思い出のスケッチ #365
マウナロアの子どもたち
森川 浩弌郎(元YENDO ASSOCIATES INC.、米国ハワイ州在住)
 マウナロアの街の高台、その一番高いところに小学校があります。校庭は広く一面の芝生です。校舎は簡素な木造の平屋で子どもたちはほんの少ししか見かけません。周りは原住民が多く住む静かな住宅地です。
 ここに住む人たちは、自給自足で生活している人も多く、学力も所得も決して高いとはいえませんが、自ら築いてきた生活環境を守り、それを壊す開発を望まず、お金がそんなになくても、日々の暮らしは満ち足りているようです。人種が違う見知らぬ人も、子どもも、お年寄りも、誰もが手を挙げて、「こんにちは」と互いに挨拶を交わします。車とすれ違うときも、目が合えば手を挙げます。たまに訪れる観光客にも同様で、ここではみんなが家族なのです。心安らぐゆたかな暮らしが、ここにはあります。
 ハワイでは、「元気?」とか「こんにちは」とか「ありがとね」とかを表すアロハポーズに、「シャカ」や「ハングルース」というハンドサインをよく使います。手の真ん中三本の指を内側に曲げて親指と小指を立てるサインです。手の甲を外にする(シャカ)か、内にする(ハングルース)か、で意味が違うようです。
 スケッチは、散歩途中に出会った子どもたちを描きました。絵ではよくわからないかもしれませんが、真ん中の男の子がそのサインを私に送ってくれています。このサインの起源については諸説あるようです。そのうちのひとつが、1940年代に製糖工場でサトウキビを絞る機械で3本の指を失った人が、工場で働けなくなり、サトウキビ列車に子どもたちが近づかないようにする仕事に就いて、真ん中3本の指のない手で列車の周りから子どもを追っ払っていたのを子どもたちが真似したのが始まりとのこと。
 マウナロアの子どもたちからは、テレビゲームに夢中になったり、塾に通ったりする姿を想像できません。ここでは自然の中に溶け込んだ幸福な姿を見ることができます。
森川 浩弌郎(もりかわ・こういちろう)
1960年 大阪市立都島工業高等学校卒業/1960年 大阪で圓堂建築設計事務所に入所/1962年 圓堂建築設計事務所東京に移転にともない東京に移転/1966 - 1968年 圓堂建築設計事務所勤務中、中村順平先生に師事する/1991 - 1997年 YENDO ASSOCIATES INC.ニューヨーク事務所に勤務/現在、米国ハワイ州に在住