水面みなもから東京を考える(都心部編)
 
栗田 幸一(東京都建築士事務所協会台東支部/株式会社栗田建築事務所)
 池波正太郎の時代小説を読んでいると必ず「猪牙舟ちょきぶね」など水運に関連したものが出てくる。当時の水路は荷物の輸送路であったし、生活道路でもあった。吉原通いをするには神田川を下って柳橋で景気を付けて、浅草御門を抜けて駕籠で行くか、猪牙舟で大川を上って山谷堀から中に入ったという。もっとも金のない連中は「どぶ」の外側で芸子と称する者達と遊んだらしい。
 当初(17世紀)の朱引(江戸内)は大川で、川から東側は江戸ではなく下総の国となっていた(江戸の人口は30万人)が、その後19世紀になると、江戸は130万まで人口が増え、現墨田区の一部(横十間川まで)も江戸内となった。当然のごとく物資の大量輸送に対応した水路(運河)が必要になってきた。江戸に水路などが構築されたのは必然といってよい。江戸川(利根川)〜行徳(製塩業が盛んだった)〜新川〜小名木川〜大川河口〜日比谷入江というルートの中で、新川、小名木川は江戸時代につくられた運河である。
 運河はトラックの陸上輸送が主役となる昭和30年代まで活用され、必要不可欠のものだった。それゆえ建物の川や運河側も、物の搬入搬出の顔を持っていた(写真❶)。カミソリ堤防ができる前は船が横付けしてクレーンなどで荷物を搬出入していたのだろう。治水やモータリゼーション発達がこのような姿にしてしまったわけだが、もう少し知恵を働かせて、たとえば韓国のように首都高を移設して、東京にも空の見える場所を増やしたいものだ。
❶ 日本橋川に観音扉が付いている建物。川の上空には首都高が走っている。
 1962(昭和37)年に最初の首都高速道路が京橋〜芝浦間4.5kmに開通して以来、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催までに、1号羽田線と4号新宿線など約33kmが開通。その一部はかつての堀の底を走り、日本橋川に架かる「日本橋」の上空を通過している(写真❷)。
❷ 中央区に3箇所ある船着場のひとつ日本橋船着場。
 今でも東京には多くの川・運河が存在しているが、水運利用はトラックに比べ非常に少なく、被災時対策やレジャー利用が多い。私も2回ほどこの「日本橋船着場」から乗船し、昼間や夕方の水面から建物を見学した。船着場から暫く行くと江戸時代の護岸が見えてくる(写真❸)。この風景に見える建築は残念ながらいずれも川を意識して建てられているとは考え難い。
❸江戸時代の護岸。中央の石垣に歴史を感じるが……。
 日本橋川から隅田川へ出ると、水面に大きな波が立っている。隅田川はそれほど川幅があると思っていなかったが、大きな引き波で船が揺れると少し恐れを感じた。櫛のようにビルが並んでいた日本橋川対して、隅田川では隣棟間隔が広いビル群が見え、ホッとする。大きな空になった隅田川は、1980(昭和55)年までにいわゆるカミソリ堤防の整備が完了していたが、1985(昭和60年)からスーパー堤防等整備事業の一環として整備を進めてきた親水テラス「隅田川テラス」が、現在は両岸の各所で整備されている。遠くにジョギングや散歩の人びとを見ることができ、川と人の共生が感じられた(写真❹)。
❹ 隅田川から見た遊歩道(隅田川テラス)。
 隅田川に架かっている橋は1923(大正12)年の関東大震災に「新大橋」以外は壊滅的な損傷を受けたため、耐震、交通整備などを考慮し1940(昭和15)年までにデザイン的にも素晴らしい橋に掛け替えられた。その後、架橋は25を数えるが、橋のデザインはひとつとして同じものはない(写真❺)(最近の建築がどれも同じような形態でつまらないのは、私たち設計者の責任)。
❺ 隅田川に架かる各橋は、下から見た構造もすべて異なる。
 隅田川から小名木川に入っていくと、大きな3連の「新小名木川水門」を潜る(写真❻)。さらに、昭和に井戸水やガスの汲み上げをしすぎたため地盤沈下してしまい、地域の浸水対策として川面高さを調整するための珍しい閘門「扇橋閘門」を通過する(写真❼)。
❻新小名木川水門。高潮対策に役立っているが各所に老朽化が見られる。
❼扇橋閘門。頼もしい施設。
 欧州でも産業革命後運河は衰退していったが、再び川や水路の見直しが始まっている。イギリスのナローボートは有名で、今年の夏は是非ボートで暮らしてみたい。小名木川の両岸は程よく整備されてマンション群が望まれる(写真❽)。水面からの視線が遮られないのが心地よい。遠くにクローバー橋が見える。小名木川は美人だ。今度は遊歩道を歩いてみようと思った。行政や地域の状況により川は姿を変える。といっても残念な光景もある。廃棄され回収されていないボートに出会ってしまった(写真❾)。
 橋の下は意外な空間だ。陽の当たらない嫌な感じの場所なのだが、欧州の聖堂にも勝るとも劣らない音響効果の良い空間でもある(写真❿)。
❽小名木川から見るマンション群。水草も植えられ、堤防の嫌な感じを防いでくれる。奥に見えるクローバー橋のところで横十間川とクロスする。
❾残念な光景。廃棄され回収されていないボート。
❿コルネットを演奏する元某大学教授。
 ものを捨てる川から、利用する川、そして楽しむ川へ。臭気に満ちていた顔を背ける川から、向き合う川へ。これから私たちが川沿いで建築を計画するならば、もっと川に開かれた建築を目指そうではありませんか!
栗田 幸一(くりた・こういち)
建築家、株式会社栗田建築事務所代表、(一社)東京都建築士事務所協会台東支部支部長、編集専門委員会委員長
東京浅草生まれ/祖父、父と3代目/1970年 東海大学工学部建築学科卒業/1970〜74年 伊奈建築設計事務所/1975年 父の経営する株式会社栗田建築事務所入社し、現在に至る
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