私の逸品 ④
化学天秤5号NR形──島津製作所製 昭和5年(1930年)
井桁 正美 (オルカ一級建築士事務所、東京都建築士事務所協会渋谷支部副支部長)
下部詳細。
微量分銅を載せ降ろしする装置詳細。
ネームプレート。
全景。
撮影:筆者
 私の趣味のひとつは、古いカメラに始まり、昔の顕微鏡や測量機械など、武骨で重たく昔の職人が手づくりでひとつひとつつくった精密機械を収集することです。
 今回はその中から現在でも精密機械のトップメーカー島津製作所が昭和5(1930)年に発売した「化学天秤5号NR形」を紹介します。
天秤の歴史
 てこの原理をもちいた「天秤」は、古代エジプトのパピルス「死者の書」にも描かれ、その起源は紀元前5000 年より前と考えられています。
 天秤は物と物の重さを比較する用途から、やがて客観的な基準量「分銅」を用いて質量を計ることで、商取引や工業、科学の発展といった人間の文明に欠かせない道具となっていきました。
 日本では幕末になると、幕府や各藩が西洋の技術を導入し始め、洋式の秤も日本に持ち込まれるようになりました。ペリーが来航のおり、幕府に寄贈した天秤も現存しているそうです。
 明治維新後、西洋秤を模製して、キログラム単位の代わりに貫・匁目盛りをつけた秤がつくられはじめました。そして20年ほどで、ほとんどの洋式秤は外国製品に劣らぬ精度で国内で生産されるようになり、他の産業と同様に工業化の道を歩みました。
「化学天秤」の誕生
 今回紹介する天秤を製作した島津製作所は、明治8(1875)年に精密機器のメーカーとして創業し、初めて天秤の生産を開始したのは大正7(1918)年だそうです。それは天秤の原形である、棹の両側に皿が吊り下がっているかたちの物理天秤でした。その後、文明の発達と共に、より微量なものを正確に測ることが要求され、「化学天秤」が誕生したのです。
 初期の化学天秤も、高い精度で製作された天秤が、透明なガラスケースの中に収められ、塵や空気の流れが結果に影響を与えないようになっていました。ただ、試料を片側の皿に載せた後、もう片側に微量分銅をピンセットで細心の注意を払いながら載せる必要がありました。天秤がバランスすれば読み取りを行うのですが、その際には、数回にわたる棹の左右の揺れ幅を目盛板で確認し、振動法で静止点を算出していました。ひとつの試料の測定にはベテランの方でも何分もかかり、質量測定は経験がものをいう、たいへん精密で手間のかかる作業でした。
化学天秤5号NR形の登場
 そこで登場したのが今回紹介する「化学天秤5号NR形」です。この天秤の特徴は、何といっても箱の外についているダイヤルを回すことにより針金を丸めてつくられた微量分銅を載せ降ろしする装置が装備されていることです。
 この装置により、風防を開けることなく微量の分銅を静かに載せることができるようになりました。そしてその精度は10ミリグラム単位(1グラムの100分の1)まで測ることができます。また箱の外から天秤の揺れを抑える装置や、天秤の縦軸を垂直に調整するための小さな下げ振りも付いています。そして各所に微調整用の小さなネジが無数にあり、その精密さに惚れ惚れしてしまいます。

 私は残念ながらまだこの天秤を秤として使ったことはありません。しかし当時今のような精密工作機械がなかったころ、ほとんど手作業でつくることを最先端の技術として誇りとしながら製作していた職人と、当時とても高価であったであろうこの機械を使いこなして今日の日本の技術の礎を築いた先人たちに思いを馳せ、眺めているその時間に至福を感じるのです。
井桁 正美(いげた・まさみ)
建築家、オルカ一級建築士事務所代表、東京都建築士事務所協会渋谷支部副支部長
1960年東京都生まれ/1983年 東京工芸大学工学部建築学科卒業後、株式会社エム建築事務所/1989年 株式会社エイムクリエイツ/1996年 イゲタ建築・デザイン事務所開設/2012年 オルカ一級建築士事務所に事務所名を変更
記事カテゴリー:その他の読み物
タグ:私の逸品