世界コンバージョン建築巡り 第26回
サンフランシスコ──建築コンバージョンの発展に貢献し続ける都市
小林 克弘(東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授)
サンフランシスコ略地図
1. サンフランシスコの都市風景。コイト・タワーより南方向を見る。高層建築群の中を、左右の方向にマーケット・ストリートが通る。左端にはフェリー・ビルが見える。
2. コイト・タワーより東方向を見る。手前にサンフランシスコの北東岸の埠頭群。右奥に広がるサンフランシスコ湾と、対岸にオークランド市街。見えている島はイェルバブエナ島。
はじめに
 サンフランシスコは、カリフォルニア州北部の金融・文化の中心であり、観光地としても人気が高い。地形的には、北に向かって飛び出た半島の先端に位置し、西側は太平洋、東側はサンフランシスコ湾に面する。都市の歴史は浅く、都市化が始まるのは、1848年のカリフォルニアにおけるゴールドラッシュである。ちなみに、カリフォルニアがアメリカの州にひとつになるのも、直後の1850年である。その後、サンフランシスコは、地震や火災に見舞われながらも、順調な発展を遂げた。市内北東に立地する小高い丘にたつコイト・タワーから見ると、都市の現在の様子がよくわかる(1、2)。
 中心部のマーケット・ストリート近辺のダウンタウンは高層化が進み、一方、海に面した沿岸には、埠頭が多く建設されており、港湾商業都市であることが理解できる。サンフランシスコは、建築コンバージョンの展開に寄与し続けてきた。本稿では、この都市の代表的なコンバージョン事例を辿ろう。
3. ギラデリ・スクウェア。北東コーナーより見る。
 19世紀末に建てられたチョコレート工場群全体を1964年に商業施設にコンバージョン。ローレンス・ハルプリンが設計を担当。建築コンバージョンの嚆矢となったプロジェクト。
4. ギラデリ・スクウェア
 南側の街路より見る。南東コーナーに時計台がある。
5. ギラデリ・スクウェア
 広場の光景。
6. キャナリー。北東コーナーより見る。
 1967年に缶工場を商業施設にコンバージョン。設計はハルプリンと協働したこともあるジョゼフ・エシェリック。
7. キャナリー
 東側の中庭への入口。
8. キャナリー
 西側のホテルとの間の広場。
現代コンバージョン初期の傑作
 サンフランシスコは、第2次世界大戦後、特に1960年代に、コンバージョンの発展にとって、重要な役割を果たした。都市の発展と再開発が進む中で、市の北部に立地する古くから漁港として発展したフィッシャーマンズ・ワーフ地区に建つ工場群を、コンバージョンによって再生したのである。それらは、現代の建築コンバージョンの先行事例といえる。
 「ギラデリ・スクウェア」(1964年、3 – 5)は、フィッシャーマンズ・ワーフの近くに19世紀末に建てられたチョコレート工場群が使用されなくなった後、集合住宅への建て替えが危惧される中で、建て替えを避けるために、工場群全体を商業施設にコンバージョンして施設の再生に成功した事例である。主に設計を担当した人物は、ローレンス・ハルプリンであり、ランドスケープ・デザイナーというべき人物である。ハルプリンは、工場が建ち並ぶ環境に対して、外構を中心としたデザインを整備すれば、新たな魅力的な環境を創出し得ると考えた。当時、通常の建築家は、新築のデザインに没頭しており、ランドスケープ・デザイナーであるが故に、コンバージョンという発想に至ったともいえるだろう。
 数年後には、ハルプリンと協働したこともあるジョゼフ・エシェリックという建築家が、ギラデリ・スクウェアの近くに「キャナリー」(1967年、6 – 8)という、缶工場を商業施設にコンバージョンするというプロジェクトを成功させ、工場群が独特の雰囲気を備えた商業施設として甦ることが、より広く理解されるに至った。その後の建築コンバージョンの発展にとって、サンフランシスコにおける、これらのふたつの作品は大きな影響を及ぼすことになる。
