熊本地震視察研修見学会
港支部
磯永 聖次(東京都建築士事務所協会港支部、タキロン株式会社一級建築士事務所)
 平成28(2016)年度の東京都建築士事務所協会港支部の研修見学会は、熊本地震の視察を行いました。これは、建築設計事務所として、地震被害、地震後の復興対策について、直接、現地の状況を見ることで、今後の設計活動に生かすことを目的としたものです。特に、熊本城については、復興に長期の時間と費用がかかるということで、そちらの視察も行うことにしました。また、熊本県では28年前から熊本アートポリス(1988年発足、初代建築コミッショナー:磯崎新氏)も実施しており、現在でも建築家の伊東豊雄氏が建築コミッショナーとして「みんなの家」などのプロジェクトを推進されています。東日本大震災の際には「想定外」という言葉が何度も叫ばれましたが、今回の熊本地震においても、震度7の地震が2度くるといった前例のないことが起き、そのため、前震という言葉も新しく生まれました。
 平成28(2016)年11月19日〜21日、11名が参加した2泊3日の研修見学会は、10:15到着予定の飛行機が悪天候で1時間遅れるトラブルはありましたが、全員無事に熊本空港に到着し、チャーターした大型タクシーに乗り込みました。
 最初に視察したのは、「熊本市役所花畑町別館(旧熊本貯金支局)」です。この建物は、昭和11(1936)年に竣工した熊本市中央区花畑町に現存する建物で、鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階で、戦後4階部分が増築され、延床面積は5,464m2あります。設計は当時の逓信省営繕課の山田守で、施工は大倉土木が行ったものです。視察は、外観だけでしたが、地震による被害もなく、改めて当時の建築技術の高さを感じることができました。
 

上2点:建築復興支援センターでの会議と熊本会(5名)と東京会港支部(11名)集合写真。
建築復興支援センター(熊本県建築士事務所協会)
 初日の午後からは、熊本県建築士事務所協会(熊本会)が運営されている「建築復興支援センター」を訪問しました。土曜日にもかかわらず、熊本会の会長はじめ、専務理事ほか多くの方のお出迎えをいただき、熊本地震の現状と今後の対策について教えていただきました。以下、主な内容です。
・仮設住宅は4千数百戸あり、見なし仮設は約12,000件(市:約8,000件、県:約4,000件)。
・ 「みんなの家」は3棟建設。
・罹災証明は、5次調査まで実施。
・耐震診断の依頼件数は1,540件(福岡会にも140件依頼)、そのうち、精密診断は79件の依頼があった。
・農業施設の復興では、9割の費用が補助金から支出されるため、現在、膨大な見積書依頼がきている。阿蘇市では300棟の依頼がある。設計図書がなく、見積りができないものもある。
・ 「くまもと型復興住宅」は、39グループから51の提案があった。
 また、熊本会の入る「熊本県建設会館別館」の建物も、応急危険度判定の結果、外壁材に一部剥離があって「要注意」の張り紙がしてあり、ビル内のトイレ天井の破損もそのままの状態で、職人の人手不足を知らされました。


左:熊本城の被災状況。
右上:液状化による被害。
右下:第2京町台ハイツ(分譲マンション)の倒壊現場。
液状化による被害
 熊本地震では、あまり報道されていませんが、液状化による被害も散見されました。熊本会のご案内で市内の被害状況を視察させていただきました。下の写真は、前面道路から撮ったものですが、液状化により、建物が前面道路より約50cm不同沈下していました。砂質土では直接基礎ではなく、地盤改良が必要だと改めて思い知らされました。
熊本城の被害状況
 熊本城は櫓や門など重要文化財に指定されている13の建築物すべてで深刻な被害が出ました。全長242mの長塀は、約100mが倒壊。東十八間櫓は石垣ごと崩落し、往時の姿を残す5階建ての宇土櫓も一部損壊しました。立入禁止内には入れませんでしたが、周辺から被災状況を観察し、その甚大な被害に言葉を失いました。
第2京町台ハイツ(分譲マンション)の倒壊現場視察
 阪神淡路大震災でも多く発生した典型的なピロティ柱の破壊が発生しており、建物としての機能が完全に失われていました。このマンションは、現在、臨時総会が何度か開催されており、取り壊しの協議が継続しているようでした。
玉名温泉に宿泊
 熊本市内は、現在も、なかなかホテルが予約できず、市内から1時間程離れた玉名温泉「司ロイヤルホテル」に宿をとりました。熊本から北西に20km程度離れた人口67,622人の玉名市にしては、宿泊したホテルは巨大で、そして非常に快適なホテルで、お蔭で初日の疲れをゆっくりとることができました。


