はじめに──連載の主旨
建築のコンバージョン、つまり、用途変更を伴うリノベーションは、建築ストックの有効活用手法および過去の記憶を継承しうる都市再生手法として、世界各地に広まりつつある。この連載は、世界各地のコンバージョンの動向や、著名建築家によるコンバージョン作品を紹介することを目的として、全6回の連載を予定している。建築コンバージョンの面白い点は、各都市の発展の歴史や有効活用すべき建築ストックが異なるため、それぞれ異なった状況が見られることである。そうした都市ごとの興味深い状況や、建築家によるデザイン上の建築的工夫を紹介していきたい。
第1回はニューヨーク(写真1)を取り上げる。ニューヨークの第2次世界大戦後の都市発展は、ひとつは再開発によって次々に建設された多くの優れた高層建築や現代建築に象徴されるものだが、一方で、1960年代にソーホー地区が一挙にアーチストの居住地およびアートギャラリー地区となったように、コンバージョンが都市の魅力と豊かさをもたらす重要な役割を果たしてきた。そして現在でも同様の事態が継続し、多様な建築コンバージョンが見られるのである。
トランプのシンボル・タワーもコンバージョン建築である
とはいえ、ニューヨークというと、圧倒的に新築が多く、コンバージョン建築は少ないのではないかと思われる方も多いだろう。そうした誤解を解くために、まずひとつの例を示したい。最近、アメリカ大統領予備選でドナルド・トランプが話題になっているが、その際にテレビで頻繁に映されるのは、彼の商業的成功を象徴する「トランプ・インターナショナル・ホテ&タワー」(写真2、3)というセントラル・パークの南西角に面する高級ホテルと集合住宅の高層建築である。
実は、この建築は新築ではない。既存建築は、1968年竣工の旧「ガルフ&ウエスタン・ビル」という高層オフィスビルであったが、耐風耐力の不足、耐火被覆のアスベスト使用などの問題を抱えていたため、建物の抜本的な刷新を余儀なくされた。結果的に、フィリップ・ジョンソンの設計で、高層部をコンドミニアムに、下層部をホテルに転用することが決まり、構造体のみを残して各階の耐風壁補強を行った上で、外壁も含めて仕上げを完全に刷新して、1998年に転用工事を終えた。したがって、一見したところ新築に見えるが、実は特殊なコンバージョン建築なのだ。
これは問題を抱えた高層ビルを大規模な転用によって、建替えではない手法で再生した貴重な例である。1998年という時期は、近年のコンバージョン・ブームを先取りしており、ここにトランプの商才の一端をみることができるかもしれない。ちなみに、トランプの別のシンボル・ビルである5番街に面して建つ段状の低層部を持った「トランプ・タワー」(1983年、スワンク・ヘイドゥン・コーネル設計)は完全な新築である。
ニューヨークのコンバージョンのルーツ──1960年代
少し時代を遡って、ニューヨークのコンバージョンの始まりを見てみよう。有名なソーホー地区(写真4)は、それまで工場や倉庫に用いられていたキャスト・アイアンのロフトビルが建ち並び、居住地区ではなかった。そこに1960年代にアーチストたちが勝手に住み始めて、1970年初頭には市当局も居住を合法化せざるを得なかったという経緯がある。その後、ソーホー地区は次第に商業化されて、世界的にも有名なアートギャラリー地区となった。いうなれば、アーチストたちを中心とした社会的ニーズによって、単体の建築のみならず、地区の転用が促進された好例である。
一方、歴史建築物を尊重しようという意識が高まるのも、1960年代である。ニューヨークにおいて、歴史建築物保護制度や保存意識の高まりは、決して古いことではない。実際、1960年代までは、多くの歴史的な建築物が旺盛な都市開発の犠牲になり、次々に壊されていた。マッキム・ミード&ホワイト設計の壮大なペンシルヴェニア駅(1911年、写真5)は、1963年に現在の「マディソン・スクエア・ガーデン」と地下鉄駅建設のために取り壊され、1908年の竣工時は187mという当時世界一の高さを誇った歴史的な高層建築「シンガー・ビル」(1908年、ア―ネスト・フラッグ設計、写真6)が1968年に取り壊されたことは、象徴的な出来事であった。
こうした事態を受けて、建築家による歴史的建築の保存運動が起こり、ニューヨーク市も歴史的建築物保存条例をつくるという社会的な変化が起こった。
こうした社会的運動の結果、ミッドタウンに建つ鉄道王の一族が住んだ6住戸の集合住宅「ヴィラード邸」(1885年、写真7)がコンバージョンされて生き残ることになる。これは、マッキム・ミード&ホワイトの初期の代表作品のひとつで,アメリカに本格的なルネッサンス様式を持ち込んだ歴史的建築であった。この集合住宅も取り壊し寸前の状態であったが、1970年代に背後に建つ高層ホテルのロビーおよび店舗などを内蔵する施設に転用され、高層ホテルのゲート的な建築として生き残った。
近年のコンバージョンによる地区再生──チェルシー地区
ニューヨークのミッドタウン南西に位置するチェルシー地区はかつて多くの食料工場があり精肉業などで繁栄し、ミート・パッキング・ディストリクトと呼ばれていた。その後、工場移転や経済不況によって荒廃が進んだが、20世紀末から、工場から商業施設へ転用されたことで、地区再生が進んでいる。この再生の契機となったのは、1890年に建設されたナビスコの工場を中心とした1街区を占める施設が、「チェルシー・マーケット」(1997年、ヴァンデンバーグ設計、写真8、9)というファッショナブルな店舗とオフィスに転用されたことである。8番街に面する正面では、既存外壁の上に、緩やかな曲面要素が付加され、内部では、露出した鉄骨の骨組みや配管、劣化したレンガ壁面を露出しつつ産業遺構的雰囲気を残している。2006年には、その低層部街路沿いに安藤忠雄設計の日本食レストランが入居している(写真10)。
「チェルシー・マーケット」の成功を引き金として、近隣では、「ヴィトラ・ショールーム」(写真11、12)、OMAがデザインした「レーマン・アートギャラリー」(写真13、14)、「マリタイム・ホテル」(写真15)など、次々と転用による施設再生活用が行われ、地区全体がファッショナブルな人気地区に変化した。
都市インフラのコンバージョン──ハイライン
さらに興味深いのは、「ハイライン」(写真16〜18)という、かつて物品搬送用につくられた高架鉄道線路敷きを、高架の空中公園にするという整備が進行していることである。この高架鉄道は、「チェルシー・マーケット」を貫通しており、このチェルシー地区から整備が始まった。2009年にチェルシー地区回りのハイラインが開園し、これまでのところ、チェルシー地区からミッドタウン西側のハドソン・ヤードまで、約2kmほどの長さ部分が開園し、現在も整備が進行中である。ハイラインは、都市のインフラのコンバージョンということもできるだろう。
高層オフィスからホテルへのコンバージョン
高層建築が、次々にリノベーションやコンバージョンによって再生利用されていることも、ニューヨークらしい状況である。高層建築は、もともとオフィス・ビルとして建てられたものが多いが、近年は居住系の施設のニーズが増えるという大きな流れに呼応して、ホテルや集合住宅などの用途にコンバージョンされる事例が増えつつある。
アールデコ様式の初期の傑作である「アメリカン・ラジエター・ビル」(1925年竣工、レイモンド・フッド設計、現在「ブライアント・パーク・ホテル」、写真19〜21) は、小規模なオフィスビルだったが、ミッドタウンのブライアント公園に面するという立地の良さや黒と金色によるアールデコ装飾の魅力を生かして、デヴィッド・チッパーフィールド設計によりホテルへの転用に成功した。
「メットライフ・タワー」(1909年、ナポレオン・ル・ブラン設計、213m、写真22) は、完成から数年間は世界でいちばん高い高層建築であり、ヴェニスのカンパニーレ(鐘塔)を模したデザインで有名であるが、この高層建築もホテルに転用された。
こうした転用は、歴史的価値を持つ高層建築に限った現象ではない。「ハドソン・ホテル」(写真23、24)は、1928年にアメリカ女性協会の事務所・宿泊施設として建てられた赤煉瓦仕上げの一般的な24階建て高層建築を、フィリップ・スタルクが、ファッショナブルなホテルとして蘇らせた例である。
スタルクは、低層部の一部のみに、ル・コルビュジエの白の住宅を連想させるファサード壁を付加することによって、特徴のない外観の中に異質な焦点をつくった。その壁を抜けると、突如、ロビー階にまで上る長いエスカレータと光天井に出会い、一挙に広大なフロントデスクのある幻想的なロビーに到達する。外観の一部のみに新たなファサードを付加して、インパクトを生み出す手法は、さまざまに応用できる外観刷新手法であろう。内部でも、赤煉瓦と新たに挿入された今日的なデザイン要素の対比が効果的であり、コンバージョンならではの魅力が生み出されている。
建築コンバージョンがニューヨークらしさを生む
最後に、異なる地区に立地する3つの転用事例を紹介したい。「ハーレム・スタジオ博物館」(写真25、26)は、有名な「アポロ劇場」と同じハーレムの中心部の東西を走る125丁目に面し、アフリカ系アメリカ人の芸術家の作品やアーチスト・イン・レジデンスなどの施設を備えた施設である。かつてこの地域は、観光客が訪れるには危険が多い地域であったが、20世紀末には、地区再生が進んだことを受けて、住居として使われていた建物を転用して、こうした博物館が生まれることになった。
「国立アメリカン・インディアン博物館」(写真27、28)は、ロウワー・マンハッタンの南端に建つボザール様式の歴史的建築物である税関(1907年、キャス・ギルバート設計)の2層分を約10年前に博物館に転用した事例である。自由の女神へのフェリーに乗るための観光客も多く訪れる場所という立地を生かして、歴史的建築物の有効活用を図り、基本的にはオフィス街である地区における都市的魅力を増している。
マンハッタン対岸のブルックリンでも、工場や倉庫等の産業施設地区であった場所のいくつかが、建築コンバージョンによって人気地区に変わりつつある。そうした事例のひとつ「ワイス・ホテル」(2012年、写真29、30)は、1901年建設の木樽工場をホテルへと転用したものだ。屋上増築部につくられたマンハッタンを一望できるテラス付きのバーは、人気スポットのひとつになっており、周辺の地区改善の刺激剤の役割を果たしている。
ソーホー地区やチェルシー地区に限らず、ニューヨークらしい場所や地区の創出において、建築コンバージョンは重要な役割を果たしている。コンバージョンは建築単体の再生活用としても有効であるが、地区の性格を大きく変えていく力を持っていることを、ニューヨークは如実に物語っている。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
建築家、首都大学東京教授
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授
記事カテゴリー:歴史と文化 / 都市 / まちなみ / 保存
タグ:コンバージョン