9. フェリー・ビル。正面外観。
 マーケット・ストリートの突き当りに建つ。中央に約75mの時計塔。1898年に建設された乗船場と集荷場。2003年に集荷場部分の1階を商業施設、2階を賃貸オフィスにコンバージョン。
10. フェリー・ビル
 1階マーケットのコンコース。
11. フェリー・ビル
 2階オフィス階のコンコース。
12. ピア1-5。街路沿い全景。フェリー・ビルに隣接して建つ。
 1920年代から30年代にかけて建てられた港湾施設をオフィスにコンバージョン。
13. ピア1-5
 エントランス。
14. ピア15/17。街路沿い正面外観。
 バス・ステーションとして使用されていた施設を、2013年に科学博物館にコンバージョン。
15. ピア15/17
 斜めからの外観。海に長く伸び出る棟が、科学博物館に転用された。
16. ピア15/17
 エントランス。ウォーターフロントやピアの建物の沿革に関する展示がある。
ロマ・プリエタ大地震とウォーターフロント整備
 1989年にサンフランシスコは、ロマ・プリエタ大地震に見舞われ、高架橋が倒壊するなどの大きな被害を受けた。震災復興の中で、建築コンバージョンを活用したウォータ―フロントの整備が大きく進むことになる。
 その発端となる「フェリー・ビル」(9 – 11)は、1898年にマーケット・ストリートの突き当りの港湾地区に建設された地上3階の乗船所であり、中央に建つ約75mの時計塔は地域のシンボルであった。1950年代からは、上階はオフィスとしても使用されることになったが、1950年代後半に高架の高速道路が前面に建設されたため、全長約200mのファサードと塔が見えにくくなった。しかし、1989年高架橋がロマ・プリエタ大地震によって倒壊して、ファサードが露わになると、その歴史的建造物の重要性が再認識される。フェリー・ターミナルの再建に向けて、保存修復、構造補強に加えて、増床されていた2階床スラブの撤去などの大規模な工事が実施され、2003年にフェリー・ターミナルは乗船所、賃貸オフィスに1階のマーケットを加えた複合施設に甦った。スラブ撤去によって再生した中央コンコースによって、集荷場からコンバージョンされたマーケットと2階の賃貸オフィスは天窓を有する長大で明るい空間に再生した。
 フェリー・ビルディングのコンバージョン再生は、周囲の埠頭施設の再生を促し、ウォーターフロント全体のコンバージョンに発展していく。
 そのひとつ、「ピア1-5」(12、13)は、フェリー・ビルの西隣に、1920年代から30年代にかけて建てられた港湾施設であり、道沿いには、3つのエントランスを持つ様式建築の門構えを有し、ピア1の背面には、海に向かって突出した長大な棟がある。これらは、海運会社のオフィスや倉庫であったが、2000年前後に保存修復されて、現在では、港湾局を中心とする現代的なオフィスに使用されている。
 「ピア15/17」(14 – 16)は、もともとバス・ステーションとして使用されていた施設であったが、2013年に「エクスプロラトリアム」という名称の子どもや家族向けの科学博物館に転用された。サンフランシスコの中でも人気のある科学館であり、エントランスには、サンフランシスコのウォーターフロントやピアの建物の沿革に関する展示も行われている。
17. アジア美術館。外観。
 1917年に竣工した「サンフランシスコ市民図書館」が、2003年にアジア関連の美術館に転用された。設計は、パリのオルセー美術館を設計したガエ・アウレンティ。
18. アジア美術館
 中心にある階段室を見上げる。
19. アジア美術館
 階段室2階周りのギャラリーからは、アトリウム化された旧中庭が見渡せる。
20. アジア美術館
 アトリウム化された旧中庭。
21. 現代ユダヤ美術館。南東側広場に面する正面全景。
 1907年に建てられた受変電施設の端部に斜めに傾いたキューブ状の青銅仕上げのヴォリュームを増築して美術館に転用。設計は、ダニエル・リベスキンド。
22. 現代ユダヤ美術館
 南西側端部に付加された斜めのキューブ。
23. 現代ユダヤ美術館
 エントランス・ホール。
24. 現代ユダヤ美術館
 斜めのキューブの内部空間。
著名建築家のコンバージョン・デザインで誕生したふたつの美術館
 「アジア美術館」(17 – 20)は、1917年に竣工した「サンフランシスコ市民図書館」が、2003年にアジア関連の美術館に転用された事例である。図書館はボザール流の様式建築であり、E字型の平面は、正面及び右翼が閲覧室、左翼が書庫、中央ホールが目録検索室という構成であった。この図書館建築は1989年の地震で、特に中庭回りに大きな被害を受け、アジア美術館にコンバージョンすることが決まり、そのための設計をオルセー美術館で実績のあるガエ・アウレンティが担当することとなった。アウレンティは、階段室回りを始め、歴史的価値を持つ空間を鑑賞動線の一部に組み込み、旧閲覧室を展示室に、左翼を研究室に転用しつつ、地下階にすべての収蔵庫を新設することで、収蔵庫から展示室へのサービス動線を整備した。ふたつの旧中庭は内部化されてアトリウムとなり、1階はアトリウムを備えた開放的な空間となった。また、大きなガラス面や緑色に塗られた鉄骨などの現代建築要素も取り入れられ、結果的に、新旧のデザインが混在することとなった。
 サンフランシスコの中心部に立地する、「現代ユダヤ美術館」(2008年、21 – 24)も、歴史的建築をコンバージョンした作品である。既存建築は、1907年に受変電施設として建てられ、煉瓦造の落ち着いた雰囲気のファサードをもち、内部に機器のための大空間を備えていた。この既存建築に対し、転用デザインを担当したダニエル・リベスキンドは、外観では、端部に斜めに傾いたキューブ状の青銅仕上げのヴォリュームを増築し、内部では、大空間の吹き抜けを一部に残しつつ、回遊式の展示空間をつくり込んだ。この動線は、大空間の吹き抜けを覗き見る空間やキューブ内の空間を巡る。既存の主要なファサードを温存しつつ、リベスキンドらしい傾いたキューブが端部に付加することで、内部のみならず外観においても、自らの作風を巧みに誇示した転用デザインとなっている。
25. ケーブルカー博物館。南東コーナーより見る。
 既存のケーブルカーの発電所と動力システム室の中に展示室を1974年に併設。
26. ケーブルカー博物館
 動力システム室も展示の一部となっている。
27. ケーブルカー博物館
 展示室。
28. 太平洋文化遺産博物館。外観。低層部を保存修復しながら、背後に新築。
 もともとは1853年に建てられたサンフランシスコ最初の造幣所。1983年から84年にかけて、低層部を保存修復しながら背後に新築がなされた。修復された既存部分を博物館に転用。
29. 太平洋文化遺産博物館
 アプローチ空間。
30. 太平洋文化遺産博物館
 1階展示室。
31. 太平洋文化遺産博物館
 地階展示室。
32. 25 Lusk。外観。住所がレストラン名になっている。
 2階建てのありふれた建物をファッショナブルなレストランに改修。
33. 25 Lusk
 エントランス。白い階段が、既存要素と対比的。
34. 25 Lusk
2階。
35. 25 Lusk
1階から吹き抜けを見る。
36. カリフォルニア科学アカデミー。向かいに立つデ・ヤング美術館から見た外観。
市内から西に離れたゴールデン・ゲート公園に建つ。既存の自然史博物館に対して、深い庇や屋上庭園などの環境配慮型のデザインを施した。レンゾ・ピアノの設計。
37. デ・ヤング美術館。外観。
 2005年にヘルツォーク&ド・ムーロン設計で竣工。
38. デ・ヤング美術館
 最上階の展望室。
その他のコンバージョン建築事例
 サンフランシスコは、坂の多い街中の移動のためにケーブルカーが整備されていることはよく知られているが、「ケーブルカー博物館」(25 – 27)は、1880年代からのケーブルカーの発展の歴史や動力や機構を展示する博物館であり、1906年に起こったサンフランシスコ大地震発生当時の貴重な写真や映像も見ることができる。展示空間は、既存のケーブルカーの発電所と動力システム室の中に1974年に併設された。施設全体の用途変更というよりは、新たな用途の付加という類の改修である。
 「太平洋文化遺産博物館」(28 – 31)は、もともと1853年に建てられたサンフランシスコ最初の造幣所が、1877年にアメリカ財務省関連の施設になり、20世紀になって民間の銀行に使用されたが、1983年から84年にかけて、低層部を保存修復しながら背後に新築がなされた。保存修復された既存部分は、博物館に転用され、既存建物の一部も、展示品となっている。
 マーケット通りから東の地区では、近年盛んに再開発による都市更新がなされており、この地区でも、新築のみならず、コンバージョンを併用された整備がなされている。一例を挙げると、「25 Lusk」という名称のレストラン(32 – 35)は、2階建てのありふれた建物をファッショナブルなレストランに改修した事例である。既存の煉瓦仕上げに加えて、木造架構、金属パネルなどを共存させながら、空間的にも開放的な雰囲気を生み出すことに成功している。こうした小規模な転用事例は、数多く見られる。
 市内から西に離れたゴールデン・ゲート公園に建つ、レンゾ・ピアノ設計の「カリフォルニア科学アカデミー」(2008年、36)は、一見新築に見えるが、既存の自然史博物館に対して、深い庇や屋上庭園などの環境配慮型のデザインを施した建築である。用途変更はないので、リノベ―ションであるが、既存の博物館に対して、展示内容、造形面、環境配慮において、見事な刷新を行った事例である。同じ公園内には、2005年にヘルツォーク&ド・ムーロン設計の巨大な「デ・ヤング美術館」(37、38)が新築されており、公園全体が、文化的な自然公園として整備が進んでいる。
39. 旧モリス商会。外観。
 1948年、フランク・ロイド・ライト設計。現在は、アジア民俗美術のギャラリー。
40. 旧モリス商会内部。
 ニューヨークのグッゲンハイム美術館の展示空間の萌芽が見られる。
まとめ
 サンフランシスコは、まず、戦後の観光地化に伴うギラデリ―・スクエアやキャナリーのような産業施設のコンバージョンの先駆けとなる事例を生み、次に、1989年の地震を契機とする港湾地区の連鎖的コンバージョンという大事業を行うことで、現代コンバージョンの発展に大きな貢献を行った。20世紀後半のコンバージョンの発展にとって、重要な意義を持つ都市であるといえるだろう。改修デザインに際しては、世界的に著名な建築家を採用していることも、コンバージョンの発展に寄与している点であろう。
 フランク・ロイド・ライト設計の「旧モリス商会」(1948年、39、40)が、どのように使われているか気になっていた。ユニオン・スクエアという都市中心部近くにあり、コンバージョンが行われているのではないかという期待もあったが、1979年にモリス商会のショールームから代わったザナドゥ・ギャラリーという名称のアジア民俗美術店として使用され続けていた。名作建築であるが故に、名作の所以の核であるスロープを伴うアトリウム空間は尊重され、展示物の種類の変化もものとせずに、しっかりと生き続けていた。
※掲載写真は、新型コロナ・ウィルス感染拡大前に筆者が撮影した。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授
1955年生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/2021年4月から、文化庁国立近現代建築資料館主任建築資料調査官/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築㈼』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など