モミ 端正な姿と木目のやさしさと
木の香り、そして木の働き⑦
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
大木、若木、実生が入り混じる500年の歴史を誇るシュバルツバルトのモミ・トウヒの天然林。
貴婦人の木、モミ
 姿が美しいので庭園樹として利用され、神社の境内でもよく見かけるモミの木。「〜み湯の上の樹群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり」、山部赤人が長い間、生き続けてきた臣の木の神々しさを歌った長歌の一部である。「臣の木」が転じて「モミの木」になったという。
 モミ属は北半球の暖帯から亜寒帯にかけて約40種が存在する。モミ類は昔ヨーロッパで火をおこすのに使われていた。モミは英語でfirで、これはfire=火に由来する。
 ドイツ語でモミの木はTanne(タンネ)で、「schlank wie eine Tanne」という言葉があるが、これは「モミの木のようにすらりとした」という意味で、真っ直ぐに伸びたモミの木の姿が美しいことを表している。ドイツ南西部のシュバルツバルトで500年の間、自然に任せて育てたモミ、トウヒの天然林には、老木の太い木や若木、実生の幼木が入り混じる。そして細く若い木々の間にひときわ目立ち立っている太いモミの木、ひとりさびしくひっそりと、しかしながらすらりと伸びた端正な姿で気品を保ちながら立っている。
 その姿に山本周五郎の「樅の木は残った」に現れるモミの木を思い出さずにはいられない。江戸時代、伊達藩で起きたお家騒動の中心人物の原田甲斐は故郷仙台藩船岡の館から江戸屋敷にモミを移している。そのモミを「いかにも寒さの厳しい土地の木らしく、性が強そうに見えるが、なんとなくさびしげな孤独の姿をしているようだ」、そしてさらに「私はあの木が好きだ。静かな、しんとした、なにもものを云わない木だ」と、自分をモミの木に写しているかのような言葉で愛でている。ドイツ・シュバルツバルトのモミはオウシュウモミで、わが国のモミとは種類が違うが、ひとりひっそりと気高く育つモミにはどこか共通点があるようだ。
淡色で落ち着いたイメージの材
 モミ材は材色がすっきりした白色ないし淡黄色で、落ち着いたイメージを与え、木目がまっすぐに通り、切削・加工が容易なので建築材のほか、戸障子やふすまの枠などの建具、家具や器具材、包装箱に使われてきた。材に匂いが少ないことで、米びつや割りばし、蒲鉾板にも使われてきた。
 江戸時代には一般庶民の棺はスギ、マツが使われていたが、それよりも少し良いものとしてヒノキ、モミが使われていた。卒塔婆には今でも使われているが、卒塔婆に加工している人によれば、モミの木が少なくなり国内でモミの木を探すのに一苦労しているという。
 そういえば蒲鉾板にはシュバルツバルトのオウシュウモミも使用されている。オウシュウモミは建築用材としても輸入され、製材所、工務店、建築家などのグループによってモミの住宅や公共施設などへの普及が図られている。淡色で整った木目のモミ材は床材や壁材として好まれている。特に浮造りの床板ではやわらかな感触の心地よさが伝わり、快適な気分が味わえる。
 丸太で輸入されたモミは、板材や柱材にされた後、野外や屋根つきの乾燥場に立てかけられて、日にちをかけて自然に任せた天然乾燥が行なわれている。最近ではすべてに物事が早く進み、またそれが好まれる時代になっている。木材の乾燥もそうだ。ひと昔前は時間をかけての天然乾燥だったが、今では人工乾燥が主流だ。あらかじめ機械で柱の接合部に溝を掘るプレカットでは加工後の狂いは禁物。そして狂いのない材を大量に迅速に作るために、乾燥時間の短縮できる人工乾燥が行なわれる。しかし、温度をかける人工乾燥では材に含まれる水分と共に、精油などの耐久性成分も飛ばしてしまうのが気にかかる。動きの速いことが求められる時代だが先人のすぐれた技術も残していきたいものだ。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学。
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