の工場を美術館に転用。新旧要素の対比的な扱いが巧みである。
32. カンパ美術館
内部階段室。
33. クラシック7
増築されたガラス張りの内部空間から既存棟を見る。1910年建設の製粉工場群を、2012年にビジネス・パークに転用。
34. クラシック7
エントランス・ホール。
35. A7オフィスセンター
醸造所からオフィスに転用。工場地帯であったこの地区では、次々に転用がなされており、クラシック7に隣接する転用事例。
36. フォーラム・カーリン
街路沿い外観。リカルド・ボフィルによる転用デザイン。既存工場を、会議・イベントホールに転用し、その脇に8階建てのオフィスを建て、全体を複合施設に変貌させた。
37. フォーラム・カーリン
エントランス・プラザ。左が既存活用部分で、右は増築棟。
38. コルソ・カーリン
リカルド・ボフィル設計で、右は既存建築の外壁を残しながら、中に新しい建築をつくるという、ファサード保存。左は新築棟である。
39. コテルナ・ビル
フォーラム・カーリンに隣接する。発電所であった2棟の施設をオフィスに転用。
40. コテルナ・ビル
煙突を露出した内部の大空間。
41. ヴィノフラディ・マーケット
1903年に工場として建てられ、1960年代には、果物や野菜の倉庫として用いられたが、1980年代に火災により損傷を受けた。復元再建されて、現在はショッピング・マーケットとして使用。
42. ヴィノフラディ・マーケット
内部空間。バシリカ式平面に基づく大空間。
郊外の産業施設のコンバージョン
 旧市街や新市街の外側には、19世紀末から20世紀初頭に多くの工場が建てられた。それらの多くが、工場としての機能がなくなった現在、他の施設にコンバージョンされて、有効活用されている。
 「カンパ美術館」(㉛、㉜)は、モルダウ川西側の川沿いに建つ、19世紀に建てられた4棟の工場を、設計競技を経て案を募り、2001年に美術館に転用した事例である。階段室や川に突出したバルコニーでは、鉄骨とガラスを多用したデザインがなされて、外観上も新旧の対比が表現されている。工場群で囲まれた中庭にも現代彫刻が設置され、全体として優れたデザイン性をもった美術館に変容している。
 「クラシック7」(㉝、㉞)は、モルダウ川が蛇行する市の北側に立地する、1910年建設の製粉工場群を、2012年にビジネス・パークに転用した事例である。外観や共用空間では、既存の構造を見せながら、階段室などはガラス張りの空間として増築するなどの改修を行い、新旧がうまく融合したオフィス施設への転用に成功している。工場地帯であったこの地区では、次々に転用がなされており、醸造所からオフィスに転用された「A7オフィスセンター」(㉟)もそうした例のひとつである。
 新市街のさらに東側も、19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くの工場が建てられた地区であり、これらの工場も、近年、次々に転用活用されている。「フォーラム・カーリン」(㊱、㊲)は、既存工場を、会議・イベントホールに転用し、その脇に8階建てのオフィスを建て、全体を複合施設に変貌させた。転用デザインは、スペイン人建築家リカルド・ボフィルによってなされた。同じく、ボフィルがデザインを行った「コルソ・カーリン」(㊳)も近くに立地する。この事例は、既存建築の外壁を残しながら、中に新しい建築をつくるという、ファサード保存の類である。
 「フォーラム・カーリン」に隣接する「コテルナ・ビル」(㊴、㊵)は、発電所であった2棟の施設をオフィスに転用した事例である。その際、煙突を備えた棟では、内部に、煙突を露出した大空間として残して、多目的空間に活用している点がユニークである。
 「ヴィノフラディ・マーケット」(㊶、㊷)は、1903年に工場として建てられ、1960年代には、果物や野菜の倉庫として用いられた。1980年代に火災により損傷を受けた。産業建築ではあるが、バシリカ式平面に基づく大空間をもち、歴史的価値も高かったため、復元再建されて、現在はショッピング・マーケットとして使用されている。復元された部分も多いので、単純な転用活用とはいい難いが、施設の記憶を残すという発想は、コンバージョンと共通している。
まとめ
 コンバージョンという視点から見ると、プラハは、実に多様である。その理由は、1000年以上の歴史を持つ都市でありながら、戦災の被害が比較的少なかったため歴史的建築が多く残り、さらに、19世紀には新市街の建築群および工業の発展を背景とする産業建築も数多く建てられたが、1993年のチェコ共和国成立以来、歴史と芸術文化を活かした観光都市へと変貌を遂げるという大きな社会変化を経験したことにある。こうした歴史的経緯から生まれた、残すべきものや見るべきものが数多く残り、また、転用可能なストックも多く残るという状況であったので、プラハは、コンバージョンによって、都市の性格の大転換を行うことに成功した。稀有な歴史的大都市のひとつであるといえるだろう。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など