上:益城町。
下:西原村。
益城町と西原村
 2日目(11月20日(日))は、朝早くから大型タクシーでホテルを出発し、益城町の視察に出かけました。益城町では、今でも崩壊した建物も多く、仮設住宅に住んでいる人びとも、日中は損傷したご自宅に戻られ不安そうな人を見かけました。私が4月末に応急危険度判定を実施した時と比較して、益城町中心部は、更地になっている場所も多く、少しずつ復興が始まっていることを感じましたが、それでも、まだまだ倒壊したままの手付かずの建物が多数ありました。
 2日目の午後からは、西原村を視察しました。西原村は、震度7と震度6強の地震を受けており、益城町と同じように被害が集中的に発生していました。益城町との違いは、集落が点在していたため、全体としての被害戸数は少なかったのですが、震源近くの建物では相当な被害が出ていました。


上:木造の仮設住宅。
下:鉄骨プレファブの仮設住宅。
上:「くまもと型復興住宅」のモデルハウス。販売予定価格は1,000万円。
下:規格型みんなの家。
益城町テクノ仮設団地
 熊本県の応急仮設住宅は、全戸で4,303戸あり、多くが鉄骨プレファブ住宅です。ほとんどの建設地は車がなければ生活が困難な殺風景な環境にありますが、そんな中で、木造の仮設住宅が683戸(約16%)建設されていました。
 木造仮設住宅は、鉄骨プレファブと比較しても、断熱性、遮音性に優れ、建設コストの低減にも貢献する非常に優れた仮設住宅です。熊本では、(一社)熊本工務店ネットワーク(県内工務店64社からなる団体)が、災害協定に基づき、(一社)全木協の構成団体として木造仮設住宅の建設に関わっています。
 また、建築家の伊東豊雄氏がコミッショナーとして関わられたコミュニティ施設である「企画型みんなの家」も建設されていました。これなら仮設の暮らしが長期になっても少しは快適な生活が送れると感じました。
 また、同じ仮設住宅エリアにおいて、「くまもと型復興住宅」のモデルハウスが竣工直前でした。たまたま、益城町の議員の方が住民に説明されていました。耐震等級3で平成28年省エネ基準も余裕でクリアした高品質な住宅で、販売予定価格が1,000万円という現実的な提案が行われていました。やっと、これから復興が始まることを感じました。


上:熊本北警察署(1990年、設計:篠原一男)。
下:熊本県営保田窪第一団地(1991年、設計:山本理顕)。
くまもとアートポリス作品
 最終日の3日目の朝は、9:30に「熊本北警察署」で、熊本県アートポリス担当者と待ち合わせをし、くまもとアートポリスの2作品をご案内していただきました。最初は、この熊本北警察署で、「くまもとアートポリス」第1号として平成2(1990)年に竣工したものであり、熊本地震でも大きな被害はなく、26年経った今でもまったく古さを感じない名建築です。
 次に「熊本県営保田窪第一団地」を見学しました。住戸内には入れませんでしたが、中庭まで入らせていただくと、写真のように樹木も大きく成長しており、平成3(1991)年竣工からの時間の流れを感じました。竣工当時は、賛否のあったこの建築も、手を入れながら今ではこの土地に溶け込んでいるようでした。
 帰路は、熊本空港17:25発、羽田空港19:05着で、行きとは違ってスムーズに帰ることができました。今回の研修見学会では、熊本地震の被害状況と今後の復興に想いをはせ、改めて熊本のもつ都市としてのポテンシャルの高さを感じました。1日も早い復興を祈るばかりです。  
磯永 聖次(いそなが・せいじ)
東京都建築士事務所協会港支部、タキロン株式会社一級建築士事務所 管理建築士
1985年 国立徳山工業高等専門学校建築専攻卒業後、東京理科大学建築学科編入/1988年 川鉄エンジニアリング株式会社入社/1998年 財団法人建築行政情報センター/2007年 同行政部(日本建築行政会議)/2010年 同 建築行政研究所 上席研究員/2014年 タキロン株式会社