草木の香りを訪ねて──世界香り飛び歩記 ⑩
ニュージーランドの貴重な樹カウリ
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
雄大な牧草地でのんびりと草を食む羊の群れ。
鬱蒼としたカウリの林。
樹齢を重ねたカウリの林。
良質材としてのカウリの歩んだ道
 遠い昔、オーストラリア大陸から離れ、海の中に放り出されたニュージーランドは他の陸地から隔離されて、島国として独自の動植物の宝庫となりました。そんなニュージーランドを代表する木、それがカウリ(Agathis australis)です。ナンヨウスギ科の樹木カウリの属するアガチス属の木はボルネオ、オーストラリア、ニューカレドニアにも分布し、用材として利用されているものもあるのですが、カウリはニュージーランドにのみ分布する固有種です。見上げるような巨木に育つカウリ、シダであふれた原生林にニュージーランドに豊富にあったカウリ、それが今では蓄積が極端に減少し、保護の対象になっています。
 オーストラリアからも2,000kmも離れているニュージーランド、その地に初めてたどり着いたのはやはり海を隔ててはるかに遠い北のポリネシアからカヌーでやってきたマオリの人たちでした。9世紀から10世紀ごろのことです。マオリはカウリを彫刻したり、カヌーをつくったり、その他の生活に必要なものをつくっていたのです。
 その後18世紀末ごろからユーロッパ人が移住するようになりました。それをきっかけに鬱蒼とした森林がしだいに開発され、今では羊や牛の姿をいたるところにみられる牧草地になったのです。そのような中でカウリの森も次第に開発されていきました。硬い材質で耐久性にも優れているカウリは18世紀には造船のマストに使用され、住宅、橋、枕木などに使われました。19世紀に入ると伐採がさらに盛んになり、欧州へと輸出されていたのです。しかし、伐採が進み、成長の遅いカウリは次第にその蓄積が減少し、1940年に伐採が禁止されたのです。
 以前はニュージーランド全土にあったカウリですが、今では北島の一部に残されて保護されています。そのひとつがワイポウアの森です。ワイポウアの森はニュージーランド第一の都市オークランドから車で北に4時間ほどのところにある原生林で、そこではカウリをはじめとした動植物が保護されています。ニュージーランドで最大のカウリの森であると共に絶滅危惧種のキウイバードが多く生息する場所でもあります。そしてそこにはいちばん大きいというカウリの巨木があることでも知られています。そのカウリ見たさにオークランドからワイポウアの森に向いました。
ワイポウアへの道すがら
 オークランドから北に車で1時間ほどにあるワークワース、人口およそ4,000人の小さな町、かつてカウリの製材の盛んな町でした。ジョン・ブラウン氏が1850年代から製材をはじめ、この町はブラウンズミルの名でひところ通っていましたが、ジョンがイギリスの地名を取って今ではワークワースの名になっています。当時はワークワースとオークランド間の道がなかったので海を経て材木を運んでいました。木材の海上輸送は道路が整備されていない時代には唯一の輸送手段だったのです。樹齢の高いカウリを保護し、名所になっている公園はありますが、カウリの製材がなくなった今ではワークワースは農業の町に変遷し、牧羊犬のショーや羊、豚、牛などの動物の見学のできる観光農場が人を集めてにぎわっています。
 ワークワースをさらに北上し北島の西海岸沿いを走るとオークランドから北へおよそ130km、ワイポウアの森の南30kmのところにカウリの伐採と樹脂採取が盛んだった町ダーガビルがあります。今では人口4,000人程度ですが、カウリの伐採が盛んだったころにはニュージーランドで最も人口が多かった時期もあったということですから、いかにカウリの伐採が盛んだったかを想像できます。この地でカウリで巨額の富を得たジョセフ・ダーガビルという人の名が町の名前になったといいます。地名にカウリ関係者の名前がついている場所をいくつか見かけるほどに当時はカウリの伐採・木材としての利用が盛んだったのです。
森の神様タネマフタ。
タネマフタへの案内板。
カウリの根は繊細なので遊歩道以外のところは歩かないようにとの注意書き。
Foursistersの名を持つ4本のカウリ。
鱗のようなカウリの木肌。
カウリの森ワイポウア
 ニュージーランドにわずかに残されたカウリの原生林ワイポウアの森。ここにはカウリの中でも最大の「森の神様」の異名を持つ樹齢1400年から2000年ともいわれているタネマフタの名の木があります。高さ51.5m、直径が4.4mあり、幹の最も下に付く枝の高さが19.7mといいますから、そのことからも高い木であることがわかります。
 カウリはマオリの人たちの生活に密接に関わってきた木でもありますので、マオリに伝わる伝説が数多くあります。その昔、空と地球はくっついていて真っ暗でした。空の父と大地の母が愛し合って抱き合っていたからです。そこに生まれたのがタネマフタ。タネマフタが大きく成長するにつれて空と大地が切り離されて今の姿になったのだというのです。なんともほほえましい話です。
 カウリの木肌は白い斑点があり魚の鱗のようです。これもマオリのいい伝えですが、地上では大きな存在であったカウリに鯨が近づき、「地上で大きな存在の君は、海に入っても大きな存在になりたくないか」と言うのです。カウリはそうなりたいけれども君のような鱗がないから駄目だ」というと「それなら私の鱗を上げよう」と言って鱗を取ってカウリに鱗を着せてあげたそうです。しかし、カウリは「やはり海に入る必要はない。地上でいたい」ということで海に入ることはありませんでした。それで今でもカウリの木肌は魚の鱗のような形をしていて、クジラの肌はすべすべしているのだそうです。おとぎの世界に入り込みそうなほっとする話です。マオリの不思議な世界に入り込みそうな話、まだまだあるのです。森の神様タネマフタに伝わる話です。
 タネマフタは森の木々たちが虫に食われ困っているのを兄の空の神様に相談すると、空の神様はそれでは空飛ぶ鳥を地上に舞い降りさせて虫を食べさせようと提案し、虫たちに言いますが誰も手を挙げませんでした。そんな中で唯一手を挙げたのがキウイです。下に降りるとその美しい翼を失うことになるがそれでもよいかと言われますが、それでもかまいませんとキウイは下に降りたのだそうです。そして翼を失い飛べなくなる代わりに速く走る足をもらったのです。それでキウイは森の中を2本足で素早く歩き、害虫を食べて木を守っているのです。日本ではマツクイムシ、スギカミキリ、ナラ枯れ病などの病虫害の被害で困っていますが、キウイのような献身的な鳥が出てきてほしいものです。
地中に埋もれてもなお価値あるカウリ
 5万年も前の氷河期の終末期に倒木して泥炭地に埋もれていたカウリが発掘されています。スワンプカウリ(swamp kauri)とも古代カウリとも呼ばれているこの木は倒木前には2000年ほどの樹齢で、胴回りが12m、樹高60mに達するものも発掘されています。埋もれ木状態で発掘される古代カウリは独特の色調を持ち、家具や器、そして様々な工芸品として利用されています。
 カウリの生えていた土中からはカウリガムという半化石化した石が発掘されます。カウリが生きている時に滲出したヤニが地上に落ちて土に埋もれて長年かけて半化石化したものです。松の樹皮から土中で固まって石になったものに琥珀がありますが、カウリガムは琥珀のようには硬くなく軟らかなので細工がしやすく、ペンダントなどの装飾品に使われます。また燃えやすいのでたいまつ、火つけ材としても使われていました。マオリの人たちは入れ墨の濃い色を出す時にカウリガムを使っていたといいます。マオリの人たちにとってカウリは生活の必需品だったのです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
NPO炭の木植え隊理事長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長・教授、香りの図書館館長(フレグランスジャーナル社)を歴任。専門は天然物有機化学。
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