東京建築賞選考委員退任にあたって
宮崎 浩(建築家、プランツアソシエイツ主宰)
山梨 知彦(建築家、株式会社日建設計チーフデザインオフィサー、常務執行役員)
東京建築賞審査を振り返って
 2016年より10年近く東京建築賞の審査に携わりました。合計すれば、700件近い作品に出会い、コロナ禍により思うように現地審査がかなわなかったこともありましたが、現地にて設計者立ち会いの上で作品を審査するという貴重な、そして贅沢な機会を数多く体験することができました。
 審査される立場であれば、自ら設計した建築に対しての思いを審査員に素直に伝えることに注力すればよいと常々考えていますが、審査をする立場となれば、自らの建築観のみを評価軸とするのではなく、応募者の価値観や作品を通じたメッセージを、建物の用途や規模に関わらず、かつ先入観なく読み取ることを心掛けていました。
 東京建築賞では、戸建住宅、共同住宅、小規模な一般建築から都市再開発を含む大規模な建築まで募集対象であるため、日頃自らが手掛けることが少ないジャンルの審査には、正直なところ戸惑いを持ちながらの審査でもありましたが、最終的には現地審査において、設計者やクライアント、時には施工者も含めたヒアリングや同行した審査員の方々との意見交換などを通じて得た現地での体感が重要な評価判断基準となったと思っています。
 また、在任中に新しくリノベーション賞が加わり、以前とは異なった視点からも設計という行為を評価することができるようになったことは重要なことだと思います。さらには、歴史的な建築物や文化財として保存する価値のある建築だけではなく、リノベーション/コンバージョンという設計行為の対象が、ある意味普通の建物であっても、新しい価値観を見つけ出せるということを改めて実感できる作品が数多く応募され始めたことも大変嬉しく思います。
 審査のメンバーも、ルールも時代と共に変わっていくと思いますが、東京建築賞が、これからも時代を映す多くのすぐれた建築の発表そして顕彰の場となることを願っています。
(宮崎 浩)
最高の学びの場
 どこかで聞いた「教えることは、最高の学びである」という言葉に準えていえば、「審査することは、最高の学びである」というのが、今の率直な気持ちです。
 建築賞の審査は、骨の折れる仕事です。建築士やエンジニアが膨大な時間とエネルギーを注いで結実させた作品を、僅かな審査時間の中で序列をつけ、対外的に示さなければなりません。また序列をつける以上は、好き嫌いといった個人的嗜好やバイアスをなるべく遠ざけ、作品を客観視した批評的な視点からの意見を発することに努めたいと思うのですが、これがなかなか難しい。併せて他の審査員との共有・共感が不可欠になりますが、妥協なしでそこにたどり着くのは、至難の業です。特に「客観視した批評的な視点」を持つことは、大型建築の設計が主要な仕事である私には重要であり、東京建築賞の審査に中で繰り返えされてきた他の委員との議論の中で、大いに鍛えていただいたように思います。
 さらに言えば、審査過程においてなるべく遠ざけようと試みていた「好き嫌いといった個人的嗜好やバイアス」に対しても、さまざまな思いを巡らす機会ともなりました。ある作品に直感的に魅かれるのは、それが自分好みであるからなのか、その自分好みは本当に自身の自由意志によるものなのか、流行やトレンドが生む出したバイアスに過ぎないのではないか、などと考える機会が、好き嫌いやバイアスに対する感度を押し上げてくれたようにも感じています。誤解を恐れずに言えば、むしろ今では、この点に肉迫することがモノをつくる上では大切かもしれないとすら思い始めているといった具合です。
 私自身、サラリーマンとしては既に最終コーナーを過ぎてはいますが、建築をつくるものとしては未だ駆け出しの年齢です。この度、審査員を卒業させていただくにあたり、今まで審査を通して学ばせていただいたことを、今度は立場を替え建築のかたちにすることを誓い、御礼のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
(山梨 知彦)
宮崎 浩(みやざき・ひろし)
建築家、プランツアソシエイツ主宰
1952年 福岡県生まれ/1975年 早稲田大学理工学部建築学科卒業/1977年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了/1977〜89年 株式会社槇総合計画事務所/1989年 株式会社プランツアソシエイツ設立
山梨 知彦(やまなし・ともひこ)
建築家、株式会社日建設計チーフデザインオフィサー、常務執行役員
1960年 神奈川県生まれ/東京藝術大学美術学部建築学科卒業/東京大学大学院都市工学専攻修了/1986年 日建設計
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