杉並建築会2016年度大会レポート
荻窪のむかしといまとその先へ──住宅都市杉並の景観を考える
村田 くるみ(東京都建築士事務所協会杉並支部副支部長、編集専門委員会委員、冬木建築工房代表)
荻窪南地域の魅力スポットマップ。
 「杉並建築会」は、「日本建築家協会」、「東京建築士会」、「東京都建築士事務所協会」の杉並支部レベルの3会が連携して平成25(2013)年に活動をスタートした。杉並区とまちづくりに関する協定を締結すると共に、「中杉通りの南伸」、「杉並における都 市防災のすすめ」などをテーマに、毎年、大会を展開している。
 今年度は、かつて文士、美術家、音楽家などが多く住んでいた荻窪の歴史を辿り、杉並のまちの景観を考える大会とした。前半は荻窪南地域のまち歩き、後半はワークショップと懇親会。雲ひとつない秋空の下、38人の参加者が3チームに分かれて、荻窪のまちを探索した(平成28/2016年10月15日に開催)。
杉並建築会2016年度大会のちらし。大会は平成28(2016)年10月15日に開催された。左上のモノクロ写真は創建時の荻外荘。
鬱蒼とした緑に囲まれた荻外荘と、荻窪駅周辺のビル群との対比がユニークな景観を成している(撮影:杉並区)
荻外荘はまだ一般公開されていないが、南側の庭園部分だけは一足先に「杉並区立荻外荘公園(仮称)」として区民の憩いの場となっている。公園から建物を見上げながら、チームごとに作戦会議。(撮影:林 美樹)
なぜ今、「荻窪」なのか?
 武蔵野の面影が残る荻窪南地域は、明治から昭和初期にかけて文化人や軍人、政治家などの住む高級住宅地として、また関東大震災以降は郊外住宅地として発展してきた。そんな荻窪の住人のひとりが、昭和戦前期に3度、総理大臣を務めた近衞文麿だ。
 善福寺川へ向かう緩やかな斜面に建つ邸宅(設計:伊東忠太)を気に入って譲り受け、昭和12(1937)年に近衞は別邸として移り住む。近衞と交流のあった西園寺公望が「荻外荘」と名づけたといわれている。やがて荻外荘は、近衞内閣の主要な政治活動の場となり、重要な会談や決定が数多く行なわれた。
史跡に指定されたが、課題がひとつ
 平成26(2014)年、杉並区は荻外荘を含む敷地を購入。平成28(2016)年には、荻外荘は国の史跡に指定された。「史跡」とは「わが国の歴史の正しい理解」に欠くことができず、その規模や遺構に学術的価値のある遺跡等のことだそうだ。荻外荘は、史跡のうち「政治に関する遺跡」に該当するとされた。
 ところが、現在の荻外荘には課題がひとつある。それは、重要な荻窪会談(昭和15/1940年)、荻外荘会談(昭和16/1941年)の舞台となった客間や応接間を含む邸宅の一部分が、昭和35(1960)年に豊島区内へ移築されたままになっているのだ。


「建築ふれあいフェア2016」の杉並支部ブースで、荻外荘の歴史と今後の課題について発信した。(撮影:筆者)
荻窪へ帰る日を願って
 杉並区では、移築部分の再移築により往時の姿を荻窪の地に蘇らせ活用するために区民と共に努力を続けている。そこで、東京都建築士事務所協会杉並支部では、「建築ふれあいフェア2016」(平成28/2016年9月に新宿にて開催)において、荻外荘をテーマにブース出展し、杉並以外からの来場者にも協力を呼びかけた。
 その際のアンケートによれば、「荻外荘のことを知っている」という回答は東京都内からの来場者で59%、都外で20%。また、50〜60歳代が60%、70〜80歳代が80%に対して、10〜20歳代は0%、30〜40代は25%と、まだまだ幅広い世代への周知が必要であることを痛感した。
杉並建築会として何ができるか
 さて、杉並建築会の大会に話を戻そう。3チームはそれぞれ、「荻外荘の復原・活用」、「杉並区立中央図書館(設計:黒川記章)の改修問題」、「荻窪南地域の景観」というテーマの下に、実地でコースを相談しつつ、まちを巡り歩いた。
 荻外荘の周辺には、角川庭園(旧角川源義邸、設計:加倉井昭夫)、大田黒公園(音楽評論家でラジオ番組「話の泉」の回答者でもあった大田黒元雄旧邸)など、昭和の香りを残す文化財が多い。それらを「点」ではなく「面」として一体的に活用できないかとの期待もされている。まち歩きを終えた曽根幸一杉並建築会代表にうかがった。
曽根幸一杉並建築会代表。
曽根幸一杉並建築会代表インタビュー
──お疲れさまでした。早速ですが今回、大会のテーマに荻窪を選ばれたきっかけは?
曽根幸一代表(写真):荻窪は昭和の遺産が多く残る地域です。西郊の観光拠点にできそうだと考えました。
──静かな住宅地である荻窪南地域は観光とは無縁という声もありますが、一方で、「観光」とはまちの魅力に「光」を当てて「観」ることだとも聞きます。住宅地には住宅地なりの新しい「観光のかたち」が考えられるのかもしれませんね。ところで、杉並建築会は杉並区と協定を結ばれていますね? 曽根:はい、まちづくりに関する協定を結んでいます。防災や都市計画ではわれわれの知識や行動も大切だと思います。
──会として、荻外荘の問題で杉並区と情報交換や協議はされているのですか?
曽根:荻外荘については区から資料をいただいています。また、一部の会員は杉並区主催の荻外荘シンポジウムにも参加してきました。
──そうですか。杉並では行政と区民、そして専門性を持った団体による良好なコラボレーションが見られますね。今日の大会で会員や市民の皆さんと荻窪南地域を歩かれて、いかがでしたか?
曽根:この地域はすでに多くの皆さんが「まち歩き」をしていますが、観光情報の拠点を中央図書館などに付設するといいと思います。
──そういえば図書館の改修も今日のテーマのひとつに据えられていましたね。杉並建築会の今後の活動を楽しみにしております。ありがとうございました。
まち歩きの後のワークショップでは、一般市民、区役所職員、区議会議員の参加も得て、杉並の将来への展望が議論された。(撮影:2枚とも林 美樹)
村田 くるみ(むらた・くるみ)
東京都建築士事務所協会杉並支部副支部長、編集専門委員会委員、冬木建築工房代表
大分県生まれ/お茶の水女子大学文教育学部卒業/家族の駐在に伴い、アメリカ、オーストラリア等で専業主婦の後、子育てを終えてから建築士