

「落馬地蔵」という名称が、ちょっとユーモラス。脇に掲げられている『落馬地蔵尊縁起』によると、「江戸幕府三代将軍 徳川家光公が遠乗りに出て この地を通過のみぎり 突然乗馬が驚奔し落馬された 怪しんでその地を探させると 土橋の下より この地蔵が出現 公いたく畏怖して祀ったと謂う」とある。
続けて「降って寛永十三年(一六三六年)高田の馬場開設に伴い 旗本、諸大名など馬術の鍛錬のため 江戸城〜牛込見付〜落馬地蔵〜穴八幡〜高田の馬場の道順にあたたり 馬術武芸の上達・安全を祈念するもの多く その尊崇を集めていたという」。
さらに「戦災により 焼失せるも再建され 早稲田通りの歩道に面して立ち あわただしく行きかう車を眺め 馬蹄の響きともに 遠く去って帰らぬ馬を その半眼に回想されているかのようである」と記されている。
そもそもお地蔵さんといえば、素朴で温かなイメージ。田舎の道端などに静かに佇んでいたはずで、それが徳川家光公のおかげで、この賑やかな大通りに面して据えられてしまった、ということだろうか……。
もちろん、当方以外にもお参りをする人がいて、いつもお供え(お菓子)やお賽銭が置かれている。大都会の中の小さな小さな異次元・異空間スポットである。

山本 忠順(やまもと・ちゅうじゅん)
LAU公共施設研究所代表取締役、東京都建築士事務所協会新宿支部相談役
1944年生まれ/東北大学建築学科卒
1944年生まれ/東北大学建築学科卒
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