木の成分、その知られざる働き──⑩
害虫を追い払うスギの香り
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
虫にも好き嫌い
 「蓼食う虫も好き好き」という諺があります。辛い蓼を好んで食べる虫がいるように人の好き嫌いはさまざまであることの例えです。「蓼の虫にがきを知らず」ともいいます。蓼はタデ科タデ属の草で、ヤナギタデ、イヌタデ、イタドリ、藍染めに使われる藍などその仲間も多く、諺に出てくるタデは辛味のあるヤナギタデで、昆虫の摂食を阻害する働きがあります。舌をくすぐる辛味が賞されて刺身のつまなどにも利用されてきました。なんと平安時代から香辛料として用いられていたのです。となると、人も蓼の虫の仲間かもしれませんね。虫だけを笑ってもいられません。
 ところで、害虫には食する草木に好き嫌いがあります。そしてそれに草木の成分が関わっていることが多いのです。そのひとつをスギを例にとってご紹介しましょう。


日本を代表する木スギ。
左:スギの葉を粉砕する動力の水車。右:スギの葉をつく臼。
左:スギの葉から線香をつくる。右:線香を束ねる。
花粉症で悩ませるスギの雄花。
スギ葉精油のアトピー性皮膚炎に起因するかゆみ抑制効果。
わが国を代表する木、スギ
 わが国の固有種であるスギは一属一種ですが、古くから用材として質の良い材を育てようと林業家が努力した結果、各地域にスギの改良種が数多く育て上げられました。それが品種です。成長がよい、病害虫に強い、花粉が少ない、材質がよい、根曲がりしにくいなど、品種によってそれぞれ特徴があります。品種はその土地土地の林業家の努力の賜物なのです。秋田杉や吉野杉、立山杉、屋久杉など、その名が知られているスギは品種名で流通しているかもしれませんが、普通は品種名はあまり表に出てこないのではないかと思います。特に一般の方には知られていないでしょう。が、その地域ごとに名前をつけられているスギは数多くあります。
 建築用材として優れているスギは、ヒノキと同様に戦後の住宅用木材の需要を見越して、昭和20年代から拡大造林の政策のもとに数多く植林されました。わが国は森林率68%を誇る森林国です。これは北欧などの森林国に肩を並べる数値です。森林面積は2,500万haに及び森林のうちの1,000万haが人工林、そして残りが天然林です。車窓から同じ高さ、同じ太さのスギやヒノキの人工林を眺めると人工林が圧倒的に多いような印象を受けますが、実は天然林の方が多いのです。人工林で最も多いのがスギで、人工林の44%のおよそ450万haを占めています。次に多いのがヒノキで人工林面積の25%の260万haです。スギはそれほどに身近に多く分布しているのです。仏前で煙をたゆらせ、先人を思い信心の念を起こさせる杉線香はスギの葉を水車でついてつくられます。
 春先になると花粉症で人騒がせなスギですが、わが国では建築用材として重要な位置を占めています。スギ花粉症ではスギが悪者にされていますが、花粉だけでなく車の排気ガスや食生活の変化なども花粉症を助長しているともいわれていのですが。花粉の少ないスギの育種なども進められているのが現状です。興味あることには昔、山で仕事する猟師さんたちは花粉症を防ぐのにスギの葉を煎じて飲んでいたともいわれています。スギ花粉症をスギで制す、なんとも興味ある話です。生活の変化、食生活の変化などでアトピーで悩む人も多くなっているのが現状ですが、スギ葉の香り成分である精油がアトピーの皮膚のかゆみを軽減するのにも役立っていることも確かめられています。


左:スギカミキリの害で枯れたスギ。右:スギカミキリ。
スギの病虫害
 ところで、樹木に限らず草木は多かれ少なかれ病害虫による被害を受けます。スギも例外ではありません。病害では溝腐病、暗色枝枯病菌、赤枯病、褐色葉枯病、こぶ病などがあり、害虫による被害では穿孔虫のスギノアカネトラカミキリ、スギカミキリ、ヒメスギカミキリ、ヒノキカワモグリガ、葉を食害する害虫ではスギドクガ、スギタマバエなどがあり、ほかにも球果を食害するもの、根を食害して枯らすものなどがあります。数多い病害虫に打ち勝って優れた材をつくり出す林業家の人たちの苦労も大変なものです。
 スギの害虫のひとつ、スギカミキリによる被害は九州から東北まで全国的に広がっています。スギカミキリは春にスギの外樹皮の隙間に産卵しますが、卵から孵化した幼虫は最初は内樹皮を食べ、直に内樹皮と辺材表面を食害するようになります。その後さなぎを経て8〜9月には成虫になり越冬して春の桜の花の咲くころに木から脱出して産卵することになります。
 スギカミキリは5〜10年生のころの木に入り、10〜20年生の比較的若い樹齢の時に生息数が最も大きくなり、その後樹齢が高くなるにつれてしだいに少なくなっていきます。しかし樹齢が高くなっても食害の後は消えることなく、そこから変色や腐朽菌が侵入して材質劣化となって材の商品価値を下げることになります。
 マツマダラカミキリが運ぶセンチュウが原因で枯れる松枯れは害を受けると比較的早い時期に緑の葉が褐色になり枯れてくるので被害を受けたことがすぐにわかります。食害を受けたスギには幹の表面にヤニが滲出したり、成虫の脱出口がありますが、わかりにくく、侵入するカミキリの数がよほど多くないと枯れませんので、成木になった後に伐採して初めて害を受けたことがわかるということになります。
 ところでどんなスギでもスギカミキリの害を受けるかというとそうでもありません。林業上、スギカミキリに対して被害を受けにくい抵抗性の品種と被害を受けやすい感受性の品種があることが分かっています。品種や個体の感受性の違いは外樹皮の形状と樹脂分泌能力の違いによると言われています。外樹皮が緊密で隙間がないほど産卵しにくくなり、また、樹脂分が多いほど幼虫が樹脂に囲まれて死に至ると考えられています。
抵抗性品種に多い害虫忌避成分
 害虫を忌避、誘引するのに木の成分、特に木の香りが関係していることも考えられます。そこで抵抗性の品種と感受性の品種を選び、カミキリが食害する内樹皮と辺材の精油を採り出し、カミキリがその精油のにおいから逃げていくか、寄ってくるか、すなわち精油がカミキリを忌避させるか、誘引するかを調べたのです。結果は明白でした。抵抗性品種の精油のにおいはカミキリを忌避し、感受性品種のにおいは誘引したのです。
 精油には通常複数の成分が含まれていますので、次に個々の成分について同じように忌避か、誘引かを調べると、抵抗性品種には忌避作用のある成分の含有率が高く、感受性の品種には誘引性の成分の含有率が高かったのです。そうしてスギカミキリへの抵抗性、感受性の要因のひとつにスギに含まれる香り成分が関係していることが分かったのです。
 木の成分の中ではセルロースなどに比べたらほんのわずかな量しか含まれていない香り成分が木の生死に関わるような大きな働きをしているのです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学
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