温故知新
第4ブロックの歴史と活動状況
織本 真一郎(東京都建築士事務所協会第4ブロック代表)
 私が東京都建築士事務所協会に入会したのは、昭和49(1974)年12月のことでした(当時は中央支部に所属)。その当時から現在のブロック制度があったかは定かではありませんが、支部は現在の29ではなかったはずです。なぜなら、東京都建築士事務所協会は、設立当初(昭和23年設立の東京建築代理士会時代)は警察の管轄ごとに支部が置かれていたと聞いていますし、現に私が入会した昭和49年当時、新宿地区には、新宿1と新宿2のふたつの支部があり、合併して現在の新宿支部となったと記憶しているからです。
 『コア東京』は昭和54(1979)年1月の創刊なので、当時の記録は総会等の資料で確認するのみであろうと思います。

 昭和60(1985)年ごろに、私は中央支部から、現在の豊島支部に移りました(このころからの記憶は少しは確かだと思います)。そして平成元(1989)年から本部理事を5期務めた後、平成11(1999)年から3期6年に亘って豊島支部長を務め、その支部長時代の最後である平成15(2003)年から、第4ブロック代表も兼務しましたので、その当時のことを思い出してみたいと思います。
 当時の協会は社団法人でしたので公共性を担保するために、外部理事を過半数以上としていました。会員理事は現在の理事の数の半数以下しかおらず、会の運営を円滑に行うために会員理事を構成員とした「執行委員会」という制度がありました。外部理事を加えた理事会は2ヶ月に1度の開催となっていて、形式的なものとなっていました。

 平成15年当時と現在とでは、ブロックの運営方法が大きく異なっています。当然ですが、当会の組織も異なっていました。当時はブロック担当理事という役職はなく、逆に「ブロック協議会」というものがあり、この協議会は、理事会から各支部に伝えて欲しい事柄等の説明を受け、各支部にブロック会を通して伝えるという役割もありました。
 ブロック協議会は、各支部への伝達機関とは別にブロック相互の情報交換という性格も持っておりました。今になって思うと、この情報交換は有効に機能していたのではないかと思われます。

 その当時は行っていて、現在はなくなってしまったものに「行政懇談会」があります。
 ここで忘れてはならない重要なことを思い出しました。それは、このブロックの決め方は、行政と同じ決め方になっているということです。そして、行政懇談会は、行政の当番幹事となっている区の支部が担当して行っていたのです。
 この懇談会と同時に行っていたのが「現場見学会」と「懇親会」でした。行政懇談会は、ブロックとしての大きな行事であり、毎回多数の参加者がありましたので、できることなら復活したいと思います。

 数年前から行っていて現在定着しているものに、各支部の忘年会または新年会への相互訪問があります。
 主催支部以外の支部から2名程度が表敬訪問するもので、どのような活動をしているかを垣間見ることができ、参考となるだけでなく、懇親の場ともなっており、ブロックの運営にも非常に役立っております。
第4ブロック中野支部の忘年会。ブロック内の支部との相互訪問が行われている。第4ブロックは、中野、杉並、豊島、板橋、練馬の5支部で構成。
 2年ほど前から第4ブロックワーキングとして、ブロック選出理事、各支部長及びブロック長を構成員とした勉強会も隔月で開催していました。
 この勉強会は、平成26(2014)年12月に「第4ブロックからの定款細則の変更の提案」を理事会宛に提出しましたが、そのために平成25(2013)年の6月から行っていたものです。このワーキングのお陰で、ブロック内のまとまりが良くなったように思われます。現在はこのワーキングは休会中ですが、何時でも再開する態勢は整っています。
織本 真一郎(おりもと・しんいちろう)
株式会社織本総合建築設計代表取締役、東京都建築士事務所協会第4ブロック代表、豊島支部
1948年 東京都生まれ/1971年 工学院大学卒業/1974年〜 株式会社織本総合建築設計代表取締役/2000年〜 設計豊島協同組合 代表理事/2015年〜 東京都建築士事務所協会第4ブロック代表