はじめに
スペインの諸都市は、地方色が強く、魅惑的な都市が多い。本稿では、16世紀以降スペインの首都として発展したマドリードおよび古代ローマ時代から地中海に面する交易都市として発展したスペイン第二の都市バルセロナの建築コンバージョンを取り上げる。スペイン全体に渡り、コンバージョン建築が多く見られるが、特に両都市の特徴をよく示していると思われる代表的事例を中心に見ていきたい。
マドリードにおける公共施設のコンバージョン
マドリードのコンバージョン建築を見わたすと、病院からのコンバージョンが多いことに気づく。強大な国力を基に、敬虔なカトリック国として、市民のための病院建設に尽力したことで、病院の建築ストックが多いことに起因するのであろう。その代表例は、開館以来、ピカソのゲルニカが展示されている「国立ソフィア王妃芸術センター」(1 – 5)である。この事例は、1788年に建設された大病院が、1965年に閉院した後、1977年に国の歴史遺産の指定を受けることで、美術館への転用が決まった。1986年に一部が開館し、1988年に行われた転用工事では、イギリス人建築家イアン・リッチーの協力を得て、建物外部にガラスとスチールの透明感のあるエレベータ塔がとりつけられ、正面広場に対する新たな顔ができた。2005年には、ジャン・ヌーヴェル設計による拡張工事が行なわれ、既存建物後方の敷地に特別展示室、図書館、ホールという独立した機能を有した3つのボリュームが建設された。前用途が病院であったため、大きな中庭を囲んだロの字型平面であり、中庭側に配された廊下に自然光が多くもたらされ、中庭自体も格好の屋外展示空間となっている。
「マドリード市市庁舎」(公共事業局・都市計画局・交通局、6 – 9)は、1916年に建設された大規模病院であるマウデス病院を官庁施設へとコンバージョンした事例である。マウデス病院は150床を有する労働者感染症対策のための大病院であったが、1970年に病院として使われなくなった後に、マドリッド市がコンバージョンを行った。既存建築は、八角形の中庭を中心に、四方向に病棟の翼部、北側に礼拝堂、南側に管理諸室、東西に手術室などをもつ対称性の強い明確な構成であった。コンバージョンに際しては、歴史的建築であるため、保存修復を基本として、手術室を図書館に変え、管理諸室のための間仕切りを変更するなどの最低限の建築的介入にとどめられた。礼拝堂は、マドリード市の管理下にはないため、官庁とは別に使用されている。
前2例に比べると規模は小さいが、「マドリッド市立歴史博物館」(10 – 14)は、オスペシオ・デ・サン・フェルナンドという名称で知られる、1673年に建設されたスペイン・バロックを代表する歴史的建築物である。特にエントランス回りの密度の高い彫刻と建築の一体化は、スペイン・バロックの特徴を表している。2014年に竣工した転用工事により、中央の中庭の大半を内部化して広いホールを増築し、地下に、マドリッドの古い姿を再現した模型を展示し、上階にマドリードゆかりの芸術品を展示する博物館となった。裏側には、礼拝堂があるが、外観に関しては基本的に修復保存を行っており、中庭のホールの増築も外からは見えない工夫がなされている。
マドリードでは、病院以外にも、公共施設を対象とした多様なコンバージョンを見ることができる。
「アトーチヤ駅」(15、16)は、マドリードの中央駅であり、1851年にスペイン最初の駅として建設され、19世紀末に火災での焼失により、現在の駅舎が建設された。1992年には、セビリア万博に合わせて、背後に高速鉄道を含む新駅機能が建設され、その際に、旧駅舎は、新駅舎に付属するコンコースとして保存された。内部には、多くの樹木が植えられ、あたかも植物園のような大空間に変わり、周辺にレストラン、奥に高速鉄道の乗車口が設けられた。駅舎機能は変更されていないので、厳密な意味でのコンバージョンとは言い難いが、プラットホーム空間が、コンコース的な空間に変わったという意味では、用途の変更がなされている。
「カイシャ・フォーラム・マドリード」(17 – 20)は、マドリッド中心部の歴史的な発電所が、美術館を中心に会議、講演などの施設を備えた文化センターに転生した事例である。ヘルツォーク・ド・ムーロンによる転用デザインであり、外壁のみを再利用して、構造体も刷新するという意味では、通常のコンバージョン概念を脱した、極めて特殊な例である。浮遊する古いレンガ壁面、上部増築部の金属仕上げ、隣の建物の垂直庭園との対比的共存は、マドリッドの中心地において、発電所の記憶を新たな形で継承する。浮いたボリュームの下をくぐり内部に入る過程では、多面体のイリュージョンとでもいうべき、独特の空間体験が待ち受けている。
バルセロナにおける産業施設・商業施設のコンバージョン
バルセロナは、カタルーニャ州の州都であり、地中海に面する港湾商業都市として発展した。そうした歴史を反映して、まず大規模なコンバージョンで顕著な事例として、港湾関連の施設が挙げられる。「海洋博物館」(21 – 23)は、13世紀に建てられた旧王立造船所を転用した博物館である。20世紀前半から、博物館への転用が始まったが、現在の姿になったのは今世紀になってからである。バルセロナ湾近くに立地し、造船所機能のみならず、要塞の機能も備えており、城壁と一体になった箇所も見受けられる。内部では、アーチが連なる数列の長大な大空間に、実寸大の船が陳列されており、迫力がある。湾に面した大開口部は、大ガラス面として、通りからも内部が、垣間見られるように工夫されている。
「カタルーニャ歴史博物館」(24 – 26)は、バルセロナの古い工業港に残る大規模倉庫を、博物館に転用した事例である。既存建物は、19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられ、当時としては近代的な設備を備えた倉庫として有名であった。港湾倉庫としての役割が減少した後、1992年のバルセロナ・オリンピックに先立つ都市整備において保存活用の機運が高まり、1994年から2年間かけて、博物館への転用工事がなされた。内部には、新たにトップライトを備えたアトリウムが挿入され、1階の特別展示、2階より上階の常設展示を快適にめぐることができる。また、屋上には、バルセロナ港を見渡す屋上カフェテリアが設けられた。カタルーニア地方の古代から現代にいたるまでの展示がなされており、上階のアトリウムに面して、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂の完成予定模型も展示されている。
バルセロナは、貿易都市として繁栄したため、市場建築のストックも多く、その改修活用も目立つ。
「ボルン・カルチャーセンター」(27 – 29)は、1876年に建設されたボルン市場という、バルセロナの中央市場を、1700年頃のバルセロナの地下遺跡を展示するための施設に転用したユニークな事例である。その転用の経緯は、紆余曲折の結果であった。市場は1971年に閉鎖され、取り壊して図書館を建設する予定となっていた。しかし、建設のための地盤調査を行った結果、1700年頃のバルセロナの地下遺跡が発見され、この敷地での図書館建設は見送られ、ボルン市場の上屋を遺跡の保存展示するための施設として利用することになった。2013年にバルセロナの歴史と文化を展示する施設としてオープンした。
「サンタ・カタリ-ナ市場」は(30、31)は、リノベーションの事例であるが、興味深い建築である。この市場は、13世紀建設のサンタ・カタリーナ修道院跡に、1848年にバルセロナで初めての屋内市場として建てられた。その老朽化に伴い、エンリック・ミラージェスがリノベーションを行い、既存市場を保存しつつ、全体を覆うような形の波打つ屋根を新設するという改修を行った。その結果、既存の市場とミラージェスの屋根が共存する新たな市場建築に甦った。用途変更はないものの、でき上がった作品は、コンバージョン同様、新旧の対比的共存が見られる。
バルセロナで、19世紀末から20世紀にかけて建てられた、モデルニスモ建築のストックが多いが、それらを文化的な展示施設にコンバージョンする事例2例も取り上げよう。
「アントニ・タピエス美術館」(32 – 34)は、ドメネク・イ・モンタネールが1880年代に設計した出版社のオフィスを、1990年に美術館に転用した事例である。バルセロナ生まれのアントニ・タピエス(1923 – 2012)は、スペインを代表する現代美術の巨匠のひとりであり、屋上の装飾に見える要素も、タピエス自身の作品である。外観では、赤煉瓦仕上げのモデルニスモ建築と屋上の線材を主体としたタピエス作品の対比が興味深い。内部では、中央の吹き抜けを活かした開放的な展示空間が、魅力的である。そもそも、既存建築が、出版社とはいえ、美術館のような空間構成を持った建築なので、転用は極めてスムーズになされている。
バルセロナ・パビリオンの道を挟んだ北側にある「カイシャ・フィーラム」(35 – 38)は、1911年に建てられた紡績工場を美術館に転用した事例である。工場が、繊維産業の衰退により閉鎖した後、スペインの大手銀行カイシャが買い取り、美術館を主たる機能とする文化センターに変えた。その際、地下につくられたエントランスおよびアプローチ部分は、磯崎新がデザインを行った。新たにつくられた現代デザインと地上の近代工場という対比的なふたつの施設を結ぶ動線や移動に伴って体験できる現代と近代の変化が興味深い。
まとめ
マドリードとバルセロナでは、それぞれの都市の発展の中で蓄積された建築ストックを、巧みに活用している状況を見ることができる。こうした状況は、スペイン全体で見ることができるが、ここでは、他都市の1例のみを挙げよう。スペイン南部のアンダルシア地方の中心都市セビリアにある、「セビリア大学」(㊴ – ㊶)は、「王立タバコ工場」(1750年頃建設)を、大学校舎に転用した例で、近年のコンバージョン事例ではなく、20世紀半ばの大規模コンバージョンの先駆的な例のひとつである。小説家メリメ作の「カルメン」の舞台ともなった工場であり、ビゼーが同じ題名のオペラを作曲したが、それらでは、女工として働くカルメンに衛兵のホセが想いを寄せるという物語の主舞台となったタバコ工場である。元のタバコ工場本体は、左右対称性の強い新古典主義建築であり、長大なファサードと複数の中庭を持つ施設であった。大学への転用時には、工場だった空間から新たにパティオを繰り抜いて、居室の採光環境の改善を図っている。近年のコンバージョンではよく見られる減築という転用手法であるが、20世紀半ばに、こうしたコンバージョンがなされていたということは大変興味深い。
[註] 写真は、新型コロナ・ウィルス感染拡大以前に行った調査時に、筆者が撮影した。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/2021年4月から、文化庁国立近現代建築資料館主任建築資料調査官/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築㈼』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/2021年4月から、文化庁国立近現代建築資料館主任建築資料調査官/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築㈼』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など
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