連載|草木の香りを訪ねて──世界香り飛び歩記 ①
阿里山のタイワンヒノキ
谷田貝 光克(香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授)
はじめに
 植物は地球上に約30万種存在するといわれています。実際にはまだ私たちが知らないものもあるはずですので、さらに多くの種類が存在することは確かです。そのような植物の世界ですが、そのほとんどが多かれ少なかれ、香り成分を含んでいます。華やかに香る花の香り、すがすがしく感じる木の香り、やすらぎを覚える心地よく優しい香り、中にはほとんど匂いのわからないものなど、香りの質や濃度などは千差万別です。そしてその香りは採り出され、精油として利用されてきたものも少なくありません。その土地土地に根付いた草木があり、その香りがあり、そしてその香りのもとに人びとのくらしが営まれ、文化が生まれてきたのです。そんな草木の香りに魅せられてあちこち飛び歩いてきました。「世界香り飛び歩記」として記憶に残るそのいくつかを数回に分けて書かせていただくことにいたします。
昭和15/1940年造営の橿原神宮の鳥居。80年を経た今でもかすかな香りがある。
鳥居に使われてきたタイワンヒノキ
 神社の入口に立つ鳥居、神様の住む神域と人間が住む世界を仕切る意味を持つのが鳥居ですが、由緒ある大きな神社には太く高い鳥居がそびえるように立っています。鳥居にはヒノキがよく使われます。ヒノキと共にこれまでよく使われてきた木がタイワンヒノキです。タイワンヒノキはその名が示すように台湾に生育している木です。使われてきたといいますのは、現在タイワンヒノキは蓄積量が少なくなり伐採禁止になっているからです。ヒバやケヤキの鳥居もありますが、多くの鳥居はヒノキで、戦前に建立した鳥居の中にはタイワンヒノキのものがあります。
 ヒノキやタイワンヒノキが好んで使われるのには理由があります。鳥居ですから真っ直ぐに成長しているものでなければなりません。それは当然の条件として、次の条件として木肌が白く見栄えがいいことです。年を重ねれば少しずつ黄色から薄茶色に色づいてきますが、それも鳥居としての木肌を引き立たせます。豊穣や悪魔の侵入を防ぐ意味も持った朱色のお稲荷さんの鳥居や、八幡宮の鳥居などのように赤い鳥居もありますが、無垢の質素な木肌を見せた鳥居には自然の中での崇高さを感じとることができます。
 ヒノキやタイワンヒノキが好んで鳥居に用いられてきた理由がもうひとつあります。それは木材の耐久性です。『日本書紀』には素戔嗚尊が胸毛を抜いて撒いたらヒノキになり、それで宮をつくれと記されています。神社仏閣のような長期保存に耐える必要があるものには何といっても腐りにくく、害虫にも侵されにくいことが必要です。ヒノキは国産樹種の中ではヒバと並んで耐久性の高い木です。それ以上に耐久性が高いと思われる木がタイワンヒノキです。
木の香りは長生き
 重く硬い木には耐久性に優れた木がありますが、耐久性を左右するもうひとつの要因、それが木に含まれる成分です。タイワンヒノキには耐久性に優れた香り成分が含まれているのです。新築の木造の家では木の香りが強く匂いますが、しばらくすると香りが薄れてきて匂いがしなくなります。
 木には気分を癒し快適な環境をつくる香りがあるというが、すぐに消えてしまうではないか、いつまでもつのか、といった質問をよく受けます。柱にした場合、香りは表面から出ていきますので確かに表面近くの香りはすぐに飛散して消えてしまいますが、柱の奥の木材組織の中に閉じ込められている香りは時間をかけてじっくりと外に出ていくのです。大きな古い鳥居に出会ったら鼻を近づけてみてください。新しい材の表面から漂う華やかな強い香りはしなくても、奥の方から古材を思わせるような匂いがしてくるはずです。タイワンヒノキは特にその香りが強いのです。昭和15(1940)年造営の橿原神宮の鳥居の小さなひびに鼻をつけると、80年近くにもなるのにタイワンヒノキの香りが漂います。そういえば歴史ある法隆寺の改修時に宮大工さんが鉋で柱を削ったら、遠い昔の香りがしたという話もありました。
 木の香りとして多かれ少なかれ必ずといっていいほど含まれているものに「α-ピネン」という香り成分があります。ごく薄いこの香りを実験用ネズミに毎日嗅がせると、腫瘍の増殖が抑えられるという研究報告も出ています。木質内装の家に住んでいると、私たちは知らず知らずのうちに木の香りの恩恵を受けているのです。
高い位置に設置された阿里山の木道は木々の様子を観察しやすい。
千年超の樹齢を誇るタイワンヒノキ。
奇形の古木の根株。
親木の上に子が育っている。
歴史を物語る古木の根株。
林間を走る森林鉄道。(撮影:筆者)
高地に威容を誇る阿里山のタイワンヒノキ
 耐久性に優れ、香りの強いタイワンヒノキ、その香りに魅かれてタイワンヒノキの巨木群があるという台湾中央部の阿里山を訪れることになりました。成田から台北の近くの桃園空港に着き、そこから日本の新幹線に相当する高速鉄道で台湾中央部の嘉義へ。そこから車で阿里山へと向かいました。夜遅い時間のために車の外の景色は分かりませんが、車は右に左に揺れ、対向車線をはみ出したことを知らせる道路の小さな突起でごとごとと音を立てているのを聞くと、かなりのヘアピンカーブの連続です。2時間ほどの闇夜のドライブの後に着いたところが標高2,100mの阿里山でした。標高にして2,000mほどを一気に登ってきたことになります。
 翌朝早速、阿里山の巨木群のある林を目指して出発。林の中に地上から数mの高さに設けられた幅2mほどの木道にはしっかりとした木製の手摺りが付いていました。床はただの板ではなく浮作りになっていて歩いていて感触もよく、歩く音も軽やかで、とても歩きやすくなっています。手摺りも床板もおそらく耐久性の高いタイワンヒノキでしょう。地上から高い位置にある木道からは周囲の木の様子もよく観察でき、すがすがしい森の空気に触れながら快適な森林歩行ができるようになっています。こんなところにも訪れる人たちへの配慮を感じました。
 木道をしばらく行くと目指すヒノキの巨木が林立する神木林があります。ここには樹齢1500〜2000年のタイワンヒノキとその近縁種のベニヒがところ狭しとその太い幹を横に広げています。神木林の名の通り、その威容を誇る大木に神宿ると土地の人は考えたのでしょう。周囲が20m前後のものが多いのですが樹高は意外に低く、高いものでも30m前後です。日本一の樹高を誇る秋田の「きみまち杉」の58mに比べると半分ほどの高さです。屋久杉が強い風雨で伸びを抑えられて直径の大きさの割に樹高が低いのと同じように、阿里山の厳しい気候が関係しているようです。巨木の中には枯れて根株が残っているもの、幹に孔のあいたものなどの奇形も多く、目を楽しませてくれました。これも厳しい気候のいたずらなのでしょう。帰りはディーゼルが牽く森林鉄道に乗り、出発地点の駅まで森林の快適な雰囲気に浸ることができました。
 数千年の樹齢を誇る神木とも言えるタイワンヒノキの神秘さに魅せられたひと時でした。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学
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