思い出のスケッチ #366
早春の蓼科高原
石井 孝男(東京都建築士事務所協会賛助会員、三協株式会社)
 中央高速道路がまだ全線開通していない時、夏休みを利用して白樺湖のバンガローに泊まり、百名山のひとつである蓼科山(標高:2,531m)に初めて登りました。
山頂は大きな岩がゴロゴロしていました。また、展望は八ヶ岳連峰・南北アルプス・中央アルプスが大パノラマになって素晴らしかったことを思い出します。当時にはなかった「登山計画書」の提出が、今では必要となっています。
 八ヶ岳は北の蓼科山から南の編笠山(標高:2,524m)までの南北約25kmの距離に約20の峰が連なります。
 蓼科高原は北八ヶ岳に属し、樹木帯が山稜近くまで続き湖沼も点在する景観に優れた高原です。
 八ヶ岳は確実な噴火記録は残っていませんが、888年(仁和4年)の災害を天狗岳の山体崩壊で発生した大月川岩屑流の発生と関連する火山活動と推定する仮説があります。
 地震、噴火とも今もってまったく証拠が見つからず、大きな謎に成っています。しかし、この地域の歴史を古文書で調べますと「渋の湯」は室町時代、「滝の湯」は戦国時代、「親湯」は江戸時代の創設とされ、湯治場として親しまれていたそうです。
 このスケッチ画は渓流を上流から下流へ構図をセットし、残雪が融け朽ちた木が倒れ、渓流に水草が生え出し、山々にようやく早春の息吹が聞こえ、ミツバツツジが咲き始めた状況を描きました。
石井 孝男(いしい・たかお)
東京都建築士事務所協会賛助会員、三協株式会社
1967年 東京都立大学大学院工学研究科土木工学専攻修了後、日本道路公団入社/東海大橋・東名阪(基礎三川)橋・若戸大橋拡幅・東名改築等に携わる/1993年 同公団退職、石川島播磨重工業入社/1994年 東京都立大学大学院博士(工学)の学位授与/1995年 武蔵工業大学非常勤講師、2006年IHI退社/2009年三協(株)入社、現在に